2012年2月29日水曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その1)その視点


 
まぁ、学問と言われる分野全般に当てはまることだけれど、説明するということは何らかのフレームワークを設定して、事実を観るそして、言葉で記述するという構造になっていて、そこでほとんどの暗黙知が消えてしまうのはある程度仕方がないのだろうなと。

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その1)その視点」と題して少し書いておきましょう。

 言語パターンを観る3つの視点

  個人的には、コーチングやファシリテーションで人や組織の認識や行動がどのように変化するのか?というのが一つのテーマです。

 それで、これを真面目に考えていくと認識論(Epistemology)というとこに行き着くことになります。


http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_14.html


もちろん、認識論を遡るとアリストテレスとかプラトンの世界に突入することになるわけですが、これがコーチングやファシリテーションに使い勝手が良いのか?と言われるとそうなっていないので、もう少し柔らかで使い勝手が良いモデルを探すことになります。

 それで、個人的に気に入っているのがMRIを総本山とするベイトソンの認識論をベースにした短期療法のモデルということになってきます。

 短期療法のモデルは、心理療法家のミルトン・エリクソンが用いた心理療法のテクニックをいかに形式知化するのか?というのが一つのテーマになって発展してきたように思います。逆に言うと形式知化されているため、ある程度のレベルまでは容易に学習することができるということになってくるでしょう。

 もちろん、ナレッジ・マネジメントとして野中郁次郎先生のSECIモデルで考えると、暗黙知は暗黙知としてマスターするループと、その一部を形式知化し、そして形式知を連結しまた、暗黙知に戻していくという2つのループを同時に回必要があるため、単に何でも形式知化すれば良いというものではないように思ってきます。


http://ori-japan.blogspot.com/2011/12/blog-post_25.html

 それでも、暗黙知→形式知→形式知を連結→暗黙知のループを回すことは、新しい知識の創発につながってくるため、この形式知としての言葉に焦点を当てるということは悪い考えではないのだろうなとも思ってきます。

 それで、今日から少しダラダラとミルトン・エリクソンの言語パターンについて書いてみることにしたいと思います。

 もっとも、このテーマに踏み込んでしまうと、本当は富士山に登りたいのに、青木ケ原の樹海に迷い混んでしまった人のようにいつまでも迷路の中から出られない、といった状況が続く状態になってしまうかもしれませんが・・・。

さて、パロアルトにある短期療法の総本山 MRI(Mental Research Institute)で研究を行なっていたポール・ウォツラィックの著書「Pragmatics of Human Communication(人間コミュニケーションの語用論)[1]によれば、人のコミュニケーションを 1)統語論(シンタックス)2) 意味論 (セマンティクス) 3)語用論(プラグマティス)の視点から観ることを説いています。


ちなみに、このあたりの元々の概念は、以下で書いた一般意味論から持ち込まれていると考えられます。
http://ori-japan.blogspot.com/2011/09/blog-post.html


追記:一般的な言語学では語用論の代りに音韻学(Phonology)の切り口が用意されていますが、MRIでは少なくともエリクソンの研究のスコープからは外れており、音韻学上、単語の発音が曖昧かどうか?(Phonological Ambiguity )と、発話されている言葉のどこに句読点があるか?(Punctuation)の視点からだけ研究されていたと思います。

l       統語論から観る

 それで、これを実際に行おうとすると、1)の統語論については、チョムスキーの生成文法のようなシンタクスに焦点を当てて人のコミュニケーションを観察してみるというアプローチになります。 それで、このものさしを使ってミルトン・エリクソンのコミュニケーションのパターンを取り出した著作として「Patterns of Hypnotic Techniques of Milton Erickson, MD.[2]が知られています。



追記:本書は1970年代の半ばに出版された書籍であるための変形生成文法の世代は0世代、もしくは第一世代の古いものであるということは考慮する必要があります。この後、変形規則が収拾がつかなくなって現在、第三世代以降となっていると思われますが、個人的にはまだそこまでキャッチアップできていません。概要は以下のサイトを参照してください。


http://d.hatena.ne.jp/n_shuyo/20110424/grammar

 l       意味論から観る

 また、2 )意味論については、ジョージ・レイコフらの認知言語学を使い、認知の根幹にメタファーを据え、身体を持つ人がこのメタファーをどう解釈し意味を構築するのか?という視点で人のコミュニケーションを観察してみるというアプローチになります。 それで、このものさしを使ってミルトン・エリクソンのコミュニケーションのパターンを取り出した著作としては「Six Blind Elephants[3]があります。

 l       語用論から観る

 3)語用論については、実際そのコミュニケーションがどのような相手とどのようなコンテクストで行われているのか?特にサイバネティックス的な視点からのバーバルとノンバーバルコミュニケーションなコミュニケーションの相互作用、言い換えるとメッセージとその行間に含まれているメタ・メッセージのやり取りの視点で観察されていることになります。これに関する著作の代表は前出の「人間コミュニケーションの語用論」ということになります。もっとも、この視点はMRIにも在籍した人類学者のグレゴリー・ベイトソンがコミュニケーションとは何か?ということを観察するためにダブル・バインドの仮説とともに編み出した視点と言い換えることも出来るでしょう。

 もちろん、上で書いた3つの視点でミルトン・エリクソンの言語パターンを取り出して説明したところで、コージブスキーがその著作「科学と正気」の中で述べているように「地図はそれが示す領土と同じではない」の通り、エリクソンという暗黙知の塊である領土のほんの一部を形式知として示しただけの地図であることは留意する必要があります。

 ですから、ミルトン・エリクソンの言語パターンを取り出して、その本質を理解せずについて活用するとやはり言葉だけが上滑りして、本来の目的どおりには機能しないことになります。

 (つづく)

文献
[3] http://www.amazon.co.jp/dp/0911226419/

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年2月28日火曜日

論文の検索方法


 
まぁ、当たり前ですが心理療法とかの効果についてはメタ分析までやっておいてもらわないと信じることは難しいですねぇ。

独り言


今日は、「論文の検索方法」と題して少し書いておきましょう。

 Google Scholar

 まったく真新しくはないのですが、今日は「論文の検索方法」と題して書いておきましょう。

例えば、短期療法の効果について書かれて論文がないかどうか?を調べたいとします。

個人的には Google Scholar 検索を使っていますが、


ここで色々な論文を調べることが可能です。

例えば、キーワードとして 「 SFBT meta-analysis」を入力してみましょう。


各研究者が研究した内容をさらに俯瞰的に見たメタ分析して効果検証の論文らしきものが表示されることになります。

もちろん、それぞれの検索結果には適当ではないものも含まれているため、そこは経験とセンスで取捨選択することが必要なのでしょうが、情報源やフォーマットを確認しながら確認していくことになると思います。

余談ですが、MRIとかSFBTに関して結構、きちんとしたメタ分析のドキュメントが見つかりますねぇ。


文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年2月27日月曜日

良いアイディアはどこで生まれる?


 
多分、良いアイディアっていうのは存在していなくて、どんな馬鹿げたアイディアでもその状況で役に立つのであればそれが良いアイディアというのだろうなと思う。

もっとも、役立つというのも何らか、暗黙の判断基準があるのだろうけれど。

独り言


今日は、「良いアイディアはどこで生まれる?」と題して少し書いておきましょう。

アイディアは創発する!?

 今日は、手短に、


 作家であるスティーブン・ジョンソンの「良いアイディアはどこで生まれる?」と題した映像は、非常にシンプルなプレゼンテーションですが、非常に示唆に富んでいて一見の価値があると思います。

要旨は以下のような感じなのですが、

l       人と人とが対話することでアイディアが生まれる
l       考え方の多様性に鍵がある・・・
l       アイディアを温めておく
l       etc

もちろん、このあたりのことは自分の状況に照らし合わせてみて、頭では分かっていても具体的に。

    日常生活や職場で自由に意見をぶつける場を持っていますか?
    自分と違う他人の意見に耳を傾けていますか?その背景にある前提を聴いていますか?
    思いついたアイディアを忘れないようにメモしていますか?あるいはそのアイディアを熟成するような仕組みを持っていますか?
と問われると、やっているような、やってないような感じになっていますが、時間をとって考えてみたいテーマではあるように思ってきます。

  それで、最後は知財の課題についても触れていますが、今後は知財とオープン・イノベーションの折り合いをどうつけるのか?も非常に重要な課題なのでしょう。

 結論は、やはりこういった創発的なイノベーションは三人よれば文殊の智慧によって生まれる・・・ということなのでしょうが、あとは、具体的にどうやるのか?というのが課題なのでしょうね・・・・

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2012年2月26日日曜日

心身状態とピーク・パフォーマンス


 
感覚的には、考えたり、行動を起こしたりするためにもっとも適した心身状態が存在し、逆にその心身状態になればその一人なりのピーク・パフォーマンスが発揮できるという考え方は分かるのだけれど、これについての学術論文ってあったけなぁ?

独り言


今日は、「心身状態とピーク・パフォーマンス」と題して少し書いておきましょう。

心身状態とピーク・パフォーマンス

さて、今日は自分のメモ代わりに「心身状態(ステイト)」と記憶、学習、振舞いについての関係性について書いておきましょう。   

記憶力を発揮したり、最適な学習状態になったり、創造性を発揮したり、スポーツや楽器の演奏・・・などでピーク・パフォーマンスを発揮しようとする場合、それらの力が上手く発揮できるかどうかは心身状態(ステイト)に依存しているということが言われています。 

  武道ではお馴染みの考え方なのかもしれませんが、最適な記憶、学習、創造性、ピーク・パフォーマンスを発揮するには、それに適した心身状態(ステイト)を見つけ、必要に応じてその状態に入れるように訓練することが重要であるというわけです。

逆に、恐怖心を感じたり、何か違和感のある状態であったり、気持ちが高ぶっていたりすると、本来の能力が上手く発揮できないというのがこの仮説の趣旨になっています。

 もっとも、こんなことを書くと、経験的には言っていることは理解できるのだけれども、「その根拠は何か存在しているの?」という声が聞こえてきそうな気がしないわけではないのですが、このあたりのことを調べるとミハイ・チクセントミハイの「フロー」の概念[1]やスポーツ・コーチングのティモシー・ガルウェイ[2]あたりに行き着くように思ってきます。  

もっとも、このブログでそのような普通のことを書いても面白くないので、ここでは心理療法家ミルトン・H・エリクソンの直弟子であるアーネスト・ロッシ博士の論文にまとめられていますので以下のリンクについて少し書いておきましょう。 


この論文の趣旨は、「こころと体は相互作用する。ひとつのシステム2つの側面。」ということなのだと思いますが、「健全な精神は細胞レベルで良い影響を与える」ということが非常にロジカルにきちんと検証しながら書き進められている点なのでしょう。

それで、この中に以下のような記述があります。


This illustrates how state-dependent memory, learning, and behavior (SDMLB) bridges the Cartesian dichotomy between mind and body.


ここでは、心身状態(ステイト)に依存した、記憶、学習、振舞いが、デカルトの心身二元論を超える「こころと体」の橋渡しをするというところが書かれているところが非常に面白い点なのでしょう。
 
 もっとも、エリクソニアンの視点からすると、古典的条件付けやオペラント条件付けを使って、ある認識に対して最適な心身状態が出されるような、例えばアナログ・マーキング[3]のようなテクニックを使って関連付けのようなことをおこなっていくわけですが・・・。

 何れにしても何かを認識し、そこで何か行動を起こす必要がある場合は最初に「それを行うために最も適切な心身状態はどのような状態なのだろうか?」と考えてみるのはありなのでしょう。

文献

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2012年2月25日土曜日

U理論をロジカル・シンキングでやってみる


 
変化のカタチって結局は同じようなもののように思えてきますねぇ。

独り言


今日は、「U理論をロジカル・シンキングでやってみる」と題して少し書いておきましょう。

認識・行動を変化させるカタチ

今日は手短に。

個人や組織が未来へ向けて変化を起こすということについて考えると、

l       現状を正しく認識する:ただしこの時この現状を認識している思考フレームをメタ認知することで明らかにし、このフレームに歪、あるいは偏りがないかを併せて考えておかなければならない。
l       将来を思い描く:ただし、現状から将来のことを考えると、現在持っている思考フレームで考える、つまり過去の延長で物事をみて将来を描いてします。逆の言い方をすると未来を考える時にある意味新しい思考フレーム、つまりパラダイムを変えて物事を見ることは難しい。
l       将来へ向けて行動を起こす: この場合も過去にやっていたことを繰り返すことが多い。

となってきます。それで、基本的には今持っている思考フレーム、つまりパラダイムの外に飛び出て現在の課題を解決したり将来の望ましい姿を考えるたり必要があるわけですが、これをロジカル・シンキング、具体的にはTOCの思考プロセスを使ってやったらどうなるのか?について書かれているのが以下のリンクにあるゴールドラット・スクールのオーデット・コーエンさんのドキュメントです。


 それで、個人的に思うのはロジカル・シンキングとは言っても実際に使うプロセスはMITのオットー・シャーマ博士の開発した Theory Uのプロセスと非常に似たもの、というかほとんど同じになっているということが非常に面白い点なのでしょう。

もちろん、個人的にはこのUのプロセスを、

1)      ロジカル・シンキングを使って意識を中心に変化を起こす方法
2)      エリクソン催眠のファシリテーションを使って無意識から変化を起こす方法
3)      ボディーワークを使って身体から変化を起こす方法

というような用途別に使い分けているわけですが、結局、現在持っている思考フレームから飛び出した形式でパラダイムを変えるということについてはまったく同じプロセスを取るというのは非常に面白い点だと思っているわけです。

(参考)

文献
N/A
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2012年2月24日金曜日

組織に変化を起こす6スッテプの承認


 
コーチングやファシリテーションなどで、簡単に承認などと言っちゃってくれているけれど、組織が変化するためにはきちんと手順を踏んで合意を形成しないといけないのは世の常なんだよなぁ。

独り言


今日は、「組織に変化を起こす6ステップの承認」と題して少し書いておきましょう。

6ステップの承認

TOC (Theory of Constraints)は基本的に、変化、つまり 1)何を変えるのか? 2)何に変えるのか? 3)どうやって変えるのか? を扱う問題解決の道具であることは以下のリンクで書きました。


もちろん、ここで変化する主体は何ですか?という根本的な質問を行うと個人もしくは組織ということになります。

ここでは主に組織の話について書いておきますが、基本的に組織はその組織の認識論(エピステモロジー:Epistemology)を持っていてその認識に基づいて生き物のように振る舞うことになります。


そのため、パラダイム・シフトを伴うような大きな変化を伴う改革のような場合は、特に組織の抵抗が大きくなることになります。

では、基本的に組織の認識論(Epistemology)に基づく変化に対する抵抗を変化の推進力に変えるにはどうすれば良いのか?

これには王道というものは存在せず、ホフク前進のように一歩一歩変化に対する抵抗を和らげるために変化に対する合意というものを形成する以外にはありません。

Theory of Constraints Hand book[1]を参照すると Buy-in という名称でこの承認に対する6つのステップが定義されていますが、以下のステップに従って合意を練りあげていく必要があります。

1.     中核問題への共通認識を得る。中核問題が存在し、それが◯◯である。
2.     解決の方向性について共通認識を得る。
3.     その方法で望む結果が実現されることに対しての共通認識を得る。
4.     全ての副作用を表面化し、その対策がうたれていることを確認する。
5.     導入時の全ての主要な障害を表面化し、その対策が取られていることを確認する。
6.     解決策の導入の全ての指標に関係者がコミットしていることを確認する。

もちろん、優秀なファシリテーター、コーチであればこのステップを踏んで従来の考え方や行動を変えるコミットメントを引き出し、実際にそれを実行しなければいけないような状況へ誘っているように思います。

 何れにしても組織が変化するというはそう簡単なことではないので、このあたりのことはきちんと押さえておきたいと思う今日この頃だったわけです。

文献

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2012年2月23日木曜日

すれ違いの構造(その7)


 
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

夏目漱石「草枕」


今日は、「すれ違いの構造 その7」と題して少し書いておきましょう。

何を手がかりに判断を行うのか?

集めた情報から何を手がかりに判断を行なっているのか?、その時の関心がどこに向いているのか?のある程度の傾向として以下が示される場合があります。[1]


1.     Vision (ビジョン、構想)
2.     Action (行動、状況とのやり取り)
3.     Logic (論理、理屈)
4.     Emotion(情動、気持ち)


これは、情報に対して何かの価値判断を行う場合にどういったことを重視するのか?ということになります。

もちろん、これも何か一つを重視せよといっているわけではなく、その人、その組織にとって何らかの偏りがあり、それが他の人、他の組織と違うとコミュニケーションの齟齬が生まれてしまうという示唆と思ってきます。

例えば、その案は、ビジョンは立派なのだけれども、そのビジョンを実現する道筋がロジカルに定義されていないというような場合。 この場合はビジョンを重視する人はその案に乗るということになるでしょうが、ロジックを重視する人はそれを実現する筋道を十分確認してからでなければその案に乗ることは無いでしょう。

また、後先考えずに思わず情に任せて何かを判断してしまう場合、もちろん人心把握にはこういった演出も必要でしょうが、裏にはきちんとロジックなり、アクションの実現性なりを確認していないと後で上手くいかなくなるのかもしれません。

それで、余談ですが日本の場合、山本七平の著作「空気の研究」[2]で書かれていた、その場の雰囲気とも言って良い「空気」というものが入ってくるようにも思ってきます。

 「空気」というものは非常に怖く、いったんこれが発生するといくらロジカルに説得をおこなっても、この論理を無力化してしまう恐ろしい力があるというわけです。

 第二次大戦中、日本軍が暴走した原因の一つに、この「空気」があげられることがあります。つまり独裁者がいて独裁をふるっていたわけではないのに、いつのまにか「空気」というものが発生し論理を打ち消して、あっと驚くようなトンデモ案が採決される、というような具合です。

 それで、個人的な理解としては、山本七平は空気の発生メカニズムを 1)臨在的把握 ―実際には存在しないものを臨場感を伴ってあると思い込む。 2)絶対視 それを反対側や別の角度から相対的に見ることができずに、絶対的なものであると思い込む。この条件を満たすことでこれが発生するということになると思います。

 それで、話を元に戻すと、この「空気」というのは、一番最初にお話した「ビジョン」の変質したものとも取ることが出来るわけですが、やはり事実に基づいた情報を完全に無視するとやはり都合の悪いことが起こるわけであり、やはりこの「空気」に飲まれようにするバランスの良い判断を行えるような何らかのプロセスは必要なのだろうなと思っている今日この頃でもあるわけです。

文献

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2012年2月22日水曜日

すれ違いの構造(その6)


 
タスクに目を向けると課題の解決に向けてすぐに行動できるようにも思えるわけですが、関係性というところに目を向けると課題の解決に重要な「おへそ」の部分が見えてくるようにも思ってきます。

独り言


今日は、「すれ違いの構造 その6」と題して少し書いておきましょう。

問題解決の関心事

問題や課題に向きあう時の関心がどこに向いているのか?のある程度の傾向として以下が示される場合があります。[1]


1.     タスク
    選択、決断
    手順
2.     関係性
    自己
    他者
    コンテクスト


はじめに、タスクに関心が向いている場合について考えてみましょう。

  • タスク 

この場合、具体的に何をどうするのか?という具体的な行動について考えることになるでしょう。

  例えば、仕事で経営に近い層に従事しているとすると、問題や課題が発生した時にいくつかの選択肢をつくってその中から決断をすることで課題や問題解決を図るというようなスタイルになることが多いでしょう。

 一方、同じタスクに感心が向いていても、定形業務に従事しているような場合は、予め決められた解決手順やプロセスに則って処理を行うということになると思います。この場合、自分たちで解決できない課題に遭遇した場合は、上位マネジメントへエスカレーションすることになるでしょう。
  • 関係性

次に、関係性というところに関心が向いている場合を考えましょう。

 自己に感心が向いている場合は、自分自身をメタ認知することで様々な物事を内省するような形式で考えることになるでしょう。

 また、他者に感心が向いている場合、他者と対話しながら物事を解決していくようなスタイルを取ることになるでしょうし、コンテクストに感心が向いている場合は、まわりの状況、文脈を理解しながら課題に取り組むことになるでしょう。 個人的にはコンサルティングのドキュメントなどについて、背景としてこの状況、文脈を明示するのが好きなほうです。

 それで、仕事や日常生活において立場や状況によっても異なると考えられますが、これらの関心の方向性がすれ違うとコミュニケーションが上手くいかないということになります。

 もちろん、どれか一つだけに関心を向ければ良いというわけではないのでしょうから、問題、課題の解決においては上で述べたいくつかの切り口から眺めてみると、問題、課題も随分立体的に見えてくるのではないかと思います。

文献

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2012年2月21日火曜日

すれ違いの構造(その5)


 
どのレベルかという問題があるのでしょうが、違いに着目するのか? 相違点に着目するのか?は結構重要なように思えてきます。

もちろん、どうみても違っている中に類似点を見つけることはできるのでしょうし、同じように見えても相違点を見つけることはできるということは、論理階梯で表現されるベイトソンの Theory of Mind からすれば明らかわけですが・・・関心の方向性がいつも同じように固定されてしまうのは問題かなと・・・(笑)

独り言


今日は、「すれ違いの構造 その5」と題して少し書いておきましょう。

相違点と類似点

グレゴリー・ベイトソン曰く「A difference that makes a difference.(違いを生み出す違い)があります。

この言葉は、「情報」の定義にもなっているわけですが、認識主体が観察できる2つの要素の差異から1つの情報が生まれるということを示しており、この2つの要素の違いから生まれる1つの違いが1ビットと定義されていることになります。

もちろん、情報というのは論理的にほとんどコストや物理空間の制約を必要とせずにどこまでも増やせる性質を持っているということになり、情報が情報を呼び、この情報が自己増殖するということでもあります。

それで、私たちは五感の感覚器から情報の元となる刺激を取り込むことになりますが、視覚、聴覚、体感覚、臭覚、味覚それぞれの刺激についての差異に加え、五感のチャネル毎に入ってくる、ある意味冗長な刺激を重ねあわせて、臨場感を伴った表象を構築し、そこから情報を得ているということになります。

これに関連して、五感のチャネルから入力される刺激から構築される情報を意図的に操作すると幽体離脱しているという誤った感覚が容易に作り出されるのは、サイエンティフィック・アメリカンの記事を引いた以下のリンクで書いた通りです。


 それでは、べつの角度としてこれを一般意味論の構造微分で考えて見ることにしましょう。


臨場感を伴った現実感のある表象というのはオブジェクト・レベルということになりますが、このオブジェクト・レベルの要素に言葉を貼付け、この言葉を使って推論を行うことで物事を観察する時に使う「思考の枠組み」が無意識のうちに形成されることになります。


それで、個人的には、これは状況との相互作用で決まる傾向で、青竹を割った二分法で決めることは難しいと思いますが、この一つのフレームとして類似点と相違点について書いておきましょう。[1]

これは関心が類似点にあるのか?相違点にあるのか?の傾向を示しています。


類似点………………相違点


もちろん、この傾向は状況と相互作用する形式で固定された認識ではないので、二値的にどちらが良いと決め付けるには危険があるわけですが、コミュニケーションのコンテクストでこれが合致していないとすれ違いが起こるようにも思ってきます。

例えば、企業のマーケティングを考える上、担当者が差別化ばかりを考えていて相違点にばかり着目して製品を開発したとすると、顧客からは何の類似点もないわけのわからない製品と映るかもしれませんし、逆に、競合の既存製品との類似点ばかりに着目して製品を開発したとすると、顧客からは単なる二番煎じとしてしか映らない可能性があるというような場合です。

もちろん、この場合、単に形が似ているとか色が同じというような一次的なレベルでの相違点-類似点というような見方があるでしょうし、もう少し深い二次的なレベルで、設計思想が似ているとか、コンセプトが違っているといった捉え方もあるでしょう。

その意味では、ベイトソンの Theory of Mind で考えると、状況と自分と対象となる人やモノの視点の相互作用で、この相違点-類似点の判断は変わってくるということになるのでしょうけれども、逆の言い方をすると、どの視点で物事を見ているのか?を探り、相手のことを理解するための決め事としては相違点-類似点という考え方が使えるということにもなってくるように思ってきます。


http://ori-japan.blogspot.com/2011/08/blog-post_21.html
http://ori-japan.blogspot.com/2011/08/blog-post_22.html

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2012年2月20日月曜日

すれ違いの構造(その4)


 
判断基準が自分の外にあるのか?内にあるのか?ある程度考えておくことは重要なことのように思えてきます。

独り言


今日は、「すれ違いの構造 その4」と題して少し書いておきましょう。

内向と外向

個人的には、これは状況との相互作用で決まる傾向で、青竹を割った二分法で決めることは難しいと思いますが、内向、外向という傾向を思い出します。

これは関心が自分の内側にあるのか?外側にあるのか?の傾向を示していますが、


内向………………外向


 元々は、C.G.ユングのExtraverson/Intraversionと指摘した型からの引用です。[1][2]

 ユングによれば人の関心について傾向はどちらかに分かれる傾向があると言われているようですが、この型が異なる傾向の人がコミュニケーションを行うと話が噛み合わないというようなことが起こると考えられます。

 もっとも、個人的は内向、外向と二分法で傾向が分かれるという立場は取っておらず、構成主義的に、内向、外向の循環を考えましょうという立場を取ります。

 されて、話を元に戻して、内向、外向をマーケティングの例で説明しましょう。

マーケティングにはプロダクト・アウトという考え方とマーケット・インという考え方があります。

プロダクト・アウトはスティーブ・ジョブズではないですが、市場の動向はそれほど気にすることは無しにその企業やマーケッターの信じるところに従って素晴らしい製品を出せば市場はついてくるというような考え方です。

この場合、自分の関心はもっぱら内的なところに向いているでしょう。 もちろん、この場合は誰も見たことのないような画期的な商品が市場にリリースされ大成功する可能性もありますが、市場が立ち上がらずに大コケする可能性もあるわけです。

マーケット・インは、市場の動向に感心を払い、厳密な市場調査に基づいて顧客のニーズを把握し製品を開発し、リリースするようなやり方です。 この場合、厳密な市場調査を行うことで大コケする可能性は少なくなりますが、あまりユーザの言いなりの製品を開発するとどこかで見たような新鮮味の少ない製品が市場にリリースされるようなことが起こります。

もっとも、これは一般的な傾向ということになり、必ずしも二分法でどちらかの方法しか取れないということでもないでしょう。

現在は、内向、外向の切り口以上に、収穫逓減の物理的なモノやサービスと、人の認識が関係する収穫逓増の論理的な情報が相互作用する、時代になっているため、この部分がマーケティングの鍵になっているようにも思います。
 
 さて、結論を急ぐと、仕事や日常生活の場面で、自分の関心、判断基準が外にあるのか、内にあるのか、それを反転してみたらどんなことが起こるのか? それを考えてみると結構面白いなと思った今日この頃だったわけです。

文献

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