2011年11月6日日曜日

ダブル・バインドの言語パターン(その7)



禅師が弟子に言った

「お前がこの棒を現実だといったらお前を打つ」 

「お前がこの棒を現実ではないといったらお前を打つ」

「お前が何も言わなかったらお前を打つ」

禅問答


今日は、昨日に引き続き「ダブル・バインドの言語パターン(その7)」と題して具体的には The Illusion of Choice and All Possibilitiesのパターンについて少し書いておきましょう。

選択肢の幻想

認知科学的に人の認知の仕組みと言っても良いかもしれませんが、多くの人は、特に大きなデメリットが無い場合、適当な選択肢をでっちあげ、与えられた選択肢から物事を選びそして行動に移せるように上手く活用しているようにさえ思えてきます。

例えば、同僚と一緒に昼食を取る場合、「和食にする? それとも、中華? イタリアン? 」のような選択肢を提示されれば、たいてい「今日は和食でいきましょう。」と即断即決し、どこかのお店に向かって歩き始めるというように、あまり意識することもなく思考し、行動を起こすトリガーとして選択肢を活用しています。

 つまり、聖書の「始めに言葉ありき」ではありませんが、思考や行動を行う場合、選択肢という概念自体が「自分の認知した世界を言葉や記号を使って二分法的に切り分ける」ことで思考や行動の補助線として非常に重要な役割を果たしていることが分かってきます。それで、これが、認識の中に選択肢をつくりそれから選択肢を選ぶThe Illusion of Choice and All Possibilitiesのうち「Illusion of Choice」という部分です。

 またこれとは反対に、世の中そう簡単に割り切れるものでもありませんし、世の中そう単純でもない世界があるところがまた反対に興味深いなと思うところです。

これについて、自分の認知した世界を単純に二分法で切り分けられれば誰も苦労はないのでしょうが、仕事や日常生活の場面でもある意味、どれを選んでも一長一短、あるいはもっと悲惨な場合は、どれを選んでもデメリットしかない、けれど選ばないわけにはいかないというジレンマ、あるいはパラドクスにあふれた状況が出現する場合があります。まさに矛盾の語源ともなっている、何でも貫くという矛で、何も貫かないという盾を突いてみたら何が起こる?という具合です。

一次的変化と二次的変化

 それでも、パロアルトにあるMRIに在籍した心理療法家のポール・ウォツラィックの提唱した「変化の理論」に照らしあわせてみればそれほど悪いことではないのかもしれないなと思ってくるわけです。[1]

 ウォツラィックはサイバネティックスの研究者であるアシュビーの唱えた一次的変化(First Order Change)二次的変化(Second Order Change)を人や組織に適用しはじめます。[2][3]

 つまり、人や組織をシステムと考え、そのシステムの一部が変化することを一次的変化、一方、システム全体がその根底から変化することを二次的変化と考え、例えば、認識や行動がその全体から変化するためにはどうしたら良いのか?を体系化することになりました。

 一次的変化とは、抽象度の低い「変化」例えば、過去の延長で物事を考えてその枠組の内側で変化するような変化。

 二次的変化とは、抽象度が上がった「変化についての変化」、例えば、過去の延長で考えてはニッチもサッチいかなくなっており、そもそもその問題がどのような枠組みで起こっているのかを考え、その枠組を超えた外側で変化するような変化、ということになります。それで、これが、認識の中に選択肢をつくりそれから選択肢を選ぶThe Illusion of Choice and All Possibilitiesのうち枠組みを変えることも含めてあらゆる可能性を否定しない「All Possibilities 」という部分です。

 このあたりは、パロアルトのMRIで「Hypnosis without trance」というようなタイトルで、ある意味、バインドやダブル・バインドのような禅問答を上手く使うことができれば、心理療法家のミルトン・エリクソンのようなトランスを活用しなくても認識や行動が変化することが明らかにされており[4]、この理論は、認識を変化させるディベロプメンタル・コーチングやトランスフォーメーショナル・コーチングの基本の一つとなっています。

 もっとも、認知主体である人が持っている、認識の枠組みに気づき、新しい枠組み築き、思考や行動を変化させるロジックとしては、チャールズ・サンダー・パースの提唱しているような「アブダクション」、


 あるいは、一般意味論の「Etc.」で説明されるような帰納法となります。

余談ですが、

  私事で恐縮ですが、小学生の時のスケッチ大会。

元々、戦国時代に構築されたその地域の城を描くというのがそこでのテーマだったのですが、生まれつき人と同じことをするのが大嫌いだったということもあり、構図を決める時あたまを下げて又から景色を見てみたら、そのお城の反対側に明治時代の立てられたレンガ作りの市庁舎があったというわけです。

それで、180度向きを変えて、城そっちのけでその市庁舎を書いたわけですが、結果、城ではなくて市庁舎を書いた参加者は私だけということが判明。 まぁ、怒られることはないだろうと思っていたところ、なんと市長さんから特別賞、なんでも自分の「城」を描いてもらって嬉しかったのだとか。

 見ているもの、行なっていることは案外思い込みに規定されているわけで、それを超えることができればブルーオーシャンは至る所にある・・・まぁ、世の中そんなものだというわけです。

文献
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