2012年4月30日月曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その33)魚雷療法




今までのやり方がまったく通用しない問題や課題に直面している場合。この問題や課題は、「今まで当たり前だと思っていた枠組みからとび出せ。大きく飛躍するチャンスだから。」と教えてくれているように思ってくる。

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その33)魚雷療法」について書いておきましょう。

言語パターンはここで一旦閉めます。

ミルトン・エリクソンの言語パターンについて、ここまで、主に、変形生成文法のフレームワークで形式知化したパターンを中心にして書いてきました。

言語は私たちの世界観の枠組みをつくっているところに関わっているわけであり、ある意味、言語によりつくられたこの枠組が私たちに概念上の矛盾を引き起こしている原因にもなっています。

もちろん、その枠組に囚われているような場合、その枠組を認識し→その枠組から飛び出し→新しい認識や行動を身につける、ことが問題や課題の解決につながることになるわけですが、以下のリンクで短期・戦略療法の原則でも書いた通りに、これが「アブダクティブに学ぶ」ということでもあるわけです。


それで、ミルトン・エリクソンの言語パターンはそれ自体が、リソースを探る心身状態へのトランス誘導になっているという側面もありますが、言語によってつくられた自分を制限する枠組み自体に気づいてもらい、その枠組から飛び出る支援をするという意味が強いということも分かってきます。

その意味では、二ヶ月近く書いてきたエリクソンの言語パターンを読み返してみると、クライアントの視点を引き上げ、認識や行動を変えるためにとても洗練された禅問答であることが分かってくるわけです。


もちろん、この禅問答の秘密を探るために、ここから認知言語学のフレームワークで形式知化された言語パターンを書こうかと思ったわけですが、これで書き始めるとメタファーまで範囲に入り膨大な量になってしまうため、認知言語学で形式知化されたエリクソン言語パターンについて一旦保留してまたネタがたまってから書こうと考えています。

魚雷療法を言語パターンの練習につかう

それで、言語パターンの閉めの記事は魚雷療法(Torpedo Therapy )について書いておきましょう。[1]

ミルトン・エリクソンの心理療法のスタイルについて考えると、Jazz でいう即興演奏(Improvisation) のようなスタイルで、相手の状況によって縦横無尽に変化するというようなスタイルを取るように思ってきます。

つまり、予め用意されたスクリプトを棒読みするというスタイルからは対極的な方向にあり、スクリプトを棒読みするスタイルはエリクソニアンではないということになります。

もっとも、ここで別の問を立ててみましょう。「優れた Jazz の演奏家がどのようにして優れた即興演奏家になったのか?」。

例えば、優れた Jazz ピアニストにしても、サックス奏者にしても、ドラマーにしてもベーシストにしてもおそらく最初から即興演奏ができるようになったというわけではないでしょう。

おそらく、最初はコード進行を覚えるなり、そのコード進行で吹けるスケールなりフレーズなりを練習して、多少格好のつくような状態になったところでセッションを重ねてそれぞれの奏者が今のようなスタイルになったと考えるのが自然なところです。

それで、魚雷療法というのはある意味、コード進行を覚えるとかスケールを覚えるような「千本ノック系」の練習に使えるような技法となります。

名前からして魚雷と謳っているのは、問題だと思われているところにねらいを定めて片っ端から魚雷を発射し、その問題を海に沈めてしまうというようなそのスタイルから来ています。

この技法は4つの柱からなります。1)ひとつは時系列を前後させるような言語パターン。(Temporal Language) [2] 、2) ふたつは、クライアントの制限となるような思考の枠組みのリフレーミング。元々リフレーミング、MRIのポール・ウォツラウィックが命名した概念ですが相手の制限となる可能性のある枠組みを見つけてリフレーミングを行います。[3] 3) 3つ目は含み(Implication)を使う。これはエリクソンの言語パターンでも説明したところですが、相手に直接的にものを言うよりも、あえて曖昧に含みをもたせた形式で話すということになります。4)4つめは、一致(Congruent)つまり以下のリンクで書いたように 1)-3)をクライアントの不一致が解消するような方向で使ってみる


ということになります。

 もちろん、エリクソンのスタイルの場合は、パラドクス介入も考えられるため、


 通り一遍のスタイルとばかりにはいかないところもあるのですが、即興演奏の下積みとして、また、相手との相互作用を考えて対応を変える対応力を磨くために、最初はこういった練習から始めてみるのも悪くないのでしょう。もちろん、この代りに Clean Language[4] でも、Privative Therapy [5]でも相手と普通に会話しながら使える方法が良いのでしょうけれど。

(つづく)

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com


2012年4月29日日曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その32)物語とメタファー



見えているものが簡単だからといって、見えていない本質が簡単だとは限らない。

逆に、見えているものが複雑だからといって、見えていない本質が複雑だとは限らない。
 
独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その32)物語とメタファー」について書いておきましょう。

メタファーと物語

 さて、ゴールデンウィークに突入したところですが、今日は、エリクソニアンの物語やメタファーについて少し書いておきましょう。

ミルトン・エリクソンは、クライアント対して物語やメタファーを語ったことで知られています。

  もちろん、この物語やメタファーの詳細については、エリクソン関係のメタファーが時系列的かつ体系的にまとめられている「Metaphoria[1]などの著作を読んでいただくとして、はじめになぜメタファーなのか?を考えてみましょう。

 私の座右の書でもある、エリクソン&ロッシの著作「EXPERIENCING HYPNOSIS[2]を読むと以下のような記述が見つかります。


Now the next thing I want to stress is the tremendous need for each doctor to work out a method of suggestion for himself. In developing my own technique, I worked out what I felt was a good hypnotic technique. It was about 30 typewritten pages, single-spaced, of the various types of suggestions necessary to induce a deep trance. And then I slowly cut it down from 30 typewritten pages single-spaced to 25, to 20, to 15, to 10, to 5, and so on, so that I could use the whole 30 pages or I could use just one page or one paragraph. But I learned thoroughly how to graduate my suggestions, and how to lead from one suggestion to another. When one does that sort of thing, one learns how to follow the leads given by his patient.


要は、エリクソンがクライアントにデリバーする暗示を練り上げるために、30ページものメモ書きから考え始めて、最終的にはそれを凝縮できるところまで凝縮して最終的に使う暗示は1つのパラグラフ程度、といった具合です。

それで、物語やメタファーについても、これを使うのは、クライアントに面白がってもらう、というのがねらいではなく、その一つは、上でつくったような暗示を、物語やメタファーに隠してデリバーするためということになるでしょう。

もちろん、なぜ暗示をメタファーや物語に隠してデリバーするかと言えば、クライアントがあまり意識せずに、論理階型の上位にある視点から新しい、資源・資質を見つけて認識や行動を変化させることを支援するためということになるでしょう。

 もちろん、ここに、普通の人はメタファーや物語を聞いた時に、コンテンツに注意が向いてしまうというという前提が存在するように思ってきます。

 さて、もう一つはなぜメタファーや物語をクライアントにデリバーするのか?を説明しているモデルに、エリクソニアンであるビル・オハンロンさんの「Class of Solution /Class of Problem Model」があります。


 余談ですが、Class の話を始めるとバーランド・ラッセルとアルフレド・ノース・ホワイトヘッドの著作、「プリンキピア・マティマティカ」の話から始めて、認知科学系の話だとカテゴリー化やプロトタイプ、IT系だとオブジェクト指向の話をしなければいけなくなるのでしょうが、長くなるのでここでは話さないでおきます。


http://ori-japan.blogspot.jp/2011/11/blog-post_23.html

 それで、オハンロンさんのモデルは、エリクソンの不思議な部分を徹底的に取り除いて単純化されていることが多く、ある意味人を食っているようにシンプルなモデルだったりすることが多く、人によっては「たったこれだけ?」と思ってしまうこともあると考えられますが、よく考えてみると本質的なことをついていることが多いモデルだと個人的には思っています。

 それで、2011年の Erickson Congress (エリクソン国際会議)で配布された資料のP.4を読むとこのモデルについての説明が見つかります。


 要は、クライアントがある問題にはまってしまってある意味我を忘れているような状態があるという前提があるわけです。

ここで、エリクソニアンとしての治療家は、アナロジー、逸話、トランス、他の人との共同作業の指示などで介入を行うことになります。

それで、なぜこのような介入を行うかというと、その答えは、クライアントがその状況がどのように起こっているのかというコンテクストに気付かせるためとなります。

つまり、どのようにその状況に陥ったのか?と考え始めた時点でクライアントは既にメタ認知を始めており、問題にはまって我を忘れている状況を抜けだして、この問題のコンテクスト、つまりどのようなプロセスが連鎖し、どのような関係性の元でそうなったかと別の論理階型にある視点にでて気づき始めているということになるわけです。

その意味では、オハンロンさんのモデルから考えると物語やメタファーを使う目的は、自己同一化している問題からメタ認知を使って自己同一化を解く、また、物語やメタファーを使うことでその問題を相対化する、そして、問題をそれがどのような関係性で起こっているのかそのプロセスに焦点を当て、さらに、どのようなプロセスを取ったら解決できるのかその具体的な方法に注意が向いてくることを意味しているように思ってきます。

そう考えるとオハンロンさんのモデルはシンプル過ぎるほどシンプルですが非常に本質的なことを語っているように思えてきます。

(つづく)

文献
[2] http://www.amazon.co.jp/dp/0829002464/


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2012年4月28日土曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:文の構造と構成の構造



 文の最後まで聞かないと結論が分からない日本語というのは、基本的にエリクソンが使う催眠言語と同じように、相手に推論を促すような機能を内在しているのではないかと考えています。

 もっとも、催眠言語のような言葉、故に、メタ・メッセージが重視される高コンテクストの文化になるのか? 高コンテクストの文化だから催眠言語のような話し方になるのか?は分かりませんが。

 何れにしても、日本語というのはエリクソンが使う催眠言語の一種だと個人的には考えています。(笑)

独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:文の構造と構成の構造」について書いておきましょう。

日本語にまつわる曖昧さ

 曖昧さで書き忘れたことがあるので、テーマを巻き戻して、ここで2点書いておきます。

このあたりはエリクソン関係の英語の文献を読んでも書いていないことなのですが、個人的に考えている日本語にまつわる曖昧さについて書いておきましょう。

l     結論が文の最後に来る日本語の曖昧さ

一つ目は、普通に日本語を話していると結論が文の最後に来るような話し方をしているという点です。

人の知覚や認知はある程度並列処理を行うことができますが、身の回りで起こっている現象を記述したり、自分の頭に存在する概念を話したり、ということになると、当然、「言葉」を使うことになるわけです。それで、この言葉を使い始めると人の知覚や認知がシーケンシャル、つまり直列の処理になってしまうという特徴があるように思います。

 それで、言葉を順繰り処理する直列モードに入ってしまうと、結論が最初にこない日本語はある意味曖昧さを含むことになり、それを推論するモード、つまり以下のリンクで書いた「Transderivational search」のモードに入ってしまうのだろうなと個人的には考えているわけです。


例えば、以下のような例を考えてみましょう。


確かに、あなたのご意見にも同意するところは多いのですが、早急に結論を出すというのではなく、そのご意見を十分検討させていただいた上で、双方十分納得した上で決めるようにしてはどうかと思う次第でございます・・・・・・



おそらく英語だと、文の最初に二分法的な判断として、「Yes」、「No」が来るなり、具体的にどの部分に賛成、どの部分に反対といった答えが返ってくるでしょう。もちろん、日本語の場合は、上の例のように一見、何を言いたいのか?というモードになるのが普通のように思ってきます。

もちろん、私の言いたいことは英語と日本語を比べた時にどちらが良いという話ではなく、日本語の場合は、文化的な背景とあいまって、良い意味でも悪い意味でも曖昧になる場合が多い、また仮に「Yes」という答えでも、結論が最後に来ることが多いため、その間に相手が推論することになるため、エリクソンの用いた催眠言語のパターンに似た構造になると、個人的には思ってきます。

そう考えると普通に日本語を使っている場合、結論は最後まで聞かないと分からないわけですし、主語が省略されて主客は曖昧にされているわけですし、ミルトン・エリクソンの言語パターンのように、日本語を使っている人、なにかしら軽いトランス状態にあるわけで、極端な話、1億3000万人の日本国民は、知らない間にエリクソン催眠をマスターしていて、日常生活や仕事の場面で活用していると思ってくるわけです。

l       複数の文をつないで説明する時、結論が最後にくる曖昧さ

 もう一つ、はもう少しマクロなパターンで、複数の文章をつないだ場合の構造どうなっているか?です。 

 以下のリンクで、いくつかの文章をつないで何かを説明する場合に、ピラミッド構造にして結論を先に、そしてその理由を帰納法、もしくは演繹法で書くと相手をあれこれ推論させることなく要旨を完結に説明することができると書きました。


 最近は、日本でもこういったロジカル・シンキングの概念が欧米から入ってきて、結論を最後に言うのではなくて、結論から先に話す方法も広がってきたように思います。

 もちろん、逆の言い方をすると、結論を先に言わずに、事実やデータだけを述べて「これは何を意味しているのでしょうか?」と言えば文字通り相手に推論をさせるような形式になるわけですが、プレゼンテーションとしては最後まで聞かないと結論が分からないという曖昧さを含むということになってきます。

 もちろん、小説などの場合は、ピラミッドに書くとまとまり過ぎていてまったく面白くないため、できるだけ推論させて結論を先送りするような形式のほうが良いでしょう。

 それで、ここでの趣旨は結論を先に言うのが良いのか?結論を先送りするのが良いのか?という単純な二元論に陥るのが目的ではないのは言うまでもありません。

 要は、相手に覚醒してもらって何か重要なことを伝える場合は、結論から先に言えば良いし、これだけだと相手が違う意見を持っていたり、あるいは反発してきたり、することも予想されるために、この場合は、エリクソンが使った言語パターンのように結論を先送りするような形式で、相手と認識をすり合わせるために、物事をあえて曖昧にして伝えるようにすれば良いのだろうなと思ってくるわけです。


(つづく)

文献

N/A


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2012年4月27日金曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その31)バインドとダブル・バインド



 ミルトン・エリクソンの技法を日常生活や仕事に応用するためには催眠という現象にとらわれてはいけない、と思う。
  
独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その31)バインドとダブル・バインド」について書いておきましょう。

ダブル・バインドは二者択一ではない

 ミルトン・エリクソンの言語パターンの根幹となるものがバインドとダブル・バインドです。

 もちろん、ダブル・バインドの言語パターンは、ミルトン・エリクソンが経験的に治療に利用していた治療的ダブル・バインド(Therapeutic Double Bind)を観察し、グレゴリー・ベイトソンがそれを統合失調症の原因仮説として形式知として取り出したところから始まります。


 それで、この言語パターンについては既に以下のリンクに詳細を書いたので、ここでは説明しません。


 さて、日常生活でこういったダブル・バインドの言語パターンを使いこなすというのは結構難しい面があります。

 その理由は、ダブル・バインドは単なる二者択一の質問ではなく、緻密に設計された詰将棋のように、被験者のメタ・レベルの思考の中で、「後一手で詰まる」という状態にしておいて、「王手」を宣言して駒を進め、王を逃せば飛車が取られるというような状態でダブル・バインドの言語パターンを使う必要があるからです。


 例えば、あなたが家を買ったばかりの会社員で、会社から「山奥村営業所に赴任をお願いします」と辞令が発令された場合、1) 山奥村には行きたくないなぁ。→(メタ・レベルの意図)単身赴任になるし、家族を連れて行くとすると、子供の教育のこともあるし、家から通いたいし、かと言って今後の昇進を考えると、断るわけにもいかないし・・・一方 2)いっそうのこと転職するか?でも、→(メタ・レベルの意図)この業界自体が景気が悪いし、かといって異業種も未知数でリスクが多いし・・・ と考えるようであれば、ダブル・バインド、あるいはベイトソンの言った「ダブル・バインドのようなもの」に陥っている可能性があります。

 逆の言い方をすると全く状況設定がなされていない状態でダブル・バインド風の言語パターン、例えばお店で店員が顧客にむけて「赤にしますか?青にしますか?」という単なる二者択一の質問をしても、顧客のメタ・レベルにどちらかを選ばなければならないという状況が無ければ「どちらも必要ないです」と簡単にかわされてしまうのでまったく意味がないという具合です。


http://ori-japan.blogspot.jp/2012/04/blog-post.html


 もちろん、ここで意味が無いといっていることは、以下のリンクで書いたように、クライアントが上位の論理階型の視点を身につけるなり、そこから新しい資源・資質(リソース)を持ってくるというようなやり方でアブダクティブに学ぶ機会を得ることができませんでしたね・・・という意味で意味が無いと言っています。


http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/blog-post_31.html


 逆の言い方をすると、エリクソンのダブル・バインドは、視点を上位の論理階型におしあげ、新しい資源・資質を獲得する支援をするための禅問答だということになります。


ひとつの応用例

 もちろん、個人的な提案としてはダブル・バインドの言語パターンを練習するのも良いのですが、例えば TOC の対立解消図[1](Evaporating Cloud)を使って、ジレンマやパラドクス、あるいはダブル・バインドの構造を明示するのも良い方法だと思っています。

 ある個人やグループが何らかの課題を抱えていた場合には重たい課題ほど、行動/決断を制限している必要条件、つまりメタ・レベルの思考になんらかの制限が存在しているということになります。



 この図を活用するとどうしても構造主義っぽくなりますし、あまり定量的なゴールだけにとらわれてしまうのも問題があるように思いますが、個人的には、ベイトソンの言った

The major problems in the world are the result of the difference between how nature works and the way people think.

Gregory Bateson

世の中の主たる問題は、自然の摂理と人の思考の差異によって生じる結果である。

グレゴリー・ベイトソン


を解消できる可能性を持ったツールの一つのように思えてきます。


それで、対立解消ではありがちな一つのオレンジを取り合うという事例について、対立解消図を使って課題を解いた例をつくったので公開しておきます。


https://docs.google.com/open?id=0B08_fMDft6NpWmRkaHViWHJkazg

もちろん、この例は人を小馬鹿にしたほど簡単なのですが、(もちろん実際の例は機密保持など関係で公開できないのですが・・・)日常生活や仕事の場面でも、時代の急激な変化にともなって、過去の延長では解けない課題が噴出している時なので、対立の構造に気づき、その前提の枠組みに気づき、そしてその構造を作り出しいているパラダイムを超える、という考え方は今後増々重要になってくるのではないか?と個人的には考えています。 

(つづく)

文献


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2012年4月26日木曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:駄洒落




 仕事や日常の場面で、それが修羅場だったとして、ちょっとした洒落っ気を発揮し続けるというのは精神衛生上とても良いことじゃないのかなかと思ってきたりもするわけです。
 
独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:駄洒落」について書いておきましょう。

英語の駄洒落は結構難しい

 これは、曖昧さ(Ambiguity)の中のその他の項目に含められることもありますが、エリクソンが使ったのが駄洒落、洒落( Puns)です。[1][2]
 
 もちろん、クライアントがある言葉にとらわれて深刻な状況に陥っているとすると、エリクソンが狙いすましたような洒落っ気を発揮してその状況に揺らぎを与える、つまり、一つの言葉に2つ以上の意味を与えることで、一種のリフレーミングのようなことを行なっているということになります。

 例えば、以下のような文があります。


"If pun-ishment were effective in reducing inappropriate behavior.

(意味)もし、不適切な振舞いを減らすために罰が効果的ならば。
(意味)もし、不適切な振舞いを減らすために駄洒落の刑が効果的ならば。


 上の文を読むと、punishmentは、通常、罰や刑罰という意味ですが、発音する場合にpun-ishimet と間に少しポーズをおくと別の意味が付加されてしまいます。

 もちろん、ダブル・バインド仮説でもお馴染みの「~してもお前を罰する」、「~しないとお前を罰する」から始まって、メタ・レベルまでがんじがらめの状態にあるとしても、


 実はこの罰が「駄洒落の刑」であって、それほど深刻なものではないという感覚が起これば、ダブル・バインドを伴う課題や問題も随分異なったものになってくるのではないかと思ってくるわけです。

 実際に、エリクソン&ロッシの残したクライアントとのセッションの記録が残っていたりするわけですが、英語で記録された原文のダイアローグを読んでみると結構な頻度でこういった洒落っ気たっぷりの場面が見つかるのは非常に面白いことだと思います。

 逆に言うと、アカデミックな方が緻密に日本語に翻訳された本でもこのあたりの洒落っ気が落ちてしまっている可能性はあると思います。もちろん、このあたりのニュアンスを残して日本語にすることは、ほどんど神業に近いことなのでしょうが・・・

 それで、こういった事から推測するとエリクソンは、いつも何か面白いことを言おうと命をかけている関西人のようなイメージがしますが、個人的にはあながちそのイメージは間違っていないように思えてきます。

 もちろん、エリクソンは洒落や駄洒落も非常に緻密に考えているところがあるので個人的には桂米朝師匠のイメージに近いかなぁ。(笑)

(つづく)

文献

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2012年4月25日水曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:句読点、句読



 理屈で考えると無理なんだけれど、実際に行動してみると案外簡単だったということが結構あります。 理屈では無理だと考える思考様式は、今までの経験から学んだ常識だったりするわけなのだけれど、革新的なことをやろうとすると必ず邪魔をしてくるように思ってきます・・・・もっとも、こんな場合「Here and Now」の純粋経験に戻って枠組みをすり抜けるか? 二項対立を利用することで枠組み自体に気づいてこれをリフレーミングするか?など色々やり方はあるのでしょうが・・・
 
独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:句読点、句読」について書いておきましょう。

どこに句読点があるかで違ってくる意味

 曖昧さ(Ambiguity)の4つめは句読点、句読(Punctuation)の曖昧さです。これは、話言葉としてどこに句読点を入れて読むのかで同じ表層構造に対して複数の深層構造、つまり意味が現れてくるというケースです。[1]

 例えば、以下のような文があります。


"A pocket full of change the way you are sitting.

A pocket full of change. つり銭でいっぱいのポケット。
Change the way you are sitting. 坐り方を変えなさい。


上の文は、「つり銭でいっぱいのポケット」と「坐り方を変えない」の2つの表層構造に分解することができるわけですが、実際にはこれを聞いたクライアントの頭の中では「一体何が言いたいのだ?」というような混乱が起こり、「坐り方を変えなさい」というような命令がクリティカルな思考をすり抜けて伝えられていると考えられます。

次の例を考えてみましょう。


"When you go to the store your new learnings for another day

 When you go to the store . その店に行った時。
Store your new lernings for another day. 新たな日のために新しい学びを記憶しておきなさい。
たくわえておきないr new lernings for another day.

上の例も文章だけを考えると多少意味不明な文章です。おそらく聞き手の頭の中では、「エリクソンは一体何を言っているのだ?」ということになると思うわけですが、実際にはこの混乱に乗じてクライアントのクリティカルな思考をすり抜け「新たな日のために新しい学びを記憶しておきない」が伝えられることになります。


 もっとも、これをあえて日本語にすると、「その手は桑名の焼きハマグリ」とか「あたり前田のクラッカー」とか「おそれ入谷の鬼子母神」(個人的には、「おそれ、イリヤのブリコジン」のほうが好きかなぁ(笑))のセラピューティックな使い方となってくるでしょう。

 それで、このような文章を考えると、聞き手は心のなかで「一体どっちなのだろうか?」「一体何が言いたいのだろうか?」とちょっとした二項対立の状態を起こしているように思えるわけですが、スティーブン・ギリガン博士編纂の「The Legacy of Milton H. Erickson: Selected Papers of Stephen Gilligan[2]p.20あたりを読むと、ちょっとした二項対立はまさに禅問答であり、これが解決策を探るために利用できる変性意識を引き起こす要因になる、ということが書かれているのを読むと非常に納得してくるということになります。

(つづく)

文献

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2012年4月24日火曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:範囲



 欧米にありがちな単なるロジカル・シンキングではなくて、行間に言いたいことを詰め込んで間接的に相手に言いたいことを伝える技法だから、ミルトン・エリクソンのコミュニケーションのスタイルは、とても日本人に向いているとおもいますよ。
 
独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:範囲」について書いておきましょう。

その言葉がどこにかかるか作用域の曖昧さ

 曖昧さ(Ambiguity)の3つめは範囲、作用域(Scope)の曖昧さです。これは、日本語などでも起こりますが修飾語がどの範囲までかかるのか、これが曖昧にされているケースです。[1]

 例えば、「全裸で」をつけて何かフレーズをつくることの好きな2チャンネラーが大喜びしそうな表現があります。


"I want you to draw me a picture of  yourself in the nude "

(意味1)私はあなたに、あなたの裸の絵を書いて欲しいのです。
(意味2) 私はあなたに、裸になって絵を書いて欲しいのです。


英語の笑い話で、日本人が足を怪我して英語圏の病院に行った時に「Take off your pants.」(ズボンを脱いでください)と言われた時に、顔を赤らめながら、文字通りパンツまで脱いでしまったというのがあります。

もちろん、この例は日本人にありがちな勘違いということになるわけですが、その上で取り上げた例は、英語のネイティブ・スピーカーが聞いても、「自分の裸の絵を書くのか」あるいは「裸になって絵を書くのか」、チョムスキーが言う、はなし言葉としての表層構造に対する深層構造が2つ存在するということになり、聞き手はどちらの意味なのだろうか?推論をはじめ、多少の混乱が起こるというわけです。[2]


Speaking to you as a child...

(意味1) エリクソンが子供のように無邪気にあなたに話しかける。
(意味2) エリクソンが子供としてのあなたに話しかける。


ここは、退行催眠に関わってくる部分でちょっと取り扱いが微妙なところだと個人的には考えています。

退行催眠は、簡単に言うと記憶を過去に退行させる形式の催眠で、変性意識下で用いるとクライアントが虚偽記憶をつくってしまう可能性も否定できないため博士号を持った指導者などについて十分経験を積み、正しく活用する必要があり、少なくとも初心者に教えられるような技法ではないと個人的には考えています。[3]

 もちろん、日常会話でも「小学生の時、キャンプに行く前日は気持ちがワクワクしてなかなか眠ることができませんでしたよねぇ?」「その時の気持ちはどうでしたか? それを思い出すことは出来ますか?」とか「今までの経験の中で、人生最高の気分だと思ったことはありますか?」「それはどのような気持ちでしたか?」というように現在、あるいは将来の変化に向けての資源・資質として活用することは問題ないようにも思ってきます。

それで、上の例はエリクソンが明示的に過去に退行しないさいと明示的に言っているわけではないのですが、クライアントが「子供としてのあなたに話かけます」という意味に取ると、クライアントは、例えば、自分の幼稚園や小学生だった頃の記憶にアクセスして、変化や問題解決のための資源・資質を探し始めるということになるわけです。

(つづく)

文献

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2012年4月23日月曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ :統語上の曖昧さ




曖昧な状態というのは、言い換えれば、可能性に満ちた状態だとも、創発が起こる前のカオスな状態だとも思ってくる。
  
独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:統語上の曖昧さ」について書いておきましょう。


統語上の曖昧さ

 今日は、2番目の曖昧さ(Ambiguity)である統語上の曖昧さ(Syntactic Ambiguity)について書いておきましょう。[1][2]

 統語上の曖昧さは、言ってみれば英語の文法上の盲点をついた曖昧さということになるわけですが、ある文章が二重の意味を持っているような状態を指します。もちろん、チョムスキーの生成文法上の用語で説明すると、1つの表層構造に対して2つ以上の深層構造を持っているということになるでしょう。[3]

l       パターン:その1

 例えば、このパターンとして「動詞+ing + 名詞」があります。


“…. flying plane is dangerous .

(意味1)飛んでいる状態の飛行機は危険である。
(意味2)飛行機を飛ばす(操縦する)ことは危険である。


(意味1)の場合は、flying plane を修飾する形式になっていて plane の状態を表すような形式になっています。
(意味2)の場合は、flying が主語になっており plane がその説明になっている形式です。

もっともこの英文のような場合には、flying planes are dangerous として、飛んでいる状態の飛行機は危険である、flying planes is dangerous として飛行機を操縦することは危険である、を区别する方法がありますが、planeが単数形になっている場合はこの区别が出来ずに二重の意味を持つことになります。

もう一つ別の例を見てみましょう。


They are walking dogs.

(意味1) 彼らは歩いている犬たちだ。
(意味2) 彼らは犬たちを散歩させている。

上の分も統語上の曖昧さを持っており、生成文法上の一つ表層構造に対して2つの深層構造を持つ形式になっています。

また、日本語での例を考えると以下のような例があります。[4]


「彼は読んだよ。」

(意味1) 彼が(誰かが書いた本を)読んだ。
(意味2) 彼の本(例えば夏目漱石)は読んだ。


l       パターン:その2

このパターンは名詞を修飾する動名詞ということになりますが、以下のような例があります。


The running leader .

(意味1) 自走するリーダー
(意味2) 他人に権力をふるうリーダー


サイバネティスク的には自分で努力しているリーダーなのか、あるいは人に権力をふるうリーダーなのかある意味まったく反対の意味を持つような格好になっていますが、統語上は、1つの表層構造に対して2つの深層構造を持つような形式になっています。

さて、ミルトン・エリクソンの言語パターンということについて考えると、エリクソンは一つの表層構造から少なくとも2つの深層構造があることを示唆することで、今持っている表層構造-深層構造のマッピングが絶対ではなく、このマッピングを変えることで新しい意味が構築されることを教えてくれているようにも思ってきます。

 (つづく)
 
文献
[4]https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:1pXblRFbSUoJ:repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/87681/1/dyn00006_178.pdf+&hl=ja&gl=jp&pid=bl&srcid=ADGEESjsv_7OvwTmvsmUu9Um3MYMC124V9aybqwCO_nBRa9B_1RDIFKWpLw1bcUIrITYb5V75M_mzGeDbsX44gOEOD6mzH--eUi5bIJxzHW0a21rl3lCM9R7bOXNrV_VG7tq19ACOfoQ&sig=AHIEtbT5dhCEZgFufbSmmVvcZhgqq0DErw


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2012年4月22日日曜日

ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ :音韻的曖昧さ




 エリクソンが用いた類音連想(Clang association)は、日本語で言うヲヤヂ・ギャクと言われるものに近似していると考えられる。(笑)もちろん、エリクソンのそれは、一般的なヲヤヂ・ギャクよりもう少し上品なのだけれど。
 
独り言


今日は、「ミルトン・エリクソンの言語パターン(その30)曖昧さ:音韻的曖昧さ」について書いておきましょう。


音韻的曖昧さ

 曖昧さ(Ambiguity)が必ずしも悪いことではない、ということについては昨日書いたわけですが、ミルトン・エリクソンが用いた曖昧さとして後の研究者が分類した4つのカテゴリーの一つとして音韻的曖昧さ(Phonological Ambiguity)があります。[1]

 音韻論的な曖昧さを一言で説明すると同音異義語ということになりますが、エリクソンはこの同音異義語を使って同じ言葉に二重、三重の意味を持たせて活用しています。

 例えば、日本語で「あなたは、たつことができます。」と相手から言われた場合。

 聞き手は、話の文脈等を加味して、「立つことができる」、「断つことができる」、「発つことができる」・・・のうちどれだろうか?と頭の中で無意識に推論を始めることになるわけです。逆に言うと、言葉とイメージの関係性を固定化させない方向で、このような推論を起こすために音韻的な曖昧さを活用していることが考えられます。

 言語学的には、例えば認知言語学のカテゴリー化とプロトタイプの理論を使って、ある言葉からその言葉や文脈をイメージしてどれが適当なのか?特定のカテゴリーに分類されていない、ある意味、「曖昧だ」という心身状態を伴った宙ぶらりんな状態にあると思われます。


 エリクソンの場合は、意図的に文章の一部が省略された言語パターンとあいまって、hare/hair know /no knows/nos/nosedeer /dearboll/bowlclothes/ closeneed/kneadhere/hearbuy /bye nun/none some/sum hi/highなどの同音異義語が発話されて、英語のネイティブ・スピーカでも、文脈からその言葉が一体どちらの意味で使われているのか?推論を始めることになります。 

 また、エリクソンの場合、こういった同音異義語の他に、明らかにその言葉の使用が言語学上は正しくない代りに発音の似た別の用語を活用する場合があります。

 言語学上は類音連想(Clang Association)と呼ばれており、light/ flight/heightf ounder /flounderhold/ fold comber /summersober /somber/ encumber など発音が似た用語をあえて活用する方法です。

 あえて日本語で言えば、例えば、「順風満タン」な人生を送りましょう、というようなオヤジ・ギャク[2]がかった話になってきますが、このあたりは、個人的にはエリクソンのユーモアと考えると非常にしっくり来るように思ってきます。

 (つづく)
 
文献

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