2012年1月31日火曜日

ピアジェの認識論


 
認知バイアスは誰でも持っていて、それが状況によって、強みにもなるし、弱みにもなるものなのでしょうねぇ。

独り言


今日は、「ピアジェの認識論」と題して少し書いておきましょう。

ピアジェの認識論

フランスの認知心理学者であるジャン・ピアジェが人の認識で陥りやすいところを指摘しているわけですが、これが非常に参考になる時があります。[1]

例えば、人間関係などで何か問題があるかも?と感じていると、以下のような視点から自分と相手の関係性に齟齬がないかどうかを考えてみるということが効果を発揮するようにも思えてきます。

それで人は放おっておくと以下のように考えをめぐらしてしまうようですねぇ。[2]


l       Egocentrism: 自分で考えていること感じていることが他人にも当てはまると考える
l       Centration:大きな全体の一部にしか注意を焦点化しない
l       All-or-Nothing Thinking: 二者択一、モノゴトを一か八かで見る
l       Irreversibility: 嫌な出来事などによってそれ以前の良い記憶、経験を忘れてしまう。
l       Inductive Logic: 帰納法、場合により過度の一般化が起こる。
l       Transductive Logic:近い時間に起こった出来事により関係性があると思う。
l       Animism:無生物にも生命、感情があると考える
  


もっともこれは認知バイアスの一種とも考えられるわけですから、自分のバイアスの傾向をメタ認知することで明らかにして、たまには、この反対の方向で物事を見てみるということをやってみると面白いように思ってきます。
 
文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年1月30日月曜日

ねぎらいの系譜


 
コーチングや心理療法で「ねぎらい」は日本独自のものです、なんて言う人が居るわけですが、実はそんなことはなくて、1930年代にベイトソンがニューギニアで行ったフィールドワークから人間関係における「ねぎらい」に非常に近い関係が取り出されているのですよねぇ。

独り言


今日は、「ねぎらいの系譜」と題して少し書いておきましょう。

コンプリメンタリーな関係

ミルトン・エリクソンの心理療法から派生した短期療法の流派の一つであるソリューション・フォーカスト・アプローチ[1]の中で「コンプリメント/コンプリメンタリー」という用語があります。

Wikipeidaにある出典を参照すると、セラピストがクライアントへ返す言葉のスコープというか粒度を抽象的にした「ねぎらい」や、もう少しそのスコープや粒度を絞った「承認」と解釈されていることが多いようです。

 確かに、アメリカ人に「ご苦労様」とか「あなたに感謝したい」というようなことを言っても「一体何がご苦労様なのか?」とか「私のどんな行為に感謝するというのか?」という怪訝な顔をされることも少なくないのでしょう。

そのため、実際にコンプリメントを行おうとすると、もう少し具体的な行為について相手の承認を引き出すとか、メタ・メッセージとして行間に含め、相手が意識しない形式で、相手とコンプリメンタリーな関係を構築していく必要があると、個人的には考えています。

 それで、何か自己啓発系のコーチング、心理療法もどきの方法を信奉する人の中には、アメリカ発のコーチングには「ねぎらい」が入っていない、「ねぎらい」は日本独自の文化であるなどとわけの分からないことを言う人達が居るみたいなのですが、実際にはそのような事実はありません。


このあたりの話をすると、元々グレゴリー・ベイトソンが第二次大戦前にニューギニアのフィールドワークを行った著作「Naven」でも明らかにされているように、人間関係、特にニューギニアの部族の分裂生成の関係性のモードを 1)シンメトリック と 2)コンプリメンタリーの2つとして取り出しているところからその考察が始まっていることになります。 [2]


 In short, the behavior of person X affects person Y, and the reaction of person Y to person Xs behavior will then affect person Xs behavior, which in turn will affect person Y, and so on. Bateson called this the vicious circle. He then discerned two models of schismogenesis: symmetrical and complementary. Symmetrical relationships are those in which the two parties are equals, competitors, such as in sports. Complementary relationships feature an unequal balance, such as dominance-submission (parent-child), or exhibitionism-spectatorship (performer-audience). Batesons experiences with the Iatmul led him to write a book titled chronicling the Iatmuls ceremonial rituals and discussing the structure and function of their culture.


 つまり、当時のニューギニアには中央集権的な権力を持たず、自律分散的に形成された部族単位でいくつもの集落が形成されているわけです、この中でその村がどのように維持されているの? この答えとして「Naven」という儀式をあげ、そしてその中から、1)シンメトリカル-対称的、2)コンプリメンタリー 補完的の2つの関係性の原型を取り出し、この2つの関係性を強めたり、弱めたりすることで集落の均衡が維持されているという仮説を取り出したということになります。

後に、この2つの関係性は、MRIの研究員であったポール・ウォツラウィックの提唱した「コミュニケーションの5つの公理」の一つの原則として取り込まれることになります。


もっとも、こういった関係性は、短期療法のセラピストとクライアントの関係、あるいは短期療法をベースとしたコーチングのコーチとクライアントの関係をどのように築くのかに応用されているわけですが、ベイトソンの「Naven」に遡れば、ベンチャー企業の立ち上げ、あるいは何かのプロジェクト組織を構築してそれを運用していく時にどのようなコミュニケーションのスタイルで、そのような関係性を構築していくか?といったところに応用できるでしょう。
もっとも、元々中央集権的でない結びつきということですから、最近だとソーシャル・ネットワークの世界で関係を構築し、そして維持していくというところで進化を発揮できるようにも思えてきますが、ここでも 1)シンメトリック 2)コンプリメンタリーそれぞれの関係性を具体的にどのように落としこんでいくのか?が課題となってくるように思ってきます。
 
文献
[1] http://ja.wikipedia.org/wiki/ソリューション・フォーカストアプローチ
[2] http://en.wikipedia.org/wiki/Gregory_Bateson 

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年1月29日日曜日

言葉を変えると行動が変わる


 
1. Change yourself.
2. You are in control.
3. Forgive and let it go.
4. Without action, you aren't going anywhere.
5. Take care of this moment
6. Everyone is human.
7. Persist.
8. See the good in people and help them.
9. Be congruent, be authentic, and be your true self.
10. Continue to grow and evolve.

Gandhi on Changing the World (and Yourself in the Process)


今日は、「言葉を変えると行動が変わる」と題して少し書いておきましょう。

言葉を変えると何が変わるのか?

今日はタイトル通りに「言葉を変えると行動が変わる」と題したトランスフォーメーション・マネジメントの良書をご紹介しておきましょう。

英文での原題は、「HOW THE WAY WE TALK CAN CHANGE THE WAY WE WORK」。


 個人的には、日本語化されていないのがもったいないと思うほどの良書と思っています。もっともこういった良書が翻訳されて店頭に並ぶと自己啓発系の人が失業してしまうのでそれはそれで良いところもあるのだろうなと思っています。

本書は、両名ともハーバードの博士号を持つ、ROBERT KEGANLISA  LASKOW LAHEYによって書かれた書籍で内容的にはかなりしっかりしています。余談ですが、本書の著者は、同姓同名の米国のネオコンを代表する政治評論家である ROBERT KEGAN氏とは別人です。

 本書の内容を見るとニュアンス的には、「言葉を変える、そしてちょっとした物事の見方を変えて、いつもとは違う行動を取ると、それが習慣になり、もっと高次にある思考フレームが変り、その結果、人生が変わる」という内容になっていますが、まったく奇を衒ったものではなく、誰にでも納得が行き、個人から企業のエグゼクティブまでを対象にした(セルフ)コーチングのような形式で使えるのではないかと考えています。

それで、内容は短期療法や家族療法で使うリフレーミングのイメージに近いのですが、私たちの高次にあって行動を規定しているこの枠組を、言葉を変えることで変えていくというのが本書の内容です。

具体的にはどのように言葉遣いを変えるか?というと以下の7つの方向性が示されていることになります。[1]


1.      「不満」を表明する言葉遣いから「コミットメント」を表明する言葉遣いへ
2.      「非難」を表明する言葉遣いから「自分の責任」を表明する言葉使いへ
3.      「念頭挨拶」のような言葉遣いから「尖がったコミットメント」を表明する言葉遣いへ
4.      「前提に振り回されている」言葉遣いから「前提をおさえた」言葉遣いへ
5.      「過去の成功を賞賛する」言葉遣いから「進行中のことに集中する」言葉遣いへ
6.      「規則やポリシー重視」の言葉遣いから「現在の同意を重視する」言葉遣いへ
7.      「批判主義」の言葉遣いから「脱批判主義の」言葉遣いへ



それで、本書は上の方向性に従ってワークシートを埋めていく形式になっているので、結構使い勝手が良いのではないかと思っています。

もちろん、上の作業はある意味、普段意識していない自分の持っている高次の思考フレームについてメタ認識することで、それを変え、そして行動を習慣化することによってその思考フレーム定着することにあるように思ってきます。 

もちろん、、途中で対立や葛藤が出てくることが予想されますが、当然こういったことが出てくるのを予め織り込んでいるため、対立や葛藤の解消を行いながら進めていけるところも本書の優れたところでしょう。

それで、本書を読んだ気づきは、やはり自分自身に対するコミットメントを重視しているという点であり、本書の対象としている読者は、自分で主体的にコミットメントを行うことが出来るある程度の自我の強さを持った個人や企業のマネージャやCEOを対象にしているように思ってきます。

逆の言い方をするとあくまでもコーチングであってセラピーではないということになります。

何れにして、まったく高い本ではないので一度試してみるというのはありのように思ってきます。


文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com



2012年1月28日土曜日

Lose your mind and come to your senses



日常生活の課題でも、ビジネス上の課題でも良いのですが、何か手詰まりだと感じる時は、その課題の現場に戻って(あるいは、戻ったと想像して)、只々、眺めたり、感じたりするだけで良いアイディアが浮かんでくることもありますねぇ。

もちろん実現可能性とかコンプライアンスとか、その他もろもろのことに関しては後でチェックすることにはなるわけですが・・・

独り言


今日は、「Lose your mind and come to your senses」と題して少し書いておきましょう。

こころの中のおしゃべりを止めて、只々、五感の世界に戻ってみる。

個人的には、心理療法というよりも、ビジネス上のアイディア出しや問題解決といったところで使っていることが多いわけですが、ゲシュタルト療法[1](≠ゲシュタルト心理学)について少し書いておきましょう。

以下にフレデリック・パールズのゲシュタルト療法についてのエッセーが非常によくまとまっています。


このエッセーを読むと、ゲシュタルト療法に影響を与えた、1)身体志向の心理学 2) 欧州実存的 3) 現象学 4)60-70年代の米西海岸のカウンター・カルチャー から始まって、その概要、そして具体的なテクニックということが非常に簡潔に網羅されています。

それで、このエッセーについて書かれていた言葉で個人的に気に入っているのは、「Lose your mind and come to your senses」という言葉です。

何かに行き詰まったり、閉塞感を感じたりしている時には、自分の頭の中で起こるおしゃべりを止め、そして見たり、聞いたり、感じたりできる、五感の感覚にだけ注意を向けなさい、そうすると、何かに気づくから・・・と言っている言葉になります。

これは、同じパールズの著作「記憶のゴミ箱―パールズによるパールズのゲシュタルトセラピー」[2]の中でもかかれていますが、一つは禅の影響があるように思ってきます。

本書で、パールズは米国西海岸から東海岸へ旅をすることになりますが、普通に陸づたいで行っても面白くないので、地球を反対側に一周して、太平洋を超えて、日本、中国・・・という経路を取ることを思いつきます。このあたりがパールズの少し他人とは違う変なことでしょうし、それが好奇心や創造力につながっているようにも思ってきます。

それで、途中、経由地である、日本にやってくることになるのですが、パールズが何をしたかというと、一つは京都の大徳寺(臨済宗  禅問答を行う)で禅の修行を行ったこと。そして、もうひとつは大阪でストリップを鑑賞したことなどが「記憶のゴミ箱」に書かれていたと思います。

 ゲシュタルト療法は禅の影響も受けていると言われていますが、確かに、「今、ココ」この瞬間に焦点を当て、そして純粋経験に戻るべく、頭の中のおしゃべりを止めて、五感の感覚にだけ着目するというのは禅のようにも思ってきます。

 もちろん、上のエッセーに戻ると、これを現象学でも説明してあることに気がつきます。 つまり、何か課題に対して、現象学的還元やエポケーと言われているように、自分の中で起こる意味を保留して物事を見なさいということになります。

 通常、私たちは物事を無意識に、何かの「枠組み」のもとに見ていて、「判断基準」を適用し、「良いだの悪いだの」「正義だの悪だの」「怖いだの怖くないだの」・・・と色々な意味を作り出しているというわけです。 もっとも、これは感情や情動とも一体になってある意味、バイアスやフィルターとしても働くため物事を非常に限られた側面からしか見えなくしているということもあります。

 そこで、ここに現象学的還元やエポケーを行なって純粋に見たり、聞いたり、感じたりできる純粋経験に戻りましょう・・・それすれば、普段見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、感じられないことを感じられ、かつこの「枠組み」や「判断基準」に気がつくかもね・・・といっているわけです。

 それで、この気づきということがゲシュタルト療法の中心になるのだと思いますが、このエッセーに書かれているエクソサイズを実際に行なってみると、普段はあまり意識していなかった色々なことに気がついてくるように思ってきます。
 
 個人的には心理療法ではなくて、問題解決や、創造的発見の手法ということでちょくちょく使っているわけですが、「Lose your mind and come to your senses」のモードになると、日々色々なことに気づいて行けるように思ってきます。もっとも、実際には、一旦意図を設定した後にこのモードを取るということになると思いますが。 

それで、個人的にはこういった直感だけではなくその後ロジックで一応それなりに検証しているわけですが、結構斬新なアイディアがどんどん出てくるのは面白いところだなと思っている今日この頃でもあるわけです。

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年1月27日金曜日

何をどう区別している?


幼稚園や小学校でやった、「仲間はどれだ?」「仲間はずれはどれだ?」で野菜グループと動物グループの区別をつけるというような行為は認知科学の基本ですねぇ。 
 で、大人になると、「どうしてそんなグループにしているのだろう?」とそっちのほうが気になると(笑)

独り言


今日は、「何をどう区別している?」と題して少し書いておきましょう。

認識の中の区别

あくまでも想像ですが、こういった場面を考えみましょう。

唐突ですが、カフカの「変身」で朝起きると自分が虫になっていたではありませんが、あなたが朝起きると、なぜか動物プランクトンになっています。

もっとも、仮定に少し無理がありますが、動物プランクトンです。恐らく、海とか川に居るということになるでしょう。

それで、なぜかお腹が減ってくるわけですが、まずやらなければならないことは、食べ物を見つけることです。 海の中を泳ぎ回って食べ物を見つける散歩に出かけます。

それで、ここで疑問が起こります、動物プランクトンであるあなたは、「自分が食べられるものと、食べられないものの区別をどうつけているのか?」という疑問です。

以下でも書いたわけですが、


認知科学的には、目の前にある、ものが食べられそうなものであるかを見たり、聞いたり、触ったりして、認識し、自分の記憶の中のデータベースと突き合わせを行なってそれが食べられるかどうかを判断しているということになるわけです。

 それで、このデータベースの突合ということについてはほとんど無意識にやっているようですが、頭の中に集合のような形式で表される概念のどのカテゴリーに適合するのか?といった「仲間はどれだ?」「仲間はずれはどれだ?」を行なっていると言って良いでしょう。

これについて別の例があります、某首相経験者を父に持つ某政治家の方がいらっしゃいます。

元外交官で作家の佐藤優氏の著作「国家の罠」を読むとこの方のことが実名入りで書かれているわけですが、この政治家は人を、1)家族 2)使用人 3)敵と単純に区別していると書かれています。 

それで、佐藤氏自身は 3)の敵に分類されていようだと自虐的に書かれているわけですが、これもある意味、この政治家の方が経験から培ったデータベースを自分自身の中に持っており、無意識に区别を付けているということになるのでしょう。


もっとも、認識の中にどのようなカテゴリーを持っているのか? そのカテゴリーに沿って、その出来事やもの、さらには人をどのようなカテゴリーで見ているのか?はその人の物の見方や世界観を決定するとも考えて良いでしょう。

このように、微生物のようなものから、動物、そして人まで、認識機能を持つ生き物がどのよう何をどのように区别しているのか?というのは認知科学の非常に重要な研究対象になっているわけですが、こういった前提を踏まえ、Youtube Google Tech Talks にあった「The Cognitive and Computational Neuroscience of Categorization」というタイトルのビデオを貼りつけておきましょう。


http://www.youtube.com/watch?v=2Ei6wFJ9kCc


それで、西洋のデカルト主観を基調とする科学的思考の基本は、わける → 分かる ということになるわけですが、まずは物事の区别をつけるという意味では重要なことなのでしょう。

もっとも、カテゴリー化、プロトタイプを信奉するエナクティブな認知科学は主観的かつ身体感覚を伴う経験を扱うメルロ=ポンティの世界に戻ろうと志向しており、「こころと体は切り離せない」としており、基本的にはアンチ・デカルトなのも面白い点だと思います。

文献
N/A  

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年1月26日木曜日

ソーシャル・エンジニアリングとシステム・アーキタイプ



落語の「時そば/時うどん」ってソーシャル・エンジニアリングの代表的な事例ですねぇ。 逆にこれを防ぐにはどうしたら良いかと考えると色々面白いことが分かってきますねぇ。

独り言


今日は、「ソーシャル・エンジニアリングとシステム・アーキタイプ」と題して少し書いておきましょう。

お宝をどのように守る?

今日は、ソーシャル・エンジニアリングの話題について少し書いておきましょう。

よくITの世界ではシステムを外的な脅威から守る、などといったりしますが、一般にセキュリティを考える場合には、1) 物理的 2) 論理的 3) ソーシャルの3つの視点から十分に考慮する必要があります。

例えば、札束をどこかに保管しておく場合、ほとんどの人は金庫のように物理的に守られた空間に札束を入れておくでしょう。イメージ的にはクマヒラの金庫の世界なのですが、物理的に出入り口が制約された場所でこの出入り口を見張っていればひとまず脅威からお宝が守れると考えるのが物理的なセキュリティです。

次に論理的なセキュリティ、これはインターネットにつながったシステムが外部からの侵入を許してしまう場合があるわけですが、一般的には外部に接続されているネットワークの出入り口に関所をつくりファイアウォールと呼ばれる門番にあたる機器を設置して不正な侵入者がいないかどうかを検知し必要に応じて遮断するというのが論理的なセキュリティの基本的な考え方です。 もちろんデータ自身を暗号化したり、パスワードをかけたりという考え方もあります。

それで、三番目はソーシャル・エンジニアリング[1]と呼ばれる分野です、実はこの分野が一番厄介なのですが、上の物理的、論理的要因に加え、人の認識が相互作用して起こる騙しの手口をソーシャル・エンジニアリングと呼んでいます。

この例としては、落語の「時そば/時うどん」から始まって、振り込め詐欺のようなものを含むわけですが、上でも述べたように、物理的、論理的要因に加え、人の認識が相互作用しており、必ず人の認識の盲点をつくような形式で行われ、泥棒と警察のイタチごっこのような面があるため非対策が困難な面があります。 

もう少しマクロなパターンに着目する

それで、ソーシャル・エンジニアに関して個人的に非常に面白いなと思ったのが、以下のエッセーです。


それで、上のエッセーの何が面白いかというと、外的世界と人の認識の相互作用のパターンが、MITのピーター・センゲの提唱しているシステム・アーキタイプのパターンで説明してあるところというわけです。 


ソーシャル・エンジニアリングをこのシステム・アーキタイプで見ると、シャーロック・ホームズの名作「赤ひげ同盟」[2]のようなパターンが見えてくることになると思ってきます。


1890年のある日、ホームズの住むベイカー街221Bにジェイベズ・ウィルソンという燃えるような赤髪の男が尋ねてくる。ウィルソンは質屋の経営者だったが、ある日、バイト員のヴィンセント・スポールディングから簡単な作業で高額な収入を得ることができるというひどく、うまい話を聞かされた。立派な赤毛の人間のみで組まれた「赤毛組合」という互助組織によるもので、仕事の内容は指定された事務所で百科事典を数時間書き写すだけだという。ウィルソンはこれをまたとない幸運だと考えて引き受けるが、組合は数週間後に事務所を突如閉鎖する。不審に思い、同じ「赤毛組合」の仕事仲間ダンカン・ロスの名前を頼りに調査を開始するが、その名前を知る者は一人もいなかった。ウィルソンはこの謎のアルバイトの真相について、ホームズに念入りな捜査を依頼したいと言う。ホームズは奇妙な事件に興味を持ち、喜んで仕事を引き受けた。


それで、この物語のオチは、ネタバレになりますが、ウィルソンを外出させた隙に悪党どもがこの質屋の地下から銀行へトンネルを掘っていた。

ウィルソンはこれに気付かなかったが、シャーロック・ホームズはこれに気づいたという話なのですが、この話の面白さは、ウィルソンが背景にある大きなパターンに気付かなかったことに対して、ホームズは事実を積み重ねることで普段は決して意識されることのない大きなパターンに気づいたというところにあるのではないかと思ってきます。

それで、前述のシステム・アーキタイプとソーシャル・エンジニアリングについて書かれているエッセーの面白さはここにあるわけで、目の前にあるちょっとした事実から、普段は意識していないより大きなマクロのパターンを観察するとどうなるのでしょうか?と問題を提起しているところの面白さに思えてきます。

 もちろん、システム・アーキタイプはソーシャル・エンジニリングだけではなく一般的な問題解決に応用することも可能だと思います。

 例えば、アインシュタインも「その問題が起こっているのと同じ意識レベルでは問題は解決できない」と言っています。 これは、あるレベルのシステムで問題が起こっていた場合、現状をその関係性を含めてシステムとして把握した後、そのシステムのより上位の視点から別のパターンを見つけるようなことを行わないと、その問題は永久に解決しない、ということになると思います。

それで、このような時にも、一度、目の前で起こっているミクロの問題についてより大きなマクロのパターンの中の一部として見るのは非常に有効ではないかと思ってきます。

文献
[1] http://ja.wikipedia.org/wiki/ソーシャル・エンジニアリング
記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年1月25日水曜日

ラポールの本質


                                                                                                                            
 エリクソンの技法で言う「ペーシング」。

 要は、相手の動作を軽く真似たり、呼吸を合わせたり、する。

 ただし、相手の意識に上がらないように行わなければならない。

 
 <ひとりごと>




ラポールはメタ・メッセージを送ることから

「ラポールの本質」について書いておく。
 
 以下で少し書いた。

http://ori-japan.blogspot.com/2012/01/blog-post_07.html

元々「ラポール」はドイツの催眠療法家フランツ・アントン・メスメル(1734-1815)が用いた言葉と言われている。メスメルは動物磁気理論と催眠で病気が治ると当時主張した。もちろん、時代が時代であるし現在ではトンデモの分類になっている。

個人的に「ラポール」と聞いたのは、小学生か中学生の頃だ、当時、第二次大戦時の隼(一式戦闘機)などの設計者でロケット工学でも有名な糸川英夫博士の「逆転の発想」かその続編に書いてあった記憶がある。


 要は、人間関係において、「こいつはなんとなく信用できそうだ」との心象が生まれた状態が「ラポール」が構築された状態だ。最近は、心理療法やコーチングの文脈で聞くことが多くなったが、「ラポール」が構築されると、少なくとも相手があなたの話を聴いてくれるという関係は構築されることになる。

 最近、コミュニケーションの研修などで行う、

  • 相手と物理的に同じ姿勢を真似る
  • 相手と呼吸を合わせる
  • 相手と同じスピード同じ声の調子で喋る
  • 相手の言葉を繰り返す(あるいは、適当に要点をサマリーして復唱する)
  • その他
があるが、これは元々心理療法家のミルトン・エリクソンの研究に負うところが多い。ベイトソン的には、相手の無意識を良い意味で勘違いさせるメタ・メッセージを送ることと言ってよいだろう。犬は、相手に本気で吠える、そして相手を甘噛する。そうすると相手はこいつは仲良くなりたいのだな、とメタ・メッセージを受け取る。犬同士仲良くなる。こんな感じだ。理屈は、悪意はない、なんとなく良い人そうだ、仲良くなりたい、こういったメタ・メッセージを送るというのが「ラポール」の本質だ。


一般にメタ・メッセージは言葉の行間、あるいはジェスチャーに含まれる「メッセージについてのメッセージ」だ。相手に気付かれないように相手に同調して相手の動作を真似たり、相手と同じ調子、同じスピードで話すと、相手の無意識が勝手に「こいつは悪いやつではなさそうだ」という風に勘違いしてくれるテクニックの一つというわけだ。

このあたりは、パロアルトのMRI(Mental Research Institute)の研究でもある、コミュニケーションにおけるメタ・メッセージの研究やベイトソンのマインドの理論でも明らかだ。

それで、「Ericksonian Approaches: A Comprehensive Manual[1]を参照すると以下がある。


  It is important to not mimic or match too exactly, since this will be detectable by the client and taken as a manipulation or an insult. Pacing must be subtle. Pacing should be done in such a way that it is perceived outside of conscious aware ness and not directory in consciousness by the client . 

相手がバカにされているとか操作されていると思わないように、あまりにも正確に真似たり、同じ動作をしない、ということは重要なことである。 ペーシングはさりげなく行う必要がある。つまり、ペーシングは直接クライアントの意識に上がることなく、クライアントの意識の外で認識されるように行わなければならない。


相手とのコミュニケーションを行う場合、2つのモードがある。一つは〈メッセージ〉、もうひとつは〈メタ・メッセージ〉だ。前者はコミュニケーションの内容、後者は内容について伝え方を指す。その意味では前者が〈What〉で後者が〈How〉になる。つまり、メタ・メッセージはどのように伝えるのか?と言い換えることができる。また、メタ・メッセージには相手との関係性も入る。これが結構厄介だ。

逆にいうとどんなに〈What〉として良いことを言ってようが、〈How〉が駄目だと伝わらない。関係構築ができていないとそもそも聞いてくれようともしない。こういったことになる。

もちろん、単なる「ラポール」をつくるためのペーシングもそれが有効な状況というのは限定されるだろう。心理療法やコーチングの場面では機能するかもしれない。しかし、道で出会った人当たりの良さそうな人というだけで100万円を貸す人はいないだろう。その意味「信頼関係」と「ラポール」は異なるものだ。修羅場を一緒にくぐった仲でなければ本当の信頼関係は構築されない。世の中、そういうものだ。

 しかし、コーチングや心理療法、あるいは会社の会議などでは、薄っぺらい「ラポール」構築の技法が有効なこともある。ここで言っている、ペーシングから始めるという具合だ。

 余談だが、コミュニケーションの研修などで、今からペーシングの練習をします、と伝えて、敢えて意識に上げるやり方をしているのはどうなのか?と思うのだが、メタ・コミュニケーションの原則を理解しないと滑稽なことが起きてしまうのは、ある程度仕方がないことなのだろう。

 ペーシングが十分に行われた後で、リーディングである誘導が登場する。

ラポールに関する Youtubeの映像



文献
(参考)http://btci.stanford.clockss.org/cgi/reprint/4/4/389.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年1月24日火曜日

組織を癒す



組織マネジメントの世界で著名なエドガー・シャイン先生のブリーフ・セラピーを組織に適用するというアプローチはとても気になっているのですよねぇ。 ある意味、組織も、人と同じで、変化に抵抗するし、色々な意味で傷つき易いし、時には子供のように駄々っ子になるわけですし、失敗するとトラウマを抱えるというようなことがあるので、これまた人と同じようなアプローチで癒してあげないといけない・・・という感じなのでしょうか?


独り言


今日は、「組織を癒す」と題して少し書いておきましょう。

組織にブリーフ・セラピーを適用する

 少し前に、神戸大学経営大学院の金井先生の Twitter をフォローしていたら、スローン校で組織マネジメントを教えていたエドガー・シャイン先生[1]が今エリクソニアンの方々と組んでワークショップをやっている・・・ということが書いてあったわけです。

 それで、ちょっと調べてみると、シャイン先生は、2009年に「Organizational Therapy」という著作を執筆されていたというわけです。


シャイン先生という個人的には物事をプロセスで捉えるプロセスアプローチを得意とされているようなイメージがあるわけですが、このリンクを参照するとやはりこういったアプローチを用いて組織の課題、あるいは組織で働く人達のキャリア、つまり組織と個々人との間にある葛藤をどのように解決するのか?について心理療法的なアプローチを適用した著作ということが分かってきます。

また、この著作の共同執筆者にMRIのブリーフ・セラピーに関するウォツラウィックらの著作「人間コミュニケーションの語用論」[2]などの翻訳者である尾川史一先生が含まれているところが興味ふかい点です。

このお二人の組合せだと個人的には、「プロセス・コンサルテーション」を思い出すわけなのですけれど、Amazon のレビューを参照すると、翻訳に「物言い」がついていて、やっぱりこの世界は奥が深いなと思っているところです。


それで、ネットで調べると「Organizational Therapy」について現在、日本語訳中で白桃書房から刊行予定という記事が幾つか出てくるのですが、英語で読むか?日本語で読むか?現在考え中というわけです。

何れにしてもブリーフ・セラピーのアプローチを組織とそこで働く人に適用するという考え方には興味津々なのですが、多分、このあたりはライフワークといって良いくらい重たくなるテーマなので、個人的にはぼちぼちフォローしていこうかなと考えているところです。

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com





2012年1月23日月曜日

質問とリフレーミングだけで人は変化できるのか?



人や組織が大きく変化するためには、禅問答のようなパラドクスに対して、そのパラドクスの認識主体の視点を上げることで解く必要があるのですねぇ。 逆の言い方をすると、一見、不条理に見える「パラドクス」の中に変化の源泉が潜んでいる・・・
つまり、理屈では割り切れないので大きく成長する可能性があると・・・

独り言


今日は、「質問とリフレーミングだけで人は変化できるのか?」と題して少し書いておきましょう。

質問とリフレーミングだけで人は変化できるのか?

これは、カリフォルニア州のパロアルトにあるブリーフ・セラピーの研究機関で、人類学者のグレゴリー・ベイトソンや家族療法家のヴァージニア・サティアが在籍したことでも知られるMRI(Mental Research Institute )の研究で明らかにされたことです。

 元々、MRIの研究は催眠療法家のミルトン・エリクソンの研究を元にしているわけですが、MRIの研究の優れた点は、エリクソンの療法のエッセンス明示しており、他の領域に応用することができるようになっている点でしょう。

 例えば、コーチングや企業の会議におけるファシリテーションのようなコンテクストにおいて、クライアントがトランスの状態にあることを前提とせず、「よく練られた質問」や「リフレーミング」だけで、普段意識の当たっていない高次の認識を意識してもらい、良い意味で認識を変えていただく必要がある場合があります。

 それで、ここでの命題は、トランス誘導を使うこと無しに「質問とリフレーミング」だけでこの認識が変化するのか?ということになります。


 一般的にコーチングやファシリテーションではトランス誘導すること自体が適切でない場面が多いために、学術的な見解として「トランス誘導なしで人の認識は変化するのか?」がどうなっているのか?ということを知っておくのは非常に重要な問題だというわけです。

それで、孫引きになりますが「Ericksonian Approaches[1]を読むとMRIの研究者であったポール・ウォツラウィックの援用で「Hypnotherapy without trance」という章が存在しており非常に示唆深いことが書かれています。

変化のレベル

この本では、ウォツラウィックがサイバネティックのウィリアム・ロス・アシュビーの用語を援用し、変化の尺度としてとして、第一次変化(First-order change 第二次変化(Second-order changeの二つが定義されています。[2]

第一次変化とは、システムの一部が変わることであり、第二次変化とは「変化が変化」することでシステム全体が変わることだという記述がありますが、簡単に言うと、ベイトソンの学習理論(Logical Level of Learning)の簡略版だと思っていただければ良いでしょう。

つまり第一次変化は「変化」することであり、第二次変化は「変化についての変化」という具合に第二次変化は、第一次変化から論理レベルを一段踏み上がった「変化」なるわけです。

  もっとも、コーチングやファシリテーションのコンテクストでは、振舞が表層で変化するのが第一次変化、次に、信念や価値観のレベルつまり深層から変わるのが第二次変化を考えていただければ良いでしょう。  

第一次変化はそれほど難しくない

 ウォツラウィックによれば一次的変化のレベルであれば、質問とリフレーミングで変化が起こるとしています。

 これについては、表層だけならば言葉やリフレーミングで変わるだろうというのは想像に難くないのではないかと思います。

 ちなみ、行動レベルのフィードバックを与えて、行動を修正してもらうというコーチングはこのレベルになります。

第二次変化についての必要条件

 次に第二次変化になりますが、深層レベルといえる二次的変化はやはり予想どおり、言葉やリフレーミングだけではその必要条件を満たしておらずウォツラィックによるとリフレーミングとAND条件でパラドクスが必要であることが述べられています。

 前門の虎、後門のオオカミというように、あえて前にも後ろにも進めないような状態に対して、その状態を作り出している視点を抜けだして、新しい認識を得ないことにはその問題が解決しないという禅問答がないと第二次変化は起こらないと述べているのが興味深い点です。


The two primary methods for bringing about second-order change are reframing and the use of paradox.  In this section, we will go into some detail on four types of paradoxical interventions: (1) paradoxical intention; (2) ordeal therapy; (3) ambiguous-function assignment: and (4) provocative therapy.  ・・・(略)・・・ Paradox may be defined as a contradiction that follows correct deduction from consistent premises. 

Ericksonian Approaches P. 159 [1]


  ここでのパラドクスとは、前提条件を演繹していったことと矛盾する条件として考えていただくと良いでしょう。

それで、個人的にはこれを心理療法というコンテクストだけではなく、卓越性の発揮や問題解決、創造性の発揮というコンテクストでも同じことではないかと思っていますが上の(1)-(4)を読むと、あえて袋小路にあるパラドクスやこの特殊な形式のダブル・バインドを意識することでこの状態から抜けだして新しい認識を得ることが出来ると考えることができます。

 その意味で、これが以下のリンクで書いたように対立を解消しながら「アブダクティブに学ぶ」ということになると思います。


ウォツラウィックが言及しているのが4つの手法

話を元に戻すとウォツラウィックは、トランス誘導を活用しなくても第二次変化が期待される4つの手法あげています。 もちろん、それぞれの手法は、パラドクスを認識して、そのパラドクスがパラドクスとならないように視点の抽象度を上げるということで共通していることは非常に興味深いように思ってきます。

(1)Paradoxical intention 

ヴィクトール・フランクルの「Paradoxical Intention(逆説的意図)」を考慮する。

http://ori-japan.blogspot.jp/2013/12/blog-post_12.html


フランクルと言えば、第二次大戦中、ナチスの収容所で生死をさまよう経験をしたことで知られていますが、これもある意味、不条理というパラドクスからの学びということになるでしょう。

 (2) Ordeal therapy

これについては以下のリンクを参照してください。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/06/blog-post_24.html


(3) Ambiguous-function assignment

これは以下のリンクを参照してください。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/06/blog-post_07.html


これは以下のリンクでも書きましたがあえて曖昧な表現を使うことでパラドクスから抜け出す、視点やリソース(資源、資質、心身状態)を探ることになります。


4Provocative therapy

これは日本語で「挑発療法」と訳されていたりしますが、クライアントの持っているメンタル・マップを広げるために茶化したり、冗談を言いながら可能性を広げていく心理療法の手法の一つです。
http://ori-japan.blogspot.jp/2012/07/blog-post_03.html


まとめ

 まとめておきます。

質問やリフレーミングだけで第二次変化が起こせるのか?

答えは「NO」。  

 ウォツラウィックによると第二次変化を起こしたいのであれば、質問やリフレーミングと、パラドクスを併用することが必要条件となります。

そう考えると本当に第二次のレベルで変化を起こしたい場合は、パラドクスを認識してもらう状況設定が必要だと分かってきます。これには、以下のリンクで書いた「ダブル・バインドの言語パターン」が参考になるでしょう。


  もっとも、個人的には、TOC(Theory of Constraints)の3Cloud  Methodで矛盾を統合し、リフレーミングするということを行っているためにこの必要条件は満たしているわけで、個人的な経験として、これが上手く決まった時はオセロゲームのコマがパタパタ自分のコマにひっくり返るように連鎖的に組織やメンバーに大きな変化が起こるということの理屈が理解できたようにも思えます。


  それに、こういった論文などを読むと、流石にウォツラウィックというかMRIと感じていて、やはり彼らの研究内容は次元が他の何かとまったく違うようにも思えてきます。 

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com