2011年11月30日水曜日

タイム・バインディング



私がつかっている言葉の制限が、すなわち私の世界の制限である

ルードウィヒ・ウィトゲンシュタイン



今日は、「タイム・バインディング」と題して少し書いておきましょう。

一般意味論のタイム・バインディング

Wikipedia の「一般意味論」[1]の項目を参照すると、タイム・バインディングについて以下のように説明されています。


「時間結合」Time-binding:情報や知識を世代を超えて加速度的に伝達する人類の能力。コージブスキーはこの能力が人類特有のものであり、動物と人間を隔てている能力であるとした。動物も知識を伝えないわけではないが、人間のように加速度的な伝達はできない。動物は以前の世代と同じように行動するが、人間はかつて狩猟採集によって食料を得ていたのが、栽培や養殖を行っている。


もちろん、ここで言う情報や知識ということについて、身体の動作のような形式で伝えられる暗黙知的な知識と、文字/記号によって伝えられる形式知的な知識の両方が含まれていると考えられますが、一般意味論のモデルで説明すれば、人が五感から情報を取り入れいかに抽象化するのか? また逆に文字/記号のような抽象化された情報をいかに具体化するのか? については「構造微分」のモデルで示されていたとおりですが、


他の動物と違って世代を超えて加速度的に情報を伝えることが出来る要因というのは、人が意識的に情報の抽象度を上げたり、あるいは情報の抽象度を下げたりすることが出来るという能力を持っているから、と言っても良いでしょう。

それで The Society of General Semantics のサイトにアップロードされていて「PRACTICING CONSCIOUS TIME-BINDING」というエッセーがこのタイム・バインディングについて書かれているわけですが、


これを読んでみると、普段私たちが囚われている言語のラベル、あるいは実態に即していない言語のラベル、もっと俗っぽく表現すると、世間体とか、エフィカシーの低い自己認識とか、自分を制限する信念や価値観とかあまり実態を反映しないどちらかというと有害なこの言語のラベルが存在しているというわけです。 

そこでこの言語のラベルに対して、タイム・バインディングを意識的に用いることでそれが実態にあっていないのだということを知り、そしてその制限から出ることに使いましょう、というような内容になっています。

それでこのプロセスをごく簡単に説明しておくと、言語のラベル、あるいは物事を認識するフレームというのは自分の経験を帰納しながら抽象化されることで構築されるわけであり、この経験から出るには、禅ではないのですが、一旦、抽象度を思い切り下げて純粋経験に戻り、そして実際の経験からもう一度その実態に即した、言語のラベルを貼付け、そしてそのラベルを使って再度新しいフレームを帰納しながら再構築する必要があるというわけです。

このあたりについて考えると認知行動療法の構築に尽力したアルバート・エリスが一般意味論の影響を認めているところがあったりするわけですが、[2]アルフレッド・コージブスキー追悼公演をまとめた「General Semantics and Rational-Emotive Therapy」を読むと認知行動療法と一般意味論の関係が一目瞭然、つまり、認知行動療法における「誤った信念」を修正する場合にも一般意味論の考え方が使われているということなります。

それで、余談ですが、最近マスコミから発信される情報が Yes か? No か?とか賛成か?反対か?といった単純な二元論に陥っているように思えてくるわけで、私達はタイム・バインディングを通して先人達から一体何を継承しているのか? とかなり悲しくなってくることもあるわけですが、こういった単純な二値的な思考に陥ってはいけない、あるいは言葉のラベルに騙されてはいけないというのも一般意味論の教えだったことを思うと情報操作もやり難い時代になったのだろうなと思う今日この頃だったわけです。

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2011年11月29日火曜日

観察と記述(その2)



日記や小説とは違って、システム思考をする時はもう少し客観的な記述が求められるのでしょうねぇ。

独り言


今日は、「観察と記述(その2)」と題して少し書いておきましょう。

観察と記述を具体的にどういったプロセスで行うのか?

今日も、昨日の続きの「観察」と「記述」ということについて書いておきましょう。

実際の現場に身をおいて「観察」しても「記述」する段階で質感を伴った情報のほとんどは落ちてしまうため、このあたりのことを考える必要がありそうだなということについては昨日書いています。

また、言葉の性質ではないですが、言葉で記述されたことは基本的に五感の注意がそこに向いて意識されたことだけに焦点が当てられています。逆に言うとゲシュタルトの地と図ではないですが、言葉の周りにある情報は必然的に欠落してしまいますから、実は記述されていない行間にある情報も重要だというわけです。

もっとも、個人的にはこのようにして「観察」して「記述」した結果についてどうしたいの?ということになるわけですが、基本的にはこの結果を以前書いた TOC(Theory of Constraints) CRT (Current Reality Tree )を書くための情報として使いたいと考えているわけです。


http://ori-japan.blogspot.com/2011/11/toc.html
http://ori-japan.blogspot.com/2011/11/crt.html

さて、ここで昨日の話しに戻りましょう、音楽のメタファーを使って、「記述」というのは実際に演奏されている音楽を、パート毎のメロディー、リズム、ハーモニー、そして強弱について採譜するようなものであると説明しています、では実際の経験についてもこのメタファーを用いてメロディー、リズム、ハーモニー、そして強弱が何にあたるのか?を考えると参考になるのではないか?という発想になるわけです。

それで、個人的には実際の経験を「記述」するためにタイムラインに載せた SCOREモデル[1]が一つの解になるのだろうなと考えています。但し、ここではCRTの入力にしたいので、今のまま何もしないとこういった悪いシナリオになってしまいますよ、という前提で書いています。(なので、逆に、将来のベストプラクティスを考えた場合、想定される課題を事前にシミュレーションしておくということでも良いでしょう。)


※因果関係のロジックのチェックは厳密にしてはまだ行なっていない状態

それでこのモデルを音楽のメタファーで考えると、

メロディー
原因-現象-アウトカム-効果について観察される事実を因果関係でつないだ横の流れ
リズム
上を時間軸に載せたもの、視点を高くするともっとマクロのパターンが見えるかも!?
ハーモニー
メロディーが積み重なった縦の関係性
強弱
弱いのは表面上のシグナル、強いほど中核問題に近づく
※ 観察者の持っているメンタル・モデルを反映した認識上の隠れた前提については→に含まれるとする。いくつかの視点、立場を明示する必要がある場合はこれを明示しておく。

このモデルはTOCの正統なテキストと見なされている「Breaking the Constraints to World-Class Performance[2]に書かれている方法ともおおよそ整合しているのでそうセンスの悪い方法でもないのでしょう。

それで、実際のファシリテーションの場合、もっとアナログな方法としてポストイットというと3Mの登録商標なので「付箋」を使って紙やホワイト・ボードに貼りつけながら、因果関係のロジックにも注意しつつ、整理していけば良いのではないかと思います。

何れにしても、五感の質感を伴う経験について、観察者の認知バイアスがかかりすぎることなく「経験」したことを「記述」するというのは課題のように思ってきます。 

文献
[2]http://www.amazon.com/dp/0873894375


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2011年11月28日月曜日

観察と記述(その1)



経験したことのどこを選んで文章にするのか?は結構難しい課題だよなぁ。
それに、どんな意図を持っているかで経験のどこに注意を当てるのか?がきまってしまうしなぁ。

独り言


今日は、「観察と記述(その1)」と題して少し書いておきましょう。

観察と記述、経験と記号

今日は、「観察」と「記述」ということについて書いておきましょう。

「観察」と「記述」と書くと何やらかしこまった感じになりますが、人類学のフィールドワークのような分野だけではなく、単に日常生活や仕事の場面でも頻繁に使っている概念です。

例えば、日常生活の場面で、友人とおいしい料理を食べていて、その様子を十分に「観察」して、それを経験として十分味わった後に、写真を取る、あるいは、その経験の抽象度を上げて文字として書き綴るというのが「記述」にあたります。

もう一つ例をあげると、仕事の場面で、上司から、出張して実際に製品を使っているお客さんにその場面を見せてもらうように言われます。 この場合も、実際その現場に行ってその場面を経験し、その様子を「観察」し、そしてその経験の抽象度を上げて文字で「記述」し、出張報告書などを作成することになるでしょう。

つまり、普段私たちが普通にやっている行為、それが「観察」と「記述」ということになります。

これをメタファーで表現すると「観察」が演奏されている音楽を聴くこと、そして「記述」がその音楽を楽譜として採譜することということになるでしょう。

このメタファーで考えると、その音楽を聴いたという実際の経験がどんなに感動的で素晴らしいものであったとしても、楽譜にしてしまうと、五感全体で感じる質感を伴った情報が、無味乾燥した静的な記号に変換され、パート毎に、メロディー、リズム、ハーモニーと理路整然と単なる視覚情報に押しとどめられてしまうということが起こるわけです。

もちろん、その曲を練習する時には記号で書かれた楽譜というのは、とても有効な手助けになるわけですが、感動とか曲から得る何らかの感じといった質感を伴った情報のほとんどはそこから落ちてしまうということが起こります。

観察と意図

また、音楽の場合はこういった質感の情報が落ちてしまったとしても、採譜のお約束としてメロディー、リズム、ハーモニー、それに強弱といったことが義務付けられているという約束になっていため、最初からこれを「観察」する意図を持って採譜すれば良いため、何か特定の情報が大きく欠落するということが起きにくいと思われます。

しかし、上で述べた「出張報告書」のような場合だと本当はきちんと観察して報告しなければならなかった項目に焦点が当たっていなかったために、報告しなければならなかった項目が落ちてしまうということが起こってしまいます。

もちろん、最初から強い意図や目的を持って観察することも考えられますが、最初からこれをガチガチに設定すると以下で書いた目的外の発見であるセレンディピティを起こすことは難しくなってしまうということになってしまいます。


もちろん、上の例は二項対立になっているため、これを解決するには二項対立にならないように抽象度を上げたメタ目的、メタ意図を持って観察すれば良いということになるわけですが、少しゆるい目的な意図だけ設定して以下で書いた周辺視野なども使いつつ、



純真な子供のような視点から特定の意図を持たずに観察してみるというのは案外難しいものなのだなと思う今日この頃でもあったわけです。



文献
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2011年11月26日土曜日

ミルトン・エリクソンのレトリック(その2)



言葉というのは、知覚にフィードバックされて、ある感覚に(認知科学で言う)注意(Attention)があたったり、特定の対象に注意を向けたりする補助線になるわけです。

その結果、知覚(sensation)、感情(Feeling)や情動(Emotion)が意識に登ってくることになるわけです、もっとも、これらは言葉に基づけられているわけではないのですが、言葉と相互作用するという意味では非常に重要なのですよねぇ。

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンのレトリック(その2)」と題して少し書いておきましょう。

誤訳か誤訳でないか!?

ネットを眺めていたところ、ある著作が誤訳だ、誤訳でないというような論争が起こっておりました。


個人的には、この本自体をお勧めする気は毛頭ないのですが、以下のような言語パターンに興味を持ったわけです


I dont know how I get a big juicy bonus, I only know I do now and I am fulfilled.


これは、単純に催眠療法家のミルトン・エリクソンの言語パターンそのものだよねと思ったわけですが、エリクソンの言語パターンのお約束が分かっていないと国連英検特A級を持っていても、英検1級位の資格を持っていてもこの内容をきちんと解説するのはちょっと難しいのだろうなと思ったことと、逆に日本の高等教育で行われているような英文法偏重の英語教育に染まっている人ほど落とし穴にハマるのだろうなと微笑ましく眺めていた次第というわけです。

それで、個人的には出し惜しみするつもりは無いのでこれについて少し解説することにしておきましょう。

おそらくこの英文を読み解くには、言語学(ソシュールに代表されるような一般的な言語学、変形生成文法、認知言語学)、それと現象学についての知識が必要だと考えています。もっとも、言語が知覚や思考にどう現象するのかの仮説的な体系が一般意味論になるので、これをメガネとして上の言語パターンを眺めてみても良いでしょう。


追記:上を言語についてもっと体系的に考えるとすると、MRIの研究者であったポール・ウォツラィック 著「Pragmatics of Human Communication(邦訳 人間コミュニケーションの語用論)」[0]のフレームワークに基づいて 1) 統語:シンタックス 2)意味論:セマンティクス 3)語用論:プラクマティクスの3つの要素のバランスを取りながら考えると良いと思います、例えば、生成文法の視点から見ると 1)が見え、認知言語学の視点から見ると 2) が、ベイトソンのメッセージとメタ・メッセージを明示したマインドの理論や一般意味論は 3)が見えるという具合です。

それでは、まずエリクソン催眠の言語パターンを使う上での前提をいくつか書いておきましょう。

l       言語は何に意識を向けるか?の補助線となる。

言葉は意識と密接な関係があります。言葉は意識、つまり五感の注意をどこに向けるのか?の補助線となります。逆の言い方をすると言葉を上手に使うと、五感の注意を別の対象に切り替えてもらうことができるということになります。 この場合、対象としては外的な出来事やモノ、内的な自分の感覚(Sensation)、感情(Feeling)、情動(Emotion)の両方が対象になりますが、意識で同時に認識できる要素としては7±2 という制限が存在します。[1]

l       否定文は言葉の中にのみ存在し、経験には存在しない[2]

一つ例をあげると友人があなたに「この前タイに旅行に行ったら、タイには夜光る夜光象というのがいるらしぃんだ」と言ったとします。この場合、あなたは、自分の心の中、つまり表象に「夜光象」という見たことのない光る象をイメージし、そして、「そんなのは絶対いないと思う」と意識で否定することになると思います。


これが意識(言語/記号が身体に現象した感覚)ではこの夜光象というのを否定していても、無意識に立ち上がってくる夜光象のイメージは心の中に存在するということになります。また、否定文を使うと「xxを考えないで。」と言っても、そのxxに意識が向いてしまいます。


これがまずこの話の前提となります。

上の2つを前提にして


I dont know how I get a big juicy bonus,


を考えてみることにしましょう。

まず、パターンとしては、I dont know +「具体的ではないプロセス」[3]となっています。

文字通り翻訳すると Yahoo 知恵袋にあった翻訳家の方の翻訳、「どうやって大金のボーナスを自分が(日頃実際に)得ているのか(そのプロセスは)、私にはわかりません。」となります。

l       意識と無意識をスプリットする

ここで少し行間を読んでみましょう。 まず、「否定形は言葉の中にのみ存在し、経験には存在しない」からすると、


言葉つまり意識では、「どうやって大金のボーナスを自分が(日頃実際に)得ているのか(そのプロセスは)、私にはわかりません。」となります。

一方、無意識から立ち上がってくる表象には、「どうやって大金のボーナスを自分が(日頃実際に)得ているのか(そのプロセス)」が表象されていることになります。


これは、否定文を利用したエリクソンの定番である Conscious-Unconscious Split を行なっている文ということが理解できます。[4]

また、これは戦略療法的には、以下のリンクで書いたPartitioning にあたります。

http://ori-japan.blogspot.com/2011/10/blog-post_11.html

 それで、ここでは、明示的には意識、無意識という言葉を使っていませんが、結果的に意識-無意識がスプリットされています。


l       表象のイメージの中で無意識に「ボーナスを得る」プロセスをイメージさせる

次のポイントは「具体的にされていないプロセス」です、これはあえて具体的にされていないプロセスを表層構造である言葉で示すことで深層構造である表象にその具体的なプロセスをあれこれ思い描くTransderviational Searchが起こることを意図して投げかけられていることになります。


追記:これを分かりやすく説明すると、例えば、自転車に乗るという場面を思い出して、ある人が「私は自転車に、どうやって乗っているかは分かりません。」と言ったとしましょう。 この場合、自転車には乗れているのだけれども、言葉の説明、つまり形式知(意識)としてはどのように乗っているのかを説明して良いのか分かりませんとなります。


また、これは上で述べた Conscious-Unconscious スプリットのパターンで、意識とは反対に  、身体感覚を伴う暗黙知(無意識)として自転車に乗っている場面を思い描いてその身体感覚を再体験するのは容易だということになります。


それで、上で述べた Transderviational Searchからすると、ここでは、言葉、つまり表象構造をきっかけにして深層構造である身体感覚を伴う暗黙知を探索していることになるという具合です。 これを、ボーナスの例に当てはめて考えてください。


これが前半の言語パターンの行間に含まれる意図となります、実際に英語を日本語に訳して、これを聴いた人の知覚が動き、思考が動くのか?は良く分からないところがあるわけですが、少なくとも上で説明したように知覚や思考が動かないと何も効果がないということになってしまいます。

それで、後半の英文


I only know I do now and I am fulfilled.


それで、後半の訳は、「自分でわかっているのは、今現実にそれを行なっていて、そして、それに満足している、ことだけ。」で基本的には良いのですが、ここにも色々行間が存在しています。

それで、この行間を考えてみましょう。

l       ゴールを達成した時の心身状態を設定する

ここでこの呪文をつぶやく人の状況設定はおそらく「ボーナスを得たいと思っているけれども、実際にはまだそれが得られていない」という前提が存在すると思います。

それで、これはコーチングのミラクル・クエスチョンの要領で「途中のプロセスはよく分かっていないけれど、まさに今それが得られているとしたら・・・」

というような前提で、未来のある時点が現在だと考えて「私はそれに満足している。」とつぶやいて、ゴールとしての心身状態を設定していることになります。おそらく本物のエリクソンであればここで何らかのアナロジカル(アナログ)・マーキングをつけることになるでしょう。[5]

もちろん、ここでは「私はそれに満足している」とつぶやくのは良いのですが、この呪文をつぶやく人の表象に「ボーナスを得られている姿がイメージされていて」かつ「心身状態としての満足感」が存在していなければなりません。

l       ゴールに向かって何かを行なっている行動(プロセス)に承認を行う

これは、「I do now 」なのですが、これもコツがあります。

上の文でゴールは設定されました、そして、そこに至るまでのプロセスを実行しています。ということになるのですが、ここでのポイントは実際のプロセスを思い描き、それを実行している視点とメタ視点とを綜合するような形式で、「これでいいのだぁ!!」というようなサティアの言うガッツ・フィーリングを伴った身体感覚を引き出して、ゴールを達成するための行動を行なっている自分自身を承認する必要があるということになります。

このあたりのことは以下少し書いています。


それで、こういったことが認識の中にきちんと設定されると、Post-Hypnotic Suggestion として[6]、目の前で起こっている色々な出来事を情報として取り込んで、どのようなプロセスで到達するか?は無意識が考えてくれるはず、それでゴールの心身状態を向いて今なんらかの行動をとっていることになるのですが、この行動を行うこと自体が愉しくなっているはず、となります。もちろん、エリクソン並の正確無比な曖昧さで認識の中にきちんと意図したことが設定されればという話になりますが・・・・


それで、要は、エリクソン催眠の言語パターンの場合は文面に現れてくる字面通りのメッセージよりも行間に含まれるメタ・メッセージが多く、このあたりのメッセージの多重性をきちんと理解して翻訳しないとろくでも無い日本語が出来るということになるのだと思います。

もっとも、本家エリクソン財団の講座の受講要件は最低 MS (Master of Science )以上となっていたと思ったので、自己啓発レベルでちょろちょろやっていても太刀打ち出来ないのは言うまでもないでしょう。逆の言い方をするとそれだけ奥が深いということなのでしょうね。


個人的にはこれとまったく同じことはTOC思考プロセスを使えば出来ると考えているので、エリクソンのような心理療法を行うのでないのなら、思考プロセスを使うのもありだなと考えているわけです。もちろんこの場合も、クライアントが望むなら無意識に何かをやりたくなるという設定もサービスしておきますが。(笑)

文献
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コーチングの効果と変化



結構、日本でやってるコーチングって検証された方法論を使ってきちんとやられているか?という視点では、結構いい加減なんだよねぇ(笑)

独り言


今日は、「コーチングの効果と変化」と題して少し書いておきましょう。

コーチングの種類と変化

コーチングといっても水平的な分野という意味で、スポーツの成果を求めるコーチング、個人の変化を支援するコーチング、組織の変化を支援するコーチングと色々なコーチングが存在しています。

また、垂直的な変化の度合いという意味でその扱う度合いが浅い順に、1)パフォーマンス・コーチング、2)ディベロプメンタル・コーチング 3)トランスフォーメーショナル・コーチングなどと分けられることがあります。[1]

このあたりは、コーチングに家族療法などに援用されているシステム論の考え方を持ち込んで、人の認識、あるいは人を取り巻く関係性をシステムと考え、このシステムの一部が変化する「変化」としての一次変化(First Order Change)、そしてシステム自体が変化する「変化についての変化」というように抽象度の上がった二次的変化(Second Order Change)と区別されていることがあります。[2]

この考え方を使うと、人の外的な振る舞いに対してだけ注目するパフォーマンス・コーチングは基本的に一次的変化を志向したコーチングとなりますし、人の能力の発展を支援するディベロプメンタル・コーチングと人の認識の変化を支援するコーチングとトランスフォーメーショナル・コーチングは二次的変化を志向したコーチングとなるわけです。

二次的変化を志向すると

それで、上で言う二次的変化を志向すると、構成主義的に行動-認識の両方を取り扱うモデルに基づいてコーチングを行う必要があるということになってきます。

もっとも、「こういったモデルを使ったコーチングの効果が統計的にどの程度検証されているのか?」という疑問が出てくるのですが、こういった回答の一つになるのが以下のリンクにあるシドニー大学でコーチング心理学を教えているトニー・グラント博士のエッセーとなります。


このエッセーでは、基本的に個人を対象としたコーチングのコンテクストについて書かれていいますが、基本的には認知-行動(Cognitive Behavior )モデルを用いて、ライフ・コーチングが 1) ゴールの達成、2)メタ認知 3)メンタルヘルス にどのように影響を与えているのか?について検証が行われており 1)ゴール達成指標 2)人生の質改善指標 3)欝状態改善指標 4)不安改善指標 5)ストレス改善指標 6)自己参照指標(Self-Refection : 自分の思考や行動に意識を向け、メタ認知すること、日本語で簡単にいうと事実に基づいた内省とか反省が出来ていること)といった指標が設けられており、それが、ミラクル・クエスチョンなどを活用したコーチング前とコーチング後とでどのように変わったのか?その結果について書かれて、それなりの効果があったことが示されています。

もっとも、お湯が突然沸騰するというような位相がまったくことなる二次的変化が起きた場合、こういった指標で計測されるのか?という疑問があるのですが、逆の言い方をするとこのあたりがこのブログのテーマでもあるわけです。

もっとも、二次的変化についてあえてモデルで表現しようすると複雑系の自己組織化だったり、オートポイエシスの創発ということになるため、やはりこのあたりを考える必要があるのだと思います。

文献

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2011年11月25日金曜日

ゴール設定の4つのポイント



ちょっとおとなしめの原理原則

独り言


今日は、「ゴール設定の4つのポイント」と題して少し書いておきましょう。

ゴール設定の4つのポイント

さて、個々人を対象にしてもグループを対象にしてもとても重要な「ゴール設定」ですが、これについて少し書いておきましょう。

以前、「Applying goal setting theory to coaching 」と題したコーチング関連の論文があって全文参照できるようになっていて一度読んだ覚えがあるのですが、これが見られなくなっているのでその一部の引用から。[1] 

ここでは、基本的に個人を対象としたコーチングのコンテクストで書かれていますが、これをあるグループと置き換えるこことも可能だと考えられます。

それで、このリンクを参照するとゴールを設定する時に重要な4つのポイントが書かれています。(多少意訳しています。)


1.
 適当に難易度のあるゴールを設定する必要がある。
2.
 具体的に設定されたゴールのほうが、単に「ベストを尽くす」と設定されたゴールより有効である。
3.
 ゴールの設定には(何の結果をどのように達成するのか?について)行動結果のフィード・バックが重要である。
4.
時間・距離的に遠くより近くのゴールを設定するほうがモチベーションはあがる。


1.       についは難易度が低いとダレるでしょうし、逆に難易度が高すぎてもやる気を失ったり、やる前から打ちのめされてしまうということが起こると考えられます。
2.       については、やはり「頑張ります!!」と掛け声だけではなくて、可能であれば数値目標に落ちるようなゴールを設定し、「何を」、「どのように」、「いつまでに」達成するのか?ということに落ちるくらい設定するということですね。
3.       これは目標設定する時も、実際に何か行動を起こしている時もそうでしょうが、ゴールに近づいているのか?そうでないのか?が分かるようになっている必要があるということですね。ちなみにフィード・バックについては以下のリンクで書いています。


http://ori-japan.blogspot.com/2011/10/blog-post_18.html

4.       これはプロジェクト・マネジメントのマイルストーンのように中間目標を設定してそれを一つ一つクリアした時にその実感が湧くような形式にする必要があるということですね。

このあたりになると完全に人の認識に起因する課題のようにも思えてくるわけですが、自分の気持にもフォーカスしながらモチベーションを失わないようにゴールを設定するということは結構重要だと思います。

もっとも、この要素だと修羅場のジレンマから次元の異なるまったく新しい境地の認識を得るというようなことは示されていませんが、基本としてはこれはこれでよしとしておきましょう。

文献
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2011年11月24日木曜日

アウトカムの定義について



コーチングの「アウトカム」は経験の先取りと考えたほうが理解しやすい

独り言


今日は、「アウトカムの定義について」少し書いておきましょう。

コーチングで設定するアウトカム

コーチングのコンテクストでは、コーチがクライアントとラポールを取るといった当たり前のことは置いておくとして、セッションのはじめにアウトカム ― 欲しい結果、所産 ― を設定することから始めることが一般的です。

それで、この「アウトカム」というところを考えてみることにします。

この「アウトカム」を設定した時点では、これは未来の時系列にあり、認識の中だけに存在しているということになります。

それで、この「アウトカム」を考えてみましょう。



アウトカムとは、

想定した将来のある時点において 、無色透明の第三者の視点からの

Mind
l       (·基本的に定量的な指標で表現される)目標、ゴール
l       (必要に応じて環境に出現する物理的な)成果物 

また、それを知覚・認識している認識主体の 主観的な視点からの

Body
l       知覚の感覚 - アウトカムが実現した時に存在するだろう知覚

Emotion
l       心身状態 – アウトカムが実現した時に、信念、価値観、能力を反映した定性的な·心身状態
l       その他  

を含む経験そのものと考えています。 

  

つまり、コーチングなどの場合は、定性的な情報と定量的な情報、広義の意味での形式知的な部分と暗黙知的な部分の両方を含んだ「経験」を取り扱う必要があり、それぞれの性質と2つの関係性がどうなっているのかが分かっていないと上手くいかないということになります。

それで、これは一般意味論の「構造微分」で説明すると分かりやすいのですが、


「アウトカム」を設定する時には、将来経験するであろう、その経験をどう認識しているのか、知覚の感覚に戻して臨場感をもってイメージし(認識の抽象度を下げる)、その後、その経験の抽象度を上げた言葉/記号によってその経験をクリッピングしておく、あるいは紙に書いておく(認識の抽象度を上げる)ことが必要だということになるわけです。

もっとも、実際のコーチングではこの経験の抽象度を上げ下げしながら、知覚による経験とそれを言葉/記号で表した記述、また、外に現れる成果と内的な心身状態が調和するような方向で進めていくことが重要だと思います。

これは、以前書いたベイトソンのマインドの話からすると、経験が「月」、そして言葉/記号で表現したものが「月を指す指」となるわけで、経験と言葉/記号はベイトソンからすると異なる論理階型に存在するという表現になると思います。


もっとも、「月」と「月を指す指」では、時に「指」に認識の焦点が当たりがちになるわけですし、時に対立するものです。 例えば、理屈ではそうだけれど気持は違う、とか、世間一般ではそうかもしれないけれど、私の気持はそうではないというような状態がこれにあたるでしょう。


したがって、最終的にはこの2つの矛盾を綜合して矛盾したシステムの外に出る必要があるわけですが、対立を使ってこと壁を超えることができるというのは以下で述べた通りです。


文献

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2011年11月23日水曜日

カテゴリゼーションとプロトタイプ



犬と猫の区別はどうやってつけている?

独り言


今日は、「カテゴリゼーションとプロトタイプ」について少し書いておきましょう。

認知科学関係の基本

ネットで色々調べてみると、一口に認知科学といっても、認知主義だの、コネクショニズムだの、エナクティビズム[1]だのと流派があるようで面白いなと思っているわけですが、今日はどちらかというと主観的な経験を扱うほうの認知科学の話題について書いておくことにしましょう。

今日の話題は簡単にいうと「私たちは犬と猫をどうやって見分けているのか?」、また、「どの抽象度で?」というのが今日のテーマというわけです。

もちろん、犬とか猫とかいうのはある意味抽象的な概念で、当然、言語とか記号とかに関連してくる話題になってくるわけです。

簡単に言うと、世界にある概念を帰納して抽象的な概念として犬や猫とは何か?をほとんど無意識に学んでいくというのがひとつ。 また、逆に世界にある物事に対してこの抽象的な概念を演繹して、その物事が何であるか?をほとんど無意識に特定していくというのがもうひとつ、ということになっていくわけです。

 個人的な理解は、「犬と猫をどう区別しているのか?」について個々人の神経系の中に構築された概念データベースと突き合わせをして判断しているというようなことが起こっているのだろうから、このデータベースのモデルがどうなっているのか?というのがここでの興味です。

 それで、現在UCバークレーで認知心理学を教えているエレノア・ロッシュ先生の提唱する「プロトタイプ理論」[2]とカテゴリー化[3]によれば、犬らしい典型みたいなものと、猫らしい典型みたいなものをつかって区別しているようなのですが、この典型にあたるのが基本レベルカテゴリーということのようです。 もっともこれは人によって抽象度とコンテンツが異なるようなのですが、これを現実と突き合わせて「犬」と「猫」それぞれのカテゴリーを区別することができるようです。


これは幼稚園や小学校の時にやった覚えがある「仲間はずれはどれだ?」みたいなことになるのですが、心理療法などになると例えば、高所恐怖症クライアントに対して、そのクライアントの考えている概念としての「高所」がその人の主観的経験としてどう生み出されているか?に関係するので実はカテゴリー化とプロトタイプは非常に重要な概念でもあるように思ってきます。[4]
 
 それと余談ですが、UCバークレーから学士向けの授業の様子がWebcastから無償で提供されていますが、


認知科学系の授業の基本となっているのがこのカテゴリゼーションとプロトタイプなので、これが分かるとどの授業を聴いてもわりとすんなり理解できるというのはありますねぇ。(笑)


追記:カテゴリゼーションとプロトタイプって普段無意識でやって何かと何かの区別をつけているように思いますが、ITの世界で考えると業務とかを観察してオブクジェクト指向でどの抽象度でクラスを切り出してくるか?の発想に似ていますねぇ。 

文献
[4] http://www.amazon.co.jp/dp/0911226419

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2011年11月22日火曜日

TOC思考プロセス9:違いを利用して具体的な行動を考える



A difference that makes a difference.
差異を生み出す差異

グレゴリー・ベイトソン


今日は、「違いを利用して具体的な行動を考える」と題して昨日のトピックの続きを少し書いておきましょう。

違いを利用して具体的な行動を考える

ここで具体的な行動を考えてみましょう。

具体的な行動はTT(Transition Tree)で表現しますが、まず、この手がかりとして使うツリーが2つあります。一つは FRT(Future Reality Tree)、そしてもう一つは昨日書いた PRT (Prerequisite Tree)です。

前に、現状から未来にあるゴールに向かってその道筋を思い描くFTR (Future Reality Tree)について以下に書いています。


TOC的にはFRTの考え方を十分原因の思考と読んでいますが、簡単に言うと現状から未来のゴールを向いて、こうありたい未来が訪れるように、あるいは望ましくない未来を避けられるように、現状から未来へ向けての原因をつくりこんで行く思考になっています。 

 それで、FRTの一部は以下の図のような格好になります。


次に、既にゴールについたものとして仮定し、未来にあるゴールから現在までの道筋を逆算して考えたPRTを活用します。追記:このツリーには具体的なプロセスは記述されていませんが、そのゴールが達成された未来から振り返り、途中の中間目標の場面がこうなっていればよいという、その目標が記述され、(その間に予想される障害が記述され)その目標が連結された格好になっています。

PRTは、昨日説明していますが、以下のような格好になります。



それで、TTを考える場合には、FRTPRTを比較することから考えることになります。
追記:以下は中間目標を達成するための一部分に注意を向けています。



これは、ベイトソンの「A difference that makes a difference.」ではありませんが、現在から未来向けての思考、そして、未来が今起こっているものと考えそこから逆算して考える思考とを比較してみることにします。(二重記述)

余談ですが、観るものと観られるものの相互作用のもと、観察された2つの要素の違いから得られる1つの違い、あるいはその違いが連鎖的に生み出されることがベイトソンの言う情報の定義ですから、あえて違いをつくり、それを比較してみることで新しい情報が生成されるということになります。


追記:山登りのメタファーで考えてみることにします。全体の目標が麓から頂上に上り、そして頂上から麓までに無事戻ってくることとします。 これを話しの前提として、この旅程の一部について考えてみることにします。 それで、上にあるようにPRTとFRTの比較、つまり差異について考えてみることにします。(もちろん、ペースやリソースの配分も考える必要があるため、旅程の全体-部分というのはあたまの隅で意識しておくようにします。)


1.PRTで、例えば、五合目を出発点として七合目の到達を中間目標のゴールとしているとします。この場合、未来→過去を眺める視点を取っています、また、五合目と七合目間にある障害として[落石に注意]のようことを考えたとします。そして、PRTではこの間をどのようなプロセスで埋めるかについては具体的には考えていませんでした。


2.今度は、FRTで五合目から七合目までの具体的なプロセスをどのようにするか?を考えることにします。当然、七合目の到達を中間目標のゴールとし、この目標にロックオンしながら「その目標に近づいていることは五感でどのように分かるのか?」を質問し、同時に、望ましくない結果を避けるために「落石に合わないためにはどうしたら良いのか?」を五感の知覚に戻しながら、つまり具体的なプロセスを思い描きながら、考えることになります。


もちろん、上のようなやり方で「何を行うのか?」と「それをどのように行うのか?」を繰り返しながら、より良いやり方を見つけていくわけですが、このプロセスにおいて、「どういうメンタル・モデルで考えているのか?」を意識しながらこれを行うとダブルループ・ラーニングの形式を取ることになります。[1]

FRTPRTを一部の目標に対して比較した図は以下のようになります。 実際のFRTPRTの要素の中に具体的な内容が書き込まれることになりますが、ここではまずその構造だけを示しておくことにしておきます。




それで、ここでも、意識で考える以外にちょっとリラックスして「眺めて、眺めて、感じ取る」というようなことが必要になると思われますが、2つの異なる種類の思考をぶつけて新しい情報、つまりアイディアを得ようというのがここでの魂胆です。

それで、ざっくり書いておくと、この違いをもとに、抽象度を下げて環境と行動を具体化した以下のようTTが完成することになります。

ここでのポイントは、中間目標として設定された目標を得るために必要最小限の行動を考えることになりますが、ここではその行動を起こすコンテクスト、環境を考えることになります。


 つまり、中間目標を達成するということはそれが得られる条件を整えて行くことに他なりませんが、現状のコンテクスト、環境がどのようになっていてそこに良いタイミングでどのように働きかければ良いのか?を考えた足あとがTTになるということなっています。

TTを書いたその後

それで、この後のプロセスを考えると、必要に応じて、TTを通常のガントチャートに落としたり、あるいはスケジュール表に具体的な行動として書き込んで実際の行動を起こしたりとなっていくわけですが、何れにしてもここで思考の抽象度を上げたり、下げたりしながら描いた4つのツリーと1つの雲が、この行動を起こす場合の指針となることは間違いないと思います。

また、この行動をグループで行う場合は、プロジェクト・マネジメントを行なっていく必要があるのでしょうし、個人で管理する場合は、GTD(Getting Things Done)などを活用していけば良いのではないかと思います。

個人的には、Evernote を中心にTOC のクリティカル・チェーンでGTDを組んでいますが、これはまた別の機会にご紹介することにしましょう。

つづく

文献

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