2012年6月28日木曜日

人間コミュニケーションの語用論(番外編)



関係性はコンテンツより上位の論理階型にある。

コンテンツをいじっても解決しないことでも関係性に焦点を当てたり、関係性を変えることで解決することが多いなぁ。

独り言


今日は、「人間コミュニケーションの語用論(番外編)」について書いておきましょう。

関係性は内容(コンテンツ)よりメタのレベルにある

コミュニケーションの講座などで「メラビアンの法則」[1]なる法則で説明している講師を見かけると、根拠としては非常に薄く、実践的にはあまり役に立たない法則だなと再認識するところがあります。

もちろん批判するにはより有益な対案を持っている必要があると思いますが、個人的には、センスの良いコミュニケーション理論として、パロアルトのMRI(Mental Research Institute)に在籍しスタンフォードのメディカル・スクールでも教鞭を取っていたポール・ウォツラウィック博士[2]のコミュニケーションの5つの公理


l       人は、コミュニケーションしないでいることはできない。
l       すべてのコミュニケーションは「内容」と「関係」からなる。
l       コミュニケーションは句読点や間によって意味が変わってくる。
l       人のコミュニケーションはアナログ、デジタルそれぞれのモダリティを含む。
l       コミュニケーションは対称(シンメトリー)もしくは補完(コンプリメンタリー)である。


が出発点になると考えています。


余談ですが、日本のアカデミックな方々は axiom を試案的公理と訳されている[3]ようですがこれについて少し書いておきましょう。

それでウォツラウィック博士の手によってまとめられた非常に簡潔に書かれたエッセーが以下になりますが、これを少し読んでみましょう。もちろん、このエッセーが書かれた時期が1967年と45年ほど前に書かれたものになり、現在この理論がどのように発展しているかまでは個人的には現在のところトレースできないところはお断りしておきたいと思います。


これを読んでいて、5つの公理のうちの、コミュニケーションは内容と関係を含むに関係するところが面白かったので少し引用しておきましょう。


A prisoner is held by two guards in a room with ,two doors. He knows that one door is locked, the other unlocked, but does not know which. He also knows one of the guards always tells  the truth, the other always lies, but again the prisoner does not
know which. Finally, he has been told that the only way to regain his freedom is to identify the unlocked door by asking one question of one of the guards. For a long time the prisoner ponders this seemingly unsolvable problem, but eventually asks
the correct question:

(要約)
1人の囚人が2つのドアのついた部屋に収監されていて、それぞれのドアの前に1人づつ2人の看守が見張っています。囚人は、片方のドアに鍵がかけられており、もう片方のドアには鍵がかけられてないことを知っていますが、それがどちらのドアかは分かっていません。また、一人の看守はいつも必ず本当のことを言い、もう片方の囚人は必ずウソをつきますが、囚人はどちらが正直で、どちらが嘘つきなのかは分かっていません。囚人は、自分が自由になるにはまず、鍵のかかってないドアを特定する必要がある、と考えています。 囚人は考えに考えた末、どちらから1人の看守に1つ質問をすることでどのドアが開いているのか?を特定する質問を発見しましたがそれはどんな質問でしょうか?


この設問では、どちらのドアが開いているのか?ということとどちらが本当のことを行っているのか?と2つの不明点が存在していますが、ここでは、コミュニケーションは「内容」と「関係」を含むという前提に立ち返って、関係について問うと比較的簡単に理解できると思います。



question: he points to one of the doors and asks one of the guards (it does not matter which door or which guard),"If I asked your comrade whether this door is open, what would he say?" If the answer is yes, then that door is locked, and, vice
versa, if no, then it is open.

(要約)
囚人は一方のドア(どちらでも良い)を指さして、どちらか一方の看守に(どちらでもよい)に以下の質問をしました。「もし、私があなた同僚の看守の方に『このドアは開いていますか?』と尋ねたら彼はどう答えると思われますか?」。

「もし、質問に答えた看守が(同僚の看守ではない) Yes なら、そのドアは鍵がかかっているし、No ならドアには鍵がかかっていない」ということになります。


結局、看守Aと看守Bの立場の違いをメタ記述してそれぞれの違いを吸収するような格好になっているように思います。

このあたりは家族療法が人と人の関係性に介入する場合の基本的な理論ともなっていたと思いますが、最初に戻るとコミュニケーションの5つの公理はコミュニケーションを考える上で非常に実践的な枠組みを提供してくれるのではないか、と個人的には考えています。

 (つづく)

 文献

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