2011年11月28日月曜日

観察と記述(その1)



経験したことのどこを選んで文章にするのか?は結構難しい課題だよなぁ。
それに、どんな意図を持っているかで経験のどこに注意を当てるのか?がきまってしまうしなぁ。

独り言


今日は、「観察と記述(その1)」と題して少し書いておきましょう。

観察と記述、経験と記号

今日は、「観察」と「記述」ということについて書いておきましょう。

「観察」と「記述」と書くと何やらかしこまった感じになりますが、人類学のフィールドワークのような分野だけではなく、単に日常生活や仕事の場面でも頻繁に使っている概念です。

例えば、日常生活の場面で、友人とおいしい料理を食べていて、その様子を十分に「観察」して、それを経験として十分味わった後に、写真を取る、あるいは、その経験の抽象度を上げて文字として書き綴るというのが「記述」にあたります。

もう一つ例をあげると、仕事の場面で、上司から、出張して実際に製品を使っているお客さんにその場面を見せてもらうように言われます。 この場合も、実際その現場に行ってその場面を経験し、その様子を「観察」し、そしてその経験の抽象度を上げて文字で「記述」し、出張報告書などを作成することになるでしょう。

つまり、普段私たちが普通にやっている行為、それが「観察」と「記述」ということになります。

これをメタファーで表現すると「観察」が演奏されている音楽を聴くこと、そして「記述」がその音楽を楽譜として採譜することということになるでしょう。

このメタファーで考えると、その音楽を聴いたという実際の経験がどんなに感動的で素晴らしいものであったとしても、楽譜にしてしまうと、五感全体で感じる質感を伴った情報が、無味乾燥した静的な記号に変換され、パート毎に、メロディー、リズム、ハーモニーと理路整然と単なる視覚情報に押しとどめられてしまうということが起こるわけです。

もちろん、その曲を練習する時には記号で書かれた楽譜というのは、とても有効な手助けになるわけですが、感動とか曲から得る何らかの感じといった質感を伴った情報のほとんどはそこから落ちてしまうということが起こります。

観察と意図

また、音楽の場合はこういった質感の情報が落ちてしまったとしても、採譜のお約束としてメロディー、リズム、ハーモニー、それに強弱といったことが義務付けられているという約束になっていため、最初からこれを「観察」する意図を持って採譜すれば良いため、何か特定の情報が大きく欠落するということが起きにくいと思われます。

しかし、上で述べた「出張報告書」のような場合だと本当はきちんと観察して報告しなければならなかった項目に焦点が当たっていなかったために、報告しなければならなかった項目が落ちてしまうということが起こってしまいます。

もちろん、最初から強い意図や目的を持って観察することも考えられますが、最初からこれをガチガチに設定すると以下で書いた目的外の発見であるセレンディピティを起こすことは難しくなってしまうということになってしまいます。


もちろん、上の例は二項対立になっているため、これを解決するには二項対立にならないように抽象度を上げたメタ目的、メタ意図を持って観察すれば良いということになるわけですが、少しゆるい目的な意図だけ設定して以下で書いた周辺視野なども使いつつ、



純真な子供のような視点から特定の意図を持たずに観察してみるというのは案外難しいものなのだなと思う今日この頃でもあったわけです。



文献
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