2011年11月2日水曜日

ダブル・バインドの言語パターン(その4)



自分が何を考えているか?それを観察しているメタな視点の自分と、 単にそれを感じている二人の自分を分けたら何が起こる?

独り言


今日は、昨日に引き続き「ダブル・バインドの言語パターン(その4)」と題して具体的には The Double-Dissociation Double Bind のパターンについて少し書いておきましょう。

意識と身体感覚を分離する

今日は、ミルトン・エリクソンの The Double-Dissociation Double Bind について書いておきましょう。

この言語パターンはある意味、少し凝った禅問答のような形式になっているわけですが、意識と知覚を上手く使って、自分の経験や想起から創造的問題解決のヒントを探る変性意識の状態に入ることを可能にします。

それで、この言語パターンは一見何を言っているのか?理解するのが難しいところがあるわけですが、現象学や認知科学的の視点から見てみると非常に緻密に設計された言語パターンであることが分かってきます。

一例を示しておくと

You can as a person awaken but you do not need to awaken as a body. [Pause] You can awaken when your body awaked but without a recognition of your body

のように活用することになります。[1]

まず、最初のセンテンスで自分の思考に対して注意を向けメタ認知を促します。同時に、身体が何かを知覚して感じていることについて、ネガティブコマンドを使って注意を向け、思考、と知覚を別々のものとして分離(Dissociate)してもらうようにします 。 もちろん明示的に、メタ認知している意識と身体の感覚を無理やり分離してもらっているわけではなく、それらが別々のものであると意識したことで自然と分離が行われていることになります。

 これをあえて意訳すると、「あなたは自分が何を考えているのか? その考えについて考えることができます。 しかし、同時に、体の感覚で何を感じているのか?に注意を向ける必要はありません。」

分離の後の禅問答

次に絶妙の間を取り、こんどは身体感覚のほうに注意を向けるような言語パターンになります。 ここでは、禅問答の「片手の拍手の音を聞け」のように論理的には矛盾が含まれていている形式が取られます。

ここでは2つ目のセンテンスを意訳すると「あなたの身体が覚醒する時、あなたは覚醒することが出来る、でも身体が覚醒しているかどうかはあなたには分からない・・・」ここでダブル・バインドが設定されていることになります。

 もちろんここで「片手の拍手の音を聞け」のように矛盾を何らかの対立として参照している系からジャンプして、ベイトソンの Theory of Mind からすると、対立とは別の論理階型の上位にある別の意識状態に抜けることが期待されているわけですが、個人的には、ある意味禅問答と同じ構造になっていて非常に興味深いなと思っているわけです。

文献
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