2012年12月31日月曜日

2012年のまとめ

                                 

 ちりも積もれば山となる。(笑)今年を振り返ると、(人や組織の認識や行動の変化をどう創発させるのか?というテーマがあって)個人的には暗黙知の象徴としてのミルトン・エリクソン技法を形式知の象徴としてのグレゴリー・ベイトソンの立場から日常生活や仕事の場面で色々試してみて書き綴った1年ということになったと思います。もちろん具体的なことは機密保持とかあってかけませんけれどねぇ・・・・(笑)。

 それで、本来暗黙知と形式知は表裏一体の一つの実体2つの側面として見たり感じたりしないといけないと思いますので、多分、来年も同じようなスタンスで由無し事をつらつら書き綴っていくことになると思います・・・・

それで、今日は、365記事の中からアクセス数の多かった記事を選びそのサマリーを書いておくことにしたいと思います。
 
独り言


今日は、「2012年のまとめ」について書いておきましょう。

ベイトソンの視点でエリクソンを観察した1年・・・(笑)・・

 不思議と500日以上も連続してこのブログを書いて普通の人が見ると単なる「暇人」のように思われるのかもしれません・・・(笑)それで、2012年も暮れようとしている今日、アクセス数の多かった記事を月単位で少しまとめておくことにしたいと思います。

1月

「エリクソン催眠と合氣道」

  元ネタは合氣道有段者のネオ・エリクソニアンのスティーブン・ギリガン博士なのですが・・・エリクソンの技法には目的達成のためには活用できるものはなんでも活用するというユーティライゼーション(Utilization)という概念がありますが、結局、これは合氣道の達人のようなセンタリングされた心構えが必要ですよねぇという話でした。

2月

「人の情報処理のモデルとIT機器の情報処理モデルは同じ」

 ブリーフ・セラピーの人の情報処理モデルはベイトソンがサイバネティクスの概念を持ち込んでいるのでIT機器の情報処理モデルと同じような感じになりますよねぇという話でした。ついでに、Cisco CCIE認定エンジニアが日本で最も優秀なブリーフ・セラピスト予備軍じゃないの?という話(笑)。もちろん、普段が機械を直すロジックで、人の心を見ている一面もあるので、ロジカルな人ほどブリーフ・セラピーのモデルは使い勝手が良いですねぇという話になるのかもしれませんけれども・・・もちろん、人は機械じゃないよねぇというところは考えておかなければいけませんけれどねぇ・・・

3月

「ミルトン・エリクソンの言語パターン」

もちろん、ここで注意するのはエリクソンが喋った結果としての言葉を統語論や意味論や語用論で見たらという事後の話なので、この考え方をクライアントに適用して同じ結果が得られるか?というのは別問題となってきます。それを考えおかないと単にスクリプトを読めば効果的な催眠が出来るとか、NLP(神経言語プログラミング)のミルトン・モデルを喋れば効果が得られると考える単純でお馬鹿な人たちになってしまいます。もちろん、ソリューション・フォーカスト・アプローチなどはこの言語パターンを頭に入れつつも別のパターンをつくりだしているというところが面白いところなのでしょう。

4月

「ミルトン・エリクソン 状況設定の妙技」

 基本的には4月もミルトン・エリクソンの言語パターンをダラダラ書いたことになったわけですが、要はストリーの語り部としてのミルトン・エリクソンがクライアントに対してどのように効果的な状況設定を行ったのか?ここが一番のポイントになるように思ってきます。

5月

「ミルトン・エリクソンからの派生した心理療法を図にしてみた」

 ミルトン・エリクソンから派生した心理療法を俯瞰的な図にしてみたのがこれ。これを読むと日本の学術系の先生方がきちんとエビデンスのある心理療法を日本に導入しているのがよく分かってきます。もちろん、ここでNLP(神経言語プログラミング)を排除しているわけではないけれど、やっぱり二重盲検やメタ分析したエビデンスがないのだから、これを示してくれるまでは公的機関や学校などで教えるのは保留するというのが正しい態度なのだと思ってきます。

6月

「ミルトン・エリクソンの治療戦略を理解する」

 これもエリクソン関係の著作を紹介したものですが、3人の著者のうち2人がエリクソンの次女のベティ・アリスと3女のロキサンヌという清く正しいエリクソン本。現在は、ロキサンヌ・エリクソンはエリクソン財団の代表理事を勤められていたと思いますが、エリクソン財団は非営利でこれまた清く正しく公平に運用されていたと思います。もちろん、ここで清くない、正しくないのはどこだ?とか考えてはいけませんけれど・・・・(笑)。

7月
「ミルトン・エリクソン関連書籍、はじめの1冊」

今年は日本人の先生方が書き下ろした「現代催眠原論」というタイトルの素晴らしい本が出てしまったのであれですが、英語を読めるのだったらこの本はまじめにお薦めです。

8月

「組織の問題解決のためのリフレーミング」

企業でも団体でもしきたりとか文化、ルールなどの枠組に囚われているので、その枠組を超えて問題解決しましょうというご提案ですねぇ。これについて100ページくらいのエッセーを書いたのだけれど Kindle ストアででも販売しましょうかねぇ(笑)。そういえば、峯本さんからこんな記事を教えてもらったんだった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20121210/240825/?rt=nocnt

9月

「オントロジカル・コーチングのAOR+BELモデル」

オントロジカル・コーチングはウンベルト・マトゥラーナのほうのオートポイエーシス論とかウィトゲンシュタインとかの話になってくるのは個人的にはとても好みです。それで、個人的に推測するにオントロジカル・コーチングって「会社を上場させてお金持ちになった、家族にも恵まれた、生活にとくに不自由はない」でも「自分なりの生き方、在り方、成り方」はまだ追求できていない、みたいな、人向けのとても高級なコーチングだなぁと思ってきますねぇ。間違っても、「お金持ちになりたい」「モテモテになりたい」とかの即物的な『成功』を目指している次元の人が使ってもおそらく良さが分からないと思います・・・(笑)。ちなみに、オントロジカル・コーチングの生みの親であるチリ出身のジュリオ・オラーラは、突然のクーデターでピノチェト軍事政権が出来た時に国を追われ、米国に亡命し、ピノチェト政権が倒れた後にチリに帰国して大臣になっている日本で言うと明治の元老みたいな人生を送っている人なのですよねぇ。こういう人の生き様そのものに興味がわきますねぇ。

10月

「一般意味論:外在的思考を身につける」

 現在の認知科学的の視点で見ると一般意味論はちょっと古くさいところもあるけれど、言葉と神経がどのように作用しているのか?を考える場合一般意味論はまだまだ現役のところはありますねぇ。

11月

「ソリューション・フォーカス技法」

時期的には10月の末から書き始めたスティーブ・ド・シェザー、インスー・キム・バーグらの体系化したソリューション・フォーカスト・アプローチについて色々書いてきましたが、色々なことが氷解したところがあります。個人的にはミルトン・エリクソンの技法を組織マネジメントや問題解決、創造性の発揮に持ち込みたいと考えていたのですが、1)エリクソンを学ぶには10年仕事になる 2)MRIは普通のビジネスパーソンには少し難しい 3) NLPはエビデンスがないのでそもそも論外 、というようなことになっていたわけですが、まぁ、普通の人向けにミルトン・エリクソンやグレゴリー・ベイトソンのエッセンスを伝えるという意味ではソリューション・フォーカスト・アプローチは最適だなと改めて考えたところだというわけです。

12月

「ひたすら、ソリューション・フォーカスト・アプローチ」だけれども・・・

 問題解決のパターンには1)決断 2)修復 3)改善 4)創造、があるらしいです。もちろん、それぞれが微妙にオーバーラップすることもあると思います。それで、ソリューション・フォーカスト・アプローチについて書いては来たのですが、日常生活や仕事の場面でも、「現在の問題についてどのような要素が連鎖して起こっているのか?」のように問題に焦点を当てて考える必要がある時には考えておかないといけないよねぇ。これってMRIアプローチですけれどねという話になってくることを書きました。必要に応じて道具を選ぶというのはやはり大切なことだということなのでしょうねぇ。

 さて、2012年が修了し2013年がやってきますが、皆様良い年末年始をお過ごしください。絵馬でも書いて奉納しておくか、書き初めをするかなぁ~

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/11/20.html

(つづく)

 文献
N/A


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年12月30日日曜日

戦略サファリ 第二版

                                  

10年前に比べて自分でもメチャメチャ強くなったと思うのは認知の部分かなぁ~

まぁ、流派的にはコグニティブ・スクール所属ちゅうことで・・・・・・(笑)。
 
独り言


今日は、「戦略サファリ 第二版」について書いておきましょう。

10年前はちんぷんかんぷんだったけれど・・・・・

 ヘンリー・ミンツバーグ著「戦略サファリ」の第二版が出ていたので少し書いておきます。

  初版は1999年の出版で、この時「戦略サファリ」を読んだ記憶があって、その時は正直、ちんぷんかんぷんで何を言っているのか?どんな意味があるのか?まったく理解不能だったのですが、それから10年少しを経て第二版の「戦略サファリ」を読むと、結構納得できることも多くて、その意図も随分分かってきたように思うわけです。

 企業経営というのはある意味社会科学的な要素が強く、自然科学のように何らかの法則を当てはめれば上手に経営できるといったことがないため、ミンツバーグは色々な学派のフィルターを通して企業の戦略や戦術、あるいはオペレーションなどを多面に見てはいかがでしょうか?と提案してくれているように思えてきます。まぁ、それぞれの流派に偏るのも一長一短あるでしょうし、バランスを重視しても、これまた・・・というのもあるのでしょうが・・・・・本書は各流派についてのちょっとしたパロティや皮肉だと思って、ニヤニヤして読むのが正しい読み方のようにも思えてきます(笑)。

 特に戦略系は目に見えない認識の世界の中で行われることになりますから、認知行動療法のような構成主義ではないですが、認識の世界で構築される戦略と物理的な空間で行動として示され製品やサービスとして具現化される戦術やオペレーションの世界との関係性が非常に重要になってくるように思います。

 それで、目次を見ると、一見脈略のない戦略や戦術を考え、そして実践するための切り口としての流派が10示されていることになります。 

第1章  サファリ・ツアーのねらいと構成
[さあ皆さん、戦略マネジメントという獣の登場です!]
第2章 デザイン・スクール
[コンセプト構想プロセスとしての戦略形成]
第3章 プランニング・スクール
[形式的策定プロセスとしての戦略形成]
第4章 ポジショニング・スクール
[分析プロセスとしての戦略形成]
第5章 アントレプレナー・スクール
[ビジョン創造プロセスとしての戦略形成]
第6章 コグニティブ・スクール
[認知プロセスとしての戦略形成]
第7章 ラーニング・スクール
[創発的学習プロセスとしての戦略形成]
第8章 パワー・スクール
[交渉プロセスとしての戦略形成]
第9章 カルチャー・スクール
[集合的プロセスとしての戦略形成]
第10章 エンバイロメント・スクール
[環境への反応プロセスとしての戦略形成]
第11章 コンフィギュレーション・スクール
[変革プロセスとしての戦略形成]
第12章 新たなるパースペクティブ
[皆さん、ちょっと待って。まだ獣全体に出会ったわけではないのだから。]

 それで、個人的な立場は、コグニティブ・スクール、あるいはラーニング・スクールの側面が非常に強いと思っています。本書ではコグニティブ・スクールとしてグレゴリー・ベイトソンが、ラーニング・スクールとしては野中郁次郎先生のSECIモデルなどが示されています。

もちろん、紹介されている10の流派について、本書ではサマリーとして書いてあるため、個人的には、正直コグニティブ・スクールとラーニング・スクールに関して少々物足りないところもあるのですが、逆の言い方をすると10数年前に読んだ時は何がなんだか分からなかったことから考えると、知らない間に人間は何かを学んでいるものだなと思っているわけです。

 もちろん、企業の戦略を自然科学的な因果関係や統計に基づいた相関関係だけで立てるのは無理があるわけですし、そこに唯一の正解があるわけでもないということは本書を通じて感じる非常に強力なメッセージのように思えてきます。

 結構行間を読まなければいけないところもあるように思うのですが、色々な切り口が用意されているという点では非常に楽しめる一冊のように思えてきます。 

(つづく)

 文献
N/A


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年12月29日土曜日

効果的にコラボレーションするための7つのポイント

                                 

人と人は、どのようにコラボレーションすると効果的なのか? もちろん、そもそも論を考えると人と人との関係性とか「場」という話になってくるとは思いますが・・・・

独り言


今日は、「効果的にコラボレーションするための7つのポイント」について書いておきましょう。

原則は簡単だけれども、実行するのは案外難しいのかも

 人類学者のグレゴリー・ベイトソンを引用した「効果的にコラボレーションするための7つのポイント」が書かれたドキュメントがワシントン大のサーバにのっかっていたのでこれについて簡単にサマっておきましょう。[1]

1.    相手の善意を仮定する:相手が自分に不都合な意見や行動を行ったとしてもそれはその人なりの善意(Positive Intention)で行なっていると仮定してみる。
2.    一呼吸おいて間を取る:相手の言動に脊髄反射的にいちいち反応しないで間を取る。
3.    言葉を置き換えてみる:相手の言葉に対して自分なりの言葉に置き換えて(パラフレーズ)相手に質問してみる。「私なりの理解ですが、それはこういうことですか?・・・・」
4.    言葉を具体化してみる:相手の言葉を質問しながら具体化してみる。「それは、具体的にはこういうことですか?・・・・」
5.    先入観をなくしてアイディアを眺めてみる:出てきたアイディアについて先入観をなくして、「そういう考え方もあるな」と眺めてみる。
6.    自分と相手に注意を払う:そのアイディアがどのようにして出てきたのか?その背景に注意を払ってみる。相手の反応をよく見る。関係性に注意を払う。
7.    主張と質問のバランスを取る:自分の主張と相手への質問のバランスを取る。主張し過ぎない。

状況にもよると思いますが、認識の違いに気づいたり、意見を調整したり、ブレストを行ったりというところでは役に立つように思ってきますねぇ。余談ですが、昔マイクロソフトのレッドモンド本社に出張した帰りに近所にあるワシントン大学に寄った記憶があるのですが、このあたりの気候は雨が多くて鬱々としていたけれど、キングサーモンとかスティール・ヘッドが入っているサーモンサンドはとても旨いという印象のですよねぇ(笑)・・・・まぁ、あんまし関係ない話ですれど・・・・・

(つづく)

 文献
[1] http://courses.washington.edu/webrhet/bis384/documents/collaboration.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年12月28日金曜日

情動をメタ認知する

                                 

ブルース・リーが映画「燃えよドラゴン」で言っているところの「Emotional Content」というのは結構深い意味があるのだよねぇ、認知科学的にも・・・・(笑)
 
独り言


今日は、「情動をメタ認知する」について書いておきましょう。

認識論ベースのコーチングの原則はブルース・リーにあり

  Youtube にブルース・リー主演の「燃えよドラゴン(Enter the Dragon)」の有名なシーンがアップロードされているわけですが、ブルース・リーはやはり認知科学的にはかなり深いことを言っていたのだなぁと改めて気づくところがあります。


 この中でブルース・リーは「 Emotional Content」と言っています、この字幕では「五感」と翻訳されていますが、厳密にはこれは正しくありません。

 Emotion (情動)は、を簡単に説明すると、認知科学的には、世界観(Model of the World)と今ココの経験(Experience)の差分によって生じるとされています。[1]

 つまり、世界観というのは、フレームとかスキーマと言い換えても良いと思いますが、認識主体にとって想定される世界となります。一方、実際に今ココで経験している世界というものもあるわけであり、この世界観と実際の経験との差分から情動が起こってくるということになります。また、想定から外れれば外れるほど情動はより強くなるといったことになります。

 それで、ブルース・リーは。怒り(Anger)と単一な情動ではなく、「俺は、 Emotional Content と言っているだろう」と非常に意味深なことを言っています。これは、自分の情動の内容を対象として眺めてみろといっているわけであり、これまた認知科学的には、個々の情動(例えば怒りにとらわれるのではなく)自分の情動をメタ認知[2]した状態になってかかってきなさい、と言っているように思えてきます。

 また、「月を見ろ、それを指す指を見るな」ということを言っていますが、これも以下のリンクで書いたように非常に深い意味のことを言っているように思えてきます。

http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/blog-post_22.html
http://ori-japan.blogspot.jp/2012/11/blog-post_17.html

 それで、このYoutubeの映像を視聴すると武道だけではなく、認識論をベースにしたコーチングのメタファーのようにも思えてきますが、結構認知科学的には凄いことをいとも簡単に言っているようにも思えてきます。

(つづく)

 文献
[2] http://en.wikipedia.org/wiki/Metacognition

2012年12月27日木曜日

交渉人ミルトン・エリクソン

                                  

 ゴルゴ13の代わりに主人公が催眠療法家のミルトン・エリクソンだったらどんなドラマが展開するのだろうかねぇ?(笑)。

独り言


今日は、「交渉人ミルトン・エリクソン」について書いておきましょう。

ハイジャック犯との交渉相手がミルトン・エリクソンだったら?

ドラマの始まりは、米国国内線の旅客機。着陸15分前にトイレに立つ男。その男に席につくように諭す、連邦航空保安官。男と保安官はもみ合いになり、男は保安官の拳銃を奪い発砲。機内は騒然となる。

男は操縦席へ向かい、機長に機を南米へ向けるように要求、それが受け入れらない場合は体に巻いたプラスティック爆弾を爆発させると恐喝する。

飛行機は空港へ着陸するが、狙撃しようにも目標は2km先、そこへFBICIAからゴルゴ13に男の狙撃依頼が行われる。

というようなシーンがさいとう・たかを原作の「ゴルゴ13」の1シーンにあったことを思い出します。

もちろん、ネタバレになるのですが最終的にはゴルゴ132km先から犯人の頭を撃ちぬいて人質は全員無事に開放され、ゴルゴ13はセスナに乗って去っていくというのがこのラストシーンとなります。

それで、個人的には想像力をふくらませて、もし、心理療法家のミルトン・エリクソンが犯人と交渉したらどうなるのだろうか?と考えてしまったわけです。

もちろん、この話は個人的な思いつきではあるのですが、米国防総省の関連組織である米国国防技術情報センター(DTIC)から提供されている「RESPONSE TO HOSTAGE TAKING FOR MEDIUM AND SMALL SIZE LAW ENFORCEMENT AGENCIES[1]という論文の中に、少人数の人質を取った犯人との交渉にミルトン・エリクソンの技法が活用できないかどうかについて書かれた項目が存在しているのを興味深く読んだ次第です。

それで、ゴルゴ13の代りにFBICIAがミルトン・エリクソン(のような人物)に犯人との交渉を依頼したところを想像すると、エリクソンはマイクを通じて犯人と話を始め、何か訳のわからない話をしているうちに犯人が突然戦意を喪失してしまう、とか、あるいはトランス状態に陥って居眠りを始めてしまってその間に SWATが突入するとか、色々考えられるわけですが、映画やアニメとして面白いかどうかは別にして、もっとも死人が出ない安全な方法のような気はしてくるわけです。

個人的には手塚治虫原作の「ブラック・ジャック」にミルトン・エリクソンが登場してなんらか面白いストーリーを展開して欲しいような気もしてくるわけですが、何れにしても人とのコミュニケーションという意味ではミルトン・エリクソンのスタイルというのは色々研究する余地がありそうだなというところは分かってくるわけです。

(つづく)

 文献
[1] http://www.dtic.mil/dtic/tr/fulltext/u2/a265597.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年12月26日水曜日

一般意味論をメガネにミルトン・エリクソンを観察すると

                                 


 グレゴリー・ベイトソンがその著書『精神と自然』で述べている「コーズィブスキーは、哲学者としての立場から、人間の思考に規律を持たせたいと願って、あの言葉を述べたものと思われる。しかしそれは成功することのない企てである。彼の言葉を、人間の精神過程の自然史という視点から見てみると、事情はさほど単純ではないのだ。」というのは結構深いのだよなぁ~、ちなみにあの言葉というのは「The map is not the territory.」ですねぇ。

独り言


今日は、「一般意味論をメガネにミルトン・エリクソンを観察すると」について書いておきましょう。

一般意味論をメガネとしてミルトン・エリクソンの技法を見てみる

このあたりは私の立ち位置が微妙なために実は説明するのが難しいところでもあるわけですが、わたしと「一般意味論」の関係について少し書いておきましょう。

個人的には、「一般意味論(General Semantics)」は非常に面白い概念だなと思っているわけですが、ある意味少し冷めたところもあって、コトバは悪いですが、一般意味論の熱狂的な信奉者としてこれを普及することに時間を使おう、とは微塵も思っていないというところがあります。

 「でも、一般意味論について色々書いていますよねぇ?」と質問されるとその通りなのですが、個人的には実は一般意味論を「ミルトン・エリクソンの技法を観察する時の一つのメガネ」としか考えていないところがあります。比喩で言うと、赤外線を感知するようなこのメガネをかけると肉眼では見えないものが見えるといった感じだと思います。つまりプラグマティズムの点からエリクソンを観察するフレームワークの一つとして使えるのだったらとりあえず使ってみましょう、というのが私の立場ということになります。


 
一般意味論的に「しょうもない」質問

 これについてもう少し説明してみましょう。Society of General Semantics のサイトに「A Continuing Education Guide to Teaching General Semantics[1]とタイトルのついた以下で紹介したドキュメントの元ネタについてのリンクが存在しています。


このドキュメントの中に「Asking Constructive QuestionsOnes That Show an Extensional Orientation」といった項目が存在します。簡単に言うと、「しょうもない質問はするな!」ということになるわけですが、一般意味論的にこの「しょうもない質問」つまり Unsane な質問が定義されています。要は、「問題の解決やそれを解決する行動につながらない質問、逆にいうと玉子が先か鶏が先かのような無限ループの推論に入るような質問」がこれにあたりますが、一般意味論的には、このような質問をしてはいけませんよ、という原則が示されていることになり、例えば、一般意味論をベースにしたコーチングなどにもこの原則が引き継がれていることになります。

一般意味論で Insane とUnsaneを区別する


余談ですが、一般意味論では、一般的に Insane(正気ではない)Unsaneが区別されています。コージブスキーの定義によれば、「"The difference between unsane and insane is that unsane doesn't necessarily get you into trouble." G.s. uses "unsanity" to mean something like "having a map that doesn't describe the territory accurately."」と書かれており、Unsane の状態がいつもあなたに問題を引き起こすわけではないということ、また、少し比喩的ですが、Unsaneは、地図に対して土地そのものがきちんと反映されていない(誰にでもある状態)だと定義されている点はおさえておくておく必要があります。例えば、コトバとそれが示す実体に明らかに齟齬がある状態がUnsane ということになってくるわけであり、これは日常生活や仕事の場面で誰もが経験していること、となります。

話をもとに戻して「しょうもない質問」について、具体的な質問の例を書いおくことにします。例えば、「私は成功するのだろうか?」がこの質問にあたります。これは自己啓発などで、「この教材を買うと金持ちになれますか?」とか「このセミナーに参加すると成功しますか?」といった「しょうもない質問」です。

一般意味論では解決を引き出したり行動を起こしてもらう方向で質問する・・・けれどエリクソンは・・・


一般意味論では、「しょうもない質問」は具体的な解決策や行動にはつながらないと考えており、「私は成功するのだろうか?」と質問する代りに「仕事の面接にパスするためにできる最適なことは何だろうか?」とか、「私はなぜ、裕福な家庭に生まれなかったのだろうか?」の代りに「裕福になるために今、私に出来ることは何だろうか?」と質問する、つまりUnsaneの状態に陥ることを防ぐように質問しましょう、という一般意味論の方向性が示されています。

さて、一般意味論をメガネといった理由を説明することにしましょう。ミルトン・エリクソンの心理療法を対象として一般意味論を通して観察すると、エリクソンが意図的にクライアントの地図と土地が一致しないように混乱させている場合があることがわかってきます。

つまり、一般意味論的な視点で言えば、ミルトン・エリクソンは独特の言語パターンを駆使して Unsaneの状態を意図的につくりだしているところがあるということになります。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/02/blog-post_29.html

もちろん、UnsaneSaneの状態にしようとするのが一般意味論の基本的な方向となるわけですが、ミルトン・エリクソンは場合によっては Unsaneを敢えて増幅する方向に持って行っているようなところが観察されるということになるわけです。

それで、この方向性というのも、あくまでも一般意味論をエリクソンの心理療法を見る一つのメガネとして使っているので見えてくるというところがあるわけです。逆に言うと、ミルトン・エリクソンが行なっていた心理療法は一般意味論で推奨している方向性とはむしろ逆だったことも多いということにもなってくるわけですし、このUnsane という怪しい言葉にミイラ取りがミイラになる方向でどっぷり浸かってしまうとエリクソン=へんてこスピリチュアルのような方向になってくるのだと思います。

もちろん、逆にそうならないのは、一般意味論をメガネとして使っているから、エリクソンの技法を良い悪いは別にしてメタ認知のモードで見ているから・・・ということになってくるわけです。つまり、一般意味論というカタにはめてみたけれど、そこからはみ出していることは分かった、でもこのカタが知らず知らずのうちにへんてこスピリチュアルに行かないための命綱としては機能していますね、ということになってくるわけです。

もちろん現在となってはコージブスキーの著作である「Science and Sanity(科学と正気)1933」が「科学」とは謳っているものの、現在の認知科学などに照らしあわせて科学なのですか?と問われると少々怪しいところもあるのは事実なのですが、個人的にはとりあえず命綱の一つとしては機能しているように思ってきます。

それで、余談ですが、エリクソンの心理療法は一般意味論の定義でいけば「地図と土地」の関係を主に言葉を通して混乱させて Unsane の状態をつくりだしているのであって決して Insane ではないというところも注意が必要なのだろうなと思っているわけです。もちろん、何が Unsaneで何がInsaneなのかもとりあえず個人的には一般意味論のメガネで見て区別をつけているというのが今日のオチなのかもしれませんけれどねぇ。(笑)

(つづく)

 文献
[1]http://www.generalsemantics.org/wp-content/uploads/2011/04/a-continuing-education-guide-to-teaching-general-semantics-by-martin-h-levinson.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年12月25日火曜日

リフレーミングについての考察(その4)

                                 

 家族療法や短期療法で活用するリフレーミングは何を対象にして使うのか?と考えると当然クライアントの認識の枠組ということになるのでしょうが、実際にこの枠組をどのように捉えるのか?を考えると結構深いところに行き着くのですよねぇ。(笑)

独り言


今日は、「リフレーミングについての考察(その4)」について書いておきましょう。

リフレーミングの難しさは何か?

 元々心理療法の一つの流派である家族療法から派生した主に言語を使ったリフレーミングについて書いておきたいと思います。[1][2]

リフレーミングとは元々、セラピストがクライアントの持つ認識の枠組を想定してクライアントの話すコトバを聴いて、そしてセラピストが自分のコトバを通じてクライアントの認識の枠組に何らかの影響を与える技法と定義できるでしょう。

リフレーミングが上手く決まれば、文字通りクライアントの持つ認識の枠組あるいは、知覚や認識のプロセス自体が変化することになる、簡単に言うと物事の見方や感じ方そのものが変わるわけですが、実はここに論理的な飛躍が存在しているということもあります。

構成主義的に考えるとコトバは知覚や認識の単なる補助線でしかなく、コトバと話し手の間にある関係、つまり、コトバと話し手の持つ質感を伴ったイメージやそこにある意味の間に因果関係は存在していないということに行き当たることになります。これは、セラピスト側からするとクライアントのコトバをこう聴けばかならず100%クライアントの持っている枠組が分かるということもなければ、逆にこういう話をすればかならずクライアントの枠組に影響を与えるという話法もそこに存在していないという点があげられます。

何をリフレーミングの対象とするのか?

心理療法家のミルトン・エリクソンに影響を受けている家族療法家や短期療法家が何をリフレーミングの手がかりとしたのか?を考えると非常に興味深いところに行き着きます。

比喩ですが、リフレーミングは合氣道の投げ技のようなところがあります。これは相手の手を取ったり、襟首を掴んだり・・・・ということになるわけですが、リフレーミングの場合相手のコトバの何を掴んで投げたら良いのか?と考えると非常に深いところに行き着きます。

·        リフレーミング対象を単語だけで捉えない

最初に日本だと「リフレーミング辞書」なるものをネットで見ることが出来るのですが、個人的にはこういった発想はあまりお勧めすることはできません。その理由として一つは、リフレーミングの対象が相手のネガティブと思われる単語だけを対象としていること。つまり非常に局所最適な視点からだけ判断されていること。一つは、視点が忘れられていること、つまり、ここでネガティブと判断しているのはリフレーミングするほうの判断であってリフレーミングされるほうの判断が無視されているところです。

通常コトバの意味は文脈とそれを使っている人の枠組で決まってきます。つまり文脈を無視してネガティブ/ポジティブと単純な二元論で判断するのは問題がありますし、このネガティブ/ポジティブも一般化によって為されたところから判断しているのも気になるところというわけです。つまり、あなたのポジティブはわたしのポジティブではない可能性があるわけですし、世間一般のネガティブは私のネガティブではない可能性がある、またその状況でのネガティブはネガティブではない可能性もあるというわけです。また、コトバは本来質感を伴うものですから、単純にポジティブ/ネガティブと言われると、それは儲かるのですか?儲からないのですか?のように非常に単一的な枠組から活用されているようにも思えてきます。

·        「地図はそれが示す土地そのものである」を対象とする

それでは家族療法家や短期療法家はリフレーミングの対象をクライアントのコトバの中からどのように捉えていたのか?という疑問が起こります。

一般意味論の創始者であるアルフレッド・コージブスキーはその著書「Science and Sanity(科学と正気)」で、「地図はそれが示す土地そのものではない」つまり「コトバはそれが指すものごとそのものではない」と言ったわけです。

それで、逆に言うと人は「地図はそれが示す土地そのものである」と誤認しやすい生き物であるということの裏返しでもあるわけであり、こういった誤認をリフレーミングの対象にして、これを解消する方向で活用してきたのだろうなと考えているわけです。つまり、もっというと、本来は「地図はそれが示す土地と同じではない」と認識していなければならないのに「地図はそれが示す土地そのものである」と捉えているその認識の構造(構造主義的に考えると)がリフレーミングの対象となってくるということになります。

例えば、以下で書いたように、夫は「コーヒが不味い」という事実を述べたつまりが、文脈によっては、この会話の相手である、妻は、自分の人格が馬鹿にされているのではないか?と混同してしまうようなことが起こる場合があります。


もちろん、上の例の場合は、治療対象を夫の認識とするのか?妻の認識とするのか?それぞれの関係性とするのか?は色々考えられるところですが、すくなくともここには「地図はそれが示す土地そのものである」という誤認の構造が潜んでいるということになってくるわけです。

もうひとつは以下のリンクで書いた「雨が降ると、いつも憂鬱な気分になります」というのも「地図はそれが示す土地そのものである」と考えている例にあたると思います。


それで、今日の結論はリフレーミングの場合は相手の単語に着目するのではなく、一般意味論的に考えると「地図と土地」の混同に着目するというのがひとつのやり方ということになってくるわけです。

余談ですが、構造主義ではなく構成主義的に考えるとここに認知言語学が出てきて、その事象や出来事をどのカテゴリーに分類されているのか?に着目してクライアントの話を聴くということになってくると思いますが、これはまた別の機会に考えることにしてみたいと思います。

もちろん、リフレーミングは心理療法家のミルトン・エリクソンらの暗黙知を統語論や意味論や語用論などを駆使して形式知取り出しているところがあるわけですが、これって積分して面積を求めているようなところがあるため実体と同じか?と言われるとそうではないところが出てきてしまうのはある意味仕方ががないところでもあるのでしょう・・・・・・・まぁ、「地図はそれが示す土地と同じではない」ではないですが、「モデルは人間そのものではない」・・・・という当たり前のオチがあるのでしょうねぇ。(笑)

(つづく)

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