2011年11月15日火曜日

TOC思考プロセス2:CRTについて



地図はそれが示す領土にあらず

アルフレッド・コージブスキー


今日は、「CRTについて」と題して少し書いておきましょう。

TOC思考プロセスのCRTについて

TOC思考プロセスについては一つ前の記事で書きましたがここではCRTについて少し書いておきましょう。

昨日、CRT、については以下のように説明しています。

ツールの名称
タイムライン
説明
CRT
(Current Reality Tree)
過去→現在
現状把握(AS-IS
「何を変えるのか?」の質問に対する変える対象を探すためのツリー。
起こっている課題、問題の現状がどのようなプロセスの連鎖で起きているのか?を因果関係、因果ループで把握する。その問題を起こすに足りる十分原因を把握する。課題、問題を解決する際の足場となる。

それで、CRTは基本的に現在起こっている現象、事象がどのようなプロセスの連鎖で起こっているかを因果関係の連鎖で書いていくツールですが、ここに人や生き物の認識が絡んでくるとこれが結構難しくなってきます。

どうして難しくなるのかを少し書いておきましょう。

例えば、こういったことを考えましょう。 私はよく川辺を散歩するのですが、この時川の中にお弁当を食べた後のパッケージがコンビニの袋に入れられて捨てられていることがあります。 

それを見ると単純に「お弁当を食べた後のパッケージを川に捨てるとはけしかん」、「ぷんぷん」と少し感情的に考えてしまいがちになるわけです。


ここで「お弁当のパッケージを誰かが川に捨てたってどうしてわかるのですか?」というようなソリューション・フォーカスの質問を行うと、実際にはそれが捨てられたところを見たわけではないわけで、実際に誰かが川に捨てたかどうかというのは一つの可能性であることがわかってきます。 逆の言い方をすると「何が原因でお弁当のパッケージが川に浮かんでいるのか?」というような事実に基づいた原因究明は結構手間がかかるということになってきます。

それで、おそらくここで何らかの判断が必要だと思います。第一のケース、例えば、製造業のラインあるいはソフトウェアの工程の不具合で製品の品質が悪くなっているような場合、このような場合はおそらくきちんと原因究明を行う必要があるでしょう。このような原因究明を行い根本的な原因についての対策を行うことでオセロのコマが味方の色にひっくり返るように問題が消失するようなことが起こります。

 それで、今度は第二のケースです。 物理的な状況に人の認識が絡んでくるような場合、ちょっと事情が異なることがあります、このような場合原因究明というようなことを行う前に、「最終的にどうなっていれば良いわけ?」というな解決に意識が向くような質問をすれば、原因を究明するよりも、解決に目が向き、個別案件として「このお弁当のパッケージをゴミ箱に捨てられていればよいのですよ」とか、もっと根本的な解決策として「一週間もすれば水に溶けるお弁当のパッケージを開発すれば良いのですよ」というような話になって、一つひとつの原因究明が無意味になるというようなことが起こるわけです。

地図(認識の世界)と領土(物理的世界)の区別をつける

それで、上のような状況を踏まえてあれこれ書いておきましょう。

物理的世界で起こっている因果関係を考える場合は、やはり論理的な認識の世界との相互作用を考える必要があるように思ってきます。

 

それで、

    認識されるものと認識する者との間に相互作用が存在する。認識する者は普通は人であり、かつ主観的な信念・価値観といったフィルターを通して物事を観るために観察対象に信念・価値観が投影されどうしてもバイアスがかかる傾向があります。

    一般意味論創始者であるアルフレッド・コージブスキーが言った「地図はそれが示す領土にあらず」のように、認識の世界(地図)と物理的世界(領土)との間には直接の因果関係は存在しません、しかし、ベイトソンの Theory of Mind によると高次の認識は、物理的世界に働きかけを行う行動に大きな影響を及ぼすため、「認識の世界」と「物理的世界」の相互作用を無視するわけにはいかないことがわかります。

    それで、物理的な時空でのみ成り立つ因果関係について、事実を素直に観察しないで自分の信念・価値観に基づいた推測が行なってしまう危険があります。


それで、これを防ぐためのコツを少し書いておくことにします

    現象と原因の区別をつける。起きている現象、事象を事実にもとづいてしっかり観察する。この場合、五感で観察できる、現象、事象それ自体が原因ではないことに注意しましょう。
    地図と領土の区別をつける。物事を考える上でこれが非常に悩ましいところです。論理的な認識は物理的世界に働きかける行動に大きな影響を及ぼします、ある意味「心と体は相互作用する」ということなのですが、この間に決まった因果関係は存在しないというというところが重要な点だというところでしょう。逆の言い方をすると、ある出来事が起こったからといって万人が同じ認識に基づいて同じ意味づけをし、同じ反応をするわけではないとなってきます。もちろん、これが物理学的な現実世界で無生物の場合、条件が一定ならばニュートンの法則などに基づいて同じ結果が得られるということになるわけです。 もっとも、そのことがベイトソンがグノーシス派の哲学を援用して無生物の世界をプレローマ、生物の世界をクレアトゥーラと言っている所以となるわけです。[1]

余談ですが、ここで終わると単なるデカルトの二元論とも思われてしまうので少し書いておきますが、直観を働かせるには、これらを分けた後、あえてそれらを再度ひとつとして観るというのは必要だと思います。

文献
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