2013年2月28日木曜日

パラドクス介入と倫理



 以前、心理療法家のミルトン・エリクソンは自身の心理療法の技法を形式知として残しておらず、その時代、時代のいつも最新の哲学なり科学的なフレームワークで形式知化してもらえるために、逆説的に形式知化された手法はいつも最新だという話を書いた記憶があります。

 それでエリクソンの場合は暗黙知的な技法としてクライアントが混乱したり困惑するような結構トリッキーな課題を出すパラドクス介入を行ったりもしたわけですが、このあたりがどの程度だったら倫理的に許されるのだろう?みたいなことも結構重要な課題だったりするわけです。

 もちろん、ミルトン・エリクソンの心理療法は特定のカタがないというカタを持っているということもあって、これを比喩的に説明すると「そもそも秩序の無いフリー・ジャズのような心理療法にどのようにすれば倫理規定が付けられるのか?」みたいな疑問になってくるわけです。

それで、そもそも秩序がないという秩序がフリー・ジャズじゃないのか?みたいなわけのわからない話になってくるわけで、カタがないカタを持っている心理療法についてどんな倫理規定を適用すれば良いのだろうか?と考えると、エリクソンの暗黙知をどのような形式知で取り出してそれについて倫理を考えるみたいな話になってきて、ある意味、宇宙を巻き込んだ壮大なストーリーに発展してしまうということになるわけです。(笑)

 独り言


エリクソンのパラドクス介入

 以下のリンクで書きましたが、MRIのポール・ウォツラウィックの言う認識や行動の第二次変化(Second-order Change)を支援する場合、クライアントに意図的に二項対立の課題を出して、その二項対立を超えてもらうような、パラドクス介入にならざるを得ない状況があります。


 もちろん、パラドクス介入はある意味、セラピストがニコニコしながら、認識論的にクライアントをダブル・バインドの谷底に突き落とすような格好にもなっています。

それで、心理療法家のミルトン・エリクソンの手法は時にクライアントにパラドクス介入を行なっていますし、基本的に第二次変化を支援する介入はパラドクス介入であると考えることが出来るでしょう。もちろん、エリクソン場合は明示的ではなく、暗黙的にメッセージとメタ・メッセージが対立するような使え方をしている場合があります。

 それで、パラドクス介入の例を考えてみましょう。

 例えば、以下のリンクでは「妻のアルコール依存症」に対して、妻がボトルを部屋に隠して、夫が一定時間見つけることが出来なければ大手を振って飲んで良いという介入になっています。


 もう一つは爪を噛む子供にダブル・バインドを使った介入を行なっています。


 比喩ですが、パラドクス介入の場合は、ダイエットしたいと言っている人に条件付きで大食いしないさい、とか、禁煙したいという人に条件付きでどんどんタバコを吸いなさいというような現在のパターンを崩すために敢えて逆の指示をするというようなことを行う介入になってくるわけです。

 もちろん、これは思いつきというより、現在の悪循環をきちんと特定して、その悪循環をどのように止めたらよいのか?ときちんと見立てを行う必要があるわけですが、一見すると「おいおい、そんなことやって大丈夫なのかよ?」というような感じの介入でもあるわけです。もちろん、ここで2つの疑問が湧くことになります。一つはこれが本当に悪循環のパターン崩しにつながるのか? もう一つは、倫理的に大丈夫なのか?

パラドクス介入の倫理


 それで、こういったパラドクス介入に対して倫理をどのように考えるのか?というのは結構重要になるわけですが、ネットに落ちていた「The Ethics of Paradox: Cybernetic and Postmodern Perspectives on Non-Direct Interventions in Therapy[1]というミルトン・エリクソンとかMRIとかミラノ派などのパラドクス介入を想定して倫理ってどう考えたら良いのか?について書かれたエッセーを面白おかしく読んでいたわけですが・・・・結論だけ自分のメモも兼ねてサマっておくと以下のような感じになっています。

 で、著者が主張しているのは以下です。もちろん、この前提として心理療法を第二次サイバネティックス、ポスト・モダニズム、第二次家族療法のフレームワークから見ているというのがあります。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/06/blog-post_27.html


·        (短期療法に関する)現在の倫理の問題について述べるためには、第二次サイバネティックス、ポスト・モダニズム、そして第二次家族療法と呼ばれている認識論的な断絶について区別を付ける必要がある。
·        第二次サイバネティックス、およびポスト・モダニズムは観察対象と観察者を含んでいる。しかし、サイバネティックスの比喩だけが、物事の循環を説明する。
·        その本質からすると、ポスト・モダニズムも第二次サイバネティックスもパラドクス介入を取ることを禁止してはいない。パラドクス介入を取ることは、特殊な見解からの現実、つまり何をするべきで何をするべきではないか、にさらされることになる。しかし、ポスト・モダニズムの二項対立を崩していく脱構築は、それをトリッキーだと思っている(アンポストモダニズムな)人にとっては非倫理的な介入だと映ってしまうことになる。これをここで論じていること自体がパラドクスでもある。
·        パラドクス介入の使用に対する(基準の)揺らぎが起こったのは第二次療法の発展にともなって起こってきたように思われる。第二次療法とは一次的には理解できたような思えるが、意図的に気まぐれな信念のクラスターのラベルであること自体がパラドクスになっている。


 要は、著者は短期療法の倫理というところを1)サイバネティックス2)ポスト・モダニズム3)第二次家族療法のそれぞれの視点から見ています。それで、サイバネティックスって基本的には相互作用を記述するだけなので、ここに倫理もへったくれも判断しようがない。これが1点。それで、ポスト・モダニズムはデリダの脱構築じゃないけれど二項対立を崩していくものだからこれが普通と思っている人はOKでもそれについて行ってない人は倫理的じゃないと思われるというのが2点目。さらに、第二次家族療法っておそらくフリー・ジャズみたいなものだから、元々秩序のないものに倫理って矛盾しているよねぇというのが3点目。ということになってきます。

 もちろん、ISO26000 CSRじゃないけれど、これが文章で記述できるようなものだったら良いのですが、元々短期療法ってクライアントに禅問答を解いてもらって、新しい認識や行動を身につけてもらう必要があるので、やっぱりこのあたりの倫理規定みたいなものをカッチリつくるのは難しいのでしょうねぇ・・・・というのが結論になってきます。倫理規定みたいなものでカッチリしたらそれはネガティブ・フィードバックによる制御でポジティブ・フィードバックが使えないもんねぇ(笑)。

(つづく)

文献
[1] http://www.anzjft.com/pages/articles/973.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com


2013年2月27日水曜日

エリクソニアン・ヒプノセラピーのサイバネティック・モデル



 サイバネティックスというのは元々、人工知能とかサイボーグをつくろうみたいな試みから始まっていて、このあたりの話を始めると、そんなの出来るの?という話を含めて、強いAIとか弱いAIみたいな話になってくるわけです。

 それで、グレゴリー・ベイトソンの場合はこういった学問的な知見をメガネに心理療法家のミルトン・エリクソンの技法を眺めてみるというような感じで使っていたのだと思われますが、サイボーグをつくろうみたいな大それた話ではないのですよねぇ。

 で実際には、エリクソンの技法のなにがしかを形式知化することに成功して短期療法のベースになったという点は大きいのだと思います。もっとも、ベイトソンの構想がもっと変な方向に行っていて、エリクソンの心理療法のロジックを組み込んだ心理療法ロボット・量産型エリクソン一号みたいなものが出来ていても困ったのでしょうけれど(笑)。

 もっともエリクソンの場合は外的に起こった偶発的な出来事をクライアントとの関係性に取り込むという「ユーティライゼーション」のロジックが必要なので、普通の人間がやっても結構難しいロジックを形式知してロボットのアルゴリズムに載せなきゃいけなくなるのでしょうけどねぇ。(爆)

 独り言


エリクソンの技法をサイバネティックスのメガネで相互作用を見る

 「心理療法家のミルトン・エリクソンの技法特徴は何か?」と言われると、そのほとんどが暗黙知であり、エリクソン自身がそれを形式知、もっと言うとフレームワークなどにして残さなかったということがあげられるでしょう。

以下のリンクで書いたアーネスト・ロッシとの三部作の中に若干、理論(theory)という言葉が出てきますが、これはきちんと体系化されている理論なのか?と言われると少し心もとないところもあるわけです。


 それで、喩えるならば、エリクソンは恵利句損亭の落語の師匠であって、その弟子になるためにはまず内弟子になって、寝食を共にし、箸の上げ下ろしから言葉遣いまで四の五の言わずにとにかく真似をしてみて、暗黙知を暗黙知として学習する必要があった、そして何年か経つと師匠みたいなことが出来るようになって、真打ということになっていたようなところがあったわけです、恵利句損亭財句とか恵利句損亭義理眼とか恵利句損亭御藩論とか・・・・(笑)。つまり、野中郁次郎先生のSECIモデルからすると「社会化」というプロセスで示されているような学習形態をとっていたということになります。

 それでも世の中は良くしたもので、当時米国で研究をしていた人類学者のグレゴリー・ベイトソンというとても賢いイギリス人おり(最近は、ノラのお父さんって言うほうがしっくりくるなぁ-笑)、この人がミルトン・エリクソンの技法を形式知化するためのフレームワークとして米国の東海岸で人工知能やサイボーグみたいな分野として研究されていた「サイバネティックス」[1]という学問の知見を持ち込んで、これをひとつのメガネとしてミルトン・エリクソンの技法を見て特に認識論に還元して形式知化を試みることになります。まぁ、ざっくり言うとこれが短期療法のベースになったと考えて良いのでしょう。

http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/blog-post_14.html
http://ori-japan.blogspot.jp/2012/11/blog-post_30.html

それで、以下のリンクで一般意味論をメガネにエリクソンの心理療法を眺め、主に認識の「事実と解釈の違いの区別」つまり「地図とそれが示す土地」の違いについて書いたわけですが、サイバネティクスの場合は主に相互作用をどのように考えるのか?のモデルになっていると思います。


 もちろん、すべての暗黙知を形式知化なんて出来ないわけですが、少なくとも、催眠とか心理療法などわけの分からない分野を科学として扱えるようにはなったというのは意味があることなのでしょう。もちろん、自然科学なのか社会科学なのか?と言われると社会科学なのでいつも再現性があるか?と言われると、ないねというところもあるのでしょうし、暗黙知としてのわけの分からない部分というのは時代がどのように変わろうがわけの分からないままで残っているという構図は存在しているわけで、その部分は師匠から弟子へ暗黙知が暗黙知として伝えられるというのがあるのだと思います。

 それで、枕が長くなりましたが、「A Cybernetic Model of Ericksonian Hypnotherapy[2]というのを読むと個人的には物凄く面白いなぁと思うわけです。

 ここでは、(1)理論と実践の相互関係の重要性(2)エリクソニアン催眠療法をサイバネティクス・モデルで示すということが書かれているわけです。

 もちろん、ここで面白いのは理論というのはあくまでも学問的なフレームワークを立てて形式知化したもので、ここではそのひとつとしてサイバネティクスのモデルを立てて観察を帰納して取り出した理論ということになってくるわけです。もちろん、この理論を現場で演繹的に適用しても当てはまらないところはあるわけで、このように理論どおりに行かないところについてさぁそれをどうしよう?と考えると、実践家としては何とかしないといけないわけで、その対処について考えると「学習」という視点からはかなり面白いのではないか?と思います。

 また、エリクソンの心理療法はクライアントと強調したコラボレイティブなアプローチだと言われているわけですが、武道やダンスではないのですが、それぞれの出方が相手に影響を及ぼすような状態をどのように形式知化したのか?もちろん、答えを言えばサイバネティクスの知見を使ったということになるわけですが、こういったことを考えながらこのエッセーを読んでみると面白いのだろうなと思っています。

 もちろん、サイバネティックスだけが理論化のための唯一の理論というわけではないことは言うまでもないことですが、学問的なフレームワークを使った形式知には色々な可能性があるということなのだと思います。

(つづく)

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2013年2月26日火曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(まとめ)

                                 

   少しまじめに書いていたら宮本武蔵の「五輪書」みたいになっちゃったなぁ~(笑)。

 それで、エリクソニアンとは、一般的には心理療法家のミルトン・エリクソン博士のスタイルを受け継ぐ流派なのですが、これをもっと具体的に考えると、エリクソニアンとは二項対立を超えてエリクソニアンに成り行くためのプロセスそれ自体である・・・みたいな何か禅問答というか構成主義みたいな感じにもなってきますねぇ。

  もちろん、エリクソニアンとは臨床家のモデルの一つというだけではなく「変化や不確定性と上手くやって行きたい」色々な人が日常生活の中で普通に実践できるモデルになると思いますけれどねぇ・・・・もちろん、ベイトソンを一度くぐらせると身体で実践するシステム思考ということになるわけで、これが仕事や日常生活で役立つのを示すのがおいらのミッションかなぁ?とも思っているわけです。

 それで、ミルトン・エリクソンというと真っ先に催眠というのが思い浮かぶわけですが、トランス誘導だけ出来たところで認識や行動の変化にはほとんど影響ないわけですから、これが出来るためだけに物凄く時間やお金を使うくらいだったら、エリクソニアンのマインドを持って催眠を使わないソリューション・フォーカスト・アプローチやMRIを使ったほうが認識や行動の変化を支援するのにはよほど近道のように思ってきますねぇ。(笑)もっとも、あまり本当のことを言うと怒り出すへっぽこ催眠術師が一杯いるのかもしれませんけれど(爆)。
 
 独り言


エリクソニアンとはエリクソニアンに成り行くプロセス

ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して「エリクソニアンを目指すための練習」と題してあれこれ書いてきたわけですが、今日はこのまとめを書いておきましょう。

で、「エリクソニアンに成り行くプロセスとして」以下の12のリストを復習しておくと、(認識論的な二項対立の可能性を追加)



  1.  唯一無二を知り、それを伝えよ:(特化⇔汎化)ひとつの軸や常識にとらわれずに、そのクライアントしか持っていないユニークな価値を見つけて、できるだけ間接的に伝えなさい。-1 1-2
  2.  変化を知り、それを伝えよ:(変化⇔固定)クライアントが変化しているという事実を見つけて、できるだけ間接的に「良い意味で、変化できる」というメタ・メッセージを添えてそれを伝えなさい。2-1
  3.  変化になれ:(外的変化⇔内的変化)偶発的な出来事をクライアントとの関係性の中に取り込み、自分が変化になりなさい。3-1   3-2
  4. 首尾一貫性を保て:(一致⇔不一致)クライアントと向き合う時、言動と気持ちの一致を心がけなさい。もちろんパラドクス介入も真顔で首尾一貫した形式で行いなさい。4-1
  5. 最適な心身状態引き出せ:(適⇔不適)クライアントがそのことを行うための最も適切な心身状態になるのを支援しなさい。5-1
  6. 柔と剛を語れ:(変化⇔固定)変化の文脈で使える、人の「堅固さ」と「柔軟さ」を表したメタファーそれぞれ集めておきなさい。6-1
  7. 反応を知れ:(冗長⇔単一)そのクライアントにユニークな、(冗長性を持って繰り返される)反応のパターンを書いておきなさい。7-1
  8.  弱くなれ:(弱い⇔強い)時には、自分の強みを封印して弱くなってみなさい。そして、視点や周りとの関係性がどのように変化するのか観察してみなさい。8-1
  9. 抵抗を予想せよ:(反作用⇔作用)クライアントがどのようなやり方で抵抗してくるか予想しなさい。9-1
  10. 困惑させよ:(困惑⇔確信)クライアントがどのように困らせるのか観察しなさい、そしてクライアントをどのように困らせるのか?出来るだけ具体的に考えてそれをやってみなさい。(もちろん倫理規定は守るにせよ・・・) 10-1
  11.  なりたい自己を知れ:(内在化⇔外在化)自分がどのような方向で進化したいのか?リストをつくりなさい。セッションの前にそれを復唱してアファメーションしなさい。 11-1
  12.  メタファーを使え:(比喩⇔実体)クライアントの課題をメタファー、例えば、色や道具、植物や水をたたえる入れ物に喩えてみなさい。メタファーやその文脈を変化させてみなさい。それがあなたのセッションにどのような影響を与えるのか考えてみなさい。12-1


 
 となってきます。

 それで、エリクソニアンの先生方が示しているのは、エリクソニアンとは静的なあり方(Being)ではなくて、いつも変化の文脈に位置づけられる、成り方(Becoming)のプロセスそのものであるわけですが、日々の行為を通じて、どこまでも終わりのない関係性の中で創発する「エリクソニアン」という自己の感覚に近づくようなことだとも思ってきます。

 エリクソニアンのジェフリー・ザイク博士のエッセー[]を引用して12の修行みたいな課題を書いてきたわけですが、エリクソニアンを目指すというのは、企業や団体の経営者であれ、CIOであれ、プロジェクト・マネージャーであれ、コンサルタントであれ、営業であれ、エンジニアであれ、マーケターであれ、先生であれ、子育て中のお母さんであれ・・・・・、自分が目指したければ誰だって日常のちょっとした行為の中で実践できる「変化を取り込み、自分が変化になる、変化であり続ける」人になるためのプロセスでもあると思うわけです。もちろん、普通はそこに葛藤あり二項対立ありなわけで、こういったことまで含めてどう対処しよう?というプロセスなわけです。

 個人的にエグゼクティブ・コーチングとか、プロジェクト・マネージャのコーチングとかプロジェクト・マネージメントのコンサルティングをやる時のTO-BEの人材モデルが大体こんな方向になって「不確定性にどのように対処するのか?」「まずは、おなかを鍛えましょう」とか「不確定性と確定性を二項対立で考えるのを止めましょう」みたいな方向になってきます。

 もちろん、自分が目指したければ・・・・というのが重要なところでしょうが・・・・(笑)

上の課題をやっていくと、普段使っている認識の方向性と反対になっていると二項対立になるような構図になっています。

・例えば、いつも何か一般化された法則めいたものを現実に当てはめて考えるような人だと、その場面でユニークなものを見つけることに違和感を感じるかもしれませんし、
・世の中は変わらないほうが良いと考えているは、何か変化を見つけて困惑してしまうような場合もあるでしょう。

 このような人にとっては、こういった新しい思考様式や行動様式から眺めてみると何か違和感があるということになってくるのだと思います。

 もちろん、ここでは単純にどちらが良いという話をするつもりはなくて、仮に、エリクソニアン的な課題をやっていてそれが現在の認識や行動と二項対立となっているようであれば、その枠組を出て大きく変化する機会だ・・・ということでもあるわけです。もちろん、この二項対立を以下のリンクでも書いたように、ether or (どちらかひとつ)→ both and (どちらとも)→ neither nor (どちらでもない別の何か)のように次元を上げ、既存の枠組を超えて探していく必要があるという具合です。

http://ori-japan.blogspot.jp/2011/10/blog-post_940.html

もちろん、この支援をべシックなスプリッティング&リンキング(Splitting & Linking)でやっても良いでしょうし、この二項対立を3つメタに綜合する形式でファシリテーションするとTOCの3クラウド法を使った問題解決と同じということになってくるわけです(3クラウドはMRIの偽解決のパターン崩し+レバレッジポイントの特定のイメージ)。

http://ori-japan.blogspot.jp/2011/11/blog-post_18.html

 さて、余談ですが、個人的には日本に限らず、コーチングというがITの見える化ではないのですが、なんでも形式知にして対話して、直接的に承認して、直接的に決断して、何か行動すること・・・みたいな風潮になっているのはご存知の通りですが、個人的には、もう少し間接的な感じで上品に進めようと考えると、暗黙知的なところをどのように扱うのか?という話になってやはりエリクソニアン・アプローチのような方向になってくるのだろうなぁと考えているわけでもあるわけです。結局、コーチングっていうのも「不確定な変化にどのように対応するのか?」「自分の想いを関係性の中でどのように実現していくのか?」というような話になるのでしょうから、「答えはすべてあなたの中にある」と言われていても何か白々しい感じがするという具合です。

  それでそんなことを考えると、MITで教えていた組織マネジメントの鬼才エドガー・シャイン先生がエリクソニアンの人達と組んで何か怪しげなことをやっているのも理解できるのですよねぇ(笑)。なんでも「見える化」、つまり形式知の世界だけで解決するのだったら誰も苦労はしませんからねぇ。


  で、最後のオチは、自分自身はこういったことをおおよそベイトソニアンな視点からちょいとメタに見て、エリクソニアンの技法は一応実践していますという、少し複雑な感じになっているところなのでしょうけれどねぇ。(爆) エリクソニアンの技法は別に問題なく出来るけれどいつもベイトソニアン視点から自分のことをメタ斜めに見ているからなぁ・・・・

(つづく)

文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2013年2月25日月曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その12)

                                  

 問題をアナロジーやメタファーにマッピングして考えるという時点で、ロジック的には既にC.S.パースの言うアブダクションを使って、既存の枠組から出ることを狙っているように思いますねぇ。

 もっとも、個人的には単なる「なぞかけ」をやれば良いと思っていますけれどねぇ。(笑)

 独り言


問題をアナロジーやメタファーにマッピングしてみる

今日は、エリクソニアンを目指す練習として、ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して11この課題を書きましたが[1]、この12こめを書いておきましょう。


12. Think in terms of analogies. Take the clients problem and describe it as a
colour, a tool, a plant, and a vessel to contain water. See how this influences
your treatment.

 アナロジーの観点から考えなさい。クライアントの問題を取り上げ、それを、「色」、「道具」、「植物」、そして「水を含む器」(など)のアナロジーを使って表現しなさい。


 Wikipedia のアナロジー(類推)を参照すると「特定の事物に基づく情報を、他の特定の事物へ、それらの間の何らかの類似に基づいて適用する認知過程である。」[2]と定義されています。また、アナロジーの一部としてメタファーが包含されると書かれています。[3]

もちろん、色々な分類が存在すると思いますが、認知言語学的さらに、メタファー、シネクドキ、メトノミーの違いは何か?と細かく見ていくと収拾がつかなくなるため、このあたりの詳細は、「Metaphors we live by」「Women ,Fire and Dangerous things」「Philosophy in the flesh」あたりを読んでいただくとして、ここでは、自分の知っていることで別のことで説明すること程度に考えておきましょう。

それで、ザイク博士の課題はもっとシンプルなもので、クライアントが問題を語った後に。

「それを色で喩えると何色ですか?」
「植物で喩えるとどんな植物ですか?」
「・・・・・」
「その心は?」

 という具合にメタファーで表現してみて、その意図を聴き、気持ちやそのメタファーで表現したことで何か変化があったかどうかに注目してみることになります。

 もちろん、メタファーはセラピストがつくるのか?あるいはクライアントがつくるのか?ということになってきますが、ここではそういった二元論に陥ることなく、会話の中で協調的につくるということにしておきましょう。

(参考)

(つづく)

文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf
[2] http://ja.wikipedia.org/wiki/類推
[3] http://en.wikipedia.org/wiki/Analogy

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2013年2月24日日曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その11)

                                  

 コンサルタントとしてはどんなふうに進化発展していったら良いのだろうなぁ?とかたまに考えたりするわけで・・・・そうねぇ・・・・自分で手を動かして成果物をつくらなくても、関係者にあれこれ示唆すだけで付加価値が生まれて・・・・・知らないうちに問題が解決されていてぇ・・・・・・みたいなことを考えていくと、それってまるでミルトン・エリクソンですねぇ・・・・・って話になっていくわけですよねぇ(笑)。
 
 ほんじゃぁ、どうやったらミルトン・エリクソンみたいになれるのだろうか?実はそこが一番大きな問題なのですよねぇ。(爆)

 独り言


どのように進化成長したいのかを書きだして、つぶやいてみる

今日は、エリクソニアンを目指す練習として、ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して10この課題を書きましたが[1]、この11こめを書いておきましょう。


11. Make a list of how you desire to evolve as a clinician. Say it silently to
yourself before each session as an affirmation.

臨床家としてどのように進化成長していくのを望むのか?というリストを作成しなさい。それぞれのセッションに臨む前に心のなかでそれを唱えてみなさい。


 個人的には心理学大学院を出たわけでもないので、心理療法家でも臨床家でもないのですが、コンサルタントとしてプロジェクトなどに従事させていただいていると、人間関係というのは重要な成功要因のひとつであるため、ミルトン・エリクソンのような心理療法家の考え方が役立つ場面というのは少なくありません。

 それで、あえて心理療法家とコンサルタントの共通点を考えると、そのひとつは両方ともサービスでお金をチャージするサービス業であるのだろうな、ということが思い浮かびます。
 
 「サービスの品質とはなにか?」[2]を読むとサービスについての3つの性質が書かれています。

1.無形で目に見えない。
2.サービスの「生産」と「消費」が同時でストックが効かない。
3.ほとんどが人力で提供される。 

 と、定義されています。

 もちろん、ある程度定型的に業務をこなすようなことであれば、業務マニュアルを用意して、そのマニュアルどおりに対応する、接客するということになってくるのでしょうけれど、やはり心理療法家やコンサルタント・・・・に限らず、高級ホテルや高級ブランドの接客のようなことになると、ある意味、「人間力」を売っているようなところがあるわけで、そう簡単にはいかないところもあるように思ってきます。

 それで、ザイク博士の課題ではないのですが、自分の信条やなりたい人材像をリストしてサービスを提供する前につぶやいてみるというのもひとつの手段のように思ってきます。これは、リッツ・カールトンホテルのクレドのようにも思ってくるわけですが、ある意味、自分がありたい自分に成り行くためのクレド[3][4]と考えても良いのでしょう。

 もちろん、ここでは「エリクソニアン(というわけの分からないもの)を目指す」ということがテーマであり、具体的にエリクソニアンに成り行くためにはこのクレドの中に何を入れたら良いのか?ということになってくるわけですが、それは12個の課題について書き終わった後に、この12個の課題をこなすプロセス自体がエリクソニアンに成り行くことなのだろうぁと思っているところだった、というわけです。

(つづく)

文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf
[2] http://www.amazon.co.jp/dp/4820716328/
[3] http://corporate.ritzcarlton.com/ja/About/GoldStandards.htm
[4] http://corporate.ritzcarlton.com/en/About/GoldStandards.htm#credo

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2013年2月23日土曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その10)

                                  

 どのように困っているのか?のプロセスの裏返しが、即解決につながるわけではないと思います。それでも、システム論的に、困っている相手に対して、どのように困っているのか?といったプロセスとかその背景にある枠組に気づいてもらう必要はないのだけれど、そのパターンから出てもらうというのは多いに意味があることなのでしょう。それで、そのパターンから出てもらうためにはちょっと違う次元でこちらから相手を困らせるというのはありかなぁ。まぁ、倫理規定とかはあるにせよ(笑)。

 独り言


クライアントがどのように困らせるのか?クライアントをどう困らせるのか書きだしてみる

今日は、エリクソニアンを目指す練習として、ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して9つの課題を書きましたが[1]、この10こめを書いておきましょう。


10. For two weeks, write out how clients confuse you. For the next two weeks,
write out how you confuse them. Be specific.

最初の2週間、クライアントがどのようにあなたを当惑させるのかを書き出しなさい。そして、次の2週間、あなたがどのようにクライアントを当惑さえるのか書きなさい。具体的に・・・


 このあたりは、厳密にやろうとすると、パラドクス介入になって「クライアントインタレスト・ファースト」の細かい倫理規定があったりするわけですが、ここではこういった規定があることだけ頭に留めて話を進めることにしてみましょう。

 ひとつはクライアントが意識するにせよしないにせよ、人やセラピストを困らせているなんからのパターンがあるわけでこれを観察しましょうというのがひとつの課題です。

 そして、次はこのパターンを認識した後でセラピストがもっと気の利いたやり方でクライアントを困らせるか?あるいは困らせる課題を出すというのがここでの課題となっています。

 もちろん、これは「やられたらやり返す」というようなものではなくて、おそらく、相手が困らせようとしてくるパターンを逆手にとって相手がダブルバインドの状況に陥るような課題を出す、そして、そのダブルバインとをテコにその問題のパターンから出てもらうといったことを考えるような形式になると思います。

 まぁ、ある意味、一休さんと将軍様のとんち合戦みたいな感じですかねぇ?

 それで、良い例がぱっと思いつかないのだけれど、確かエリクソンの例で、過度に失敗を恐れるクライアントに。

「来週なにか1つ必ず失敗することをしてください。そうすれば、失敗することに成功します。」「もし、失敗することに成功していない場合は、普通に成功しています。」「だから1つ必ず失敗することに取り組んでみてください」みたいな課題があった記憶があったのですが・・・・・


(つづく)

文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf

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2013年2月22日金曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その9)

                                  

 振舞いのレベルにしろ、思考のレベルにしろ、相手が何らかの抵抗を示してくるというのはそこに何らかの想いがあるということなのでしょうねぇ。それと、他人からとやかく言われたくない・・・とか・・・・

 もちろん、システム論なホメオスタシス(恒常性)から言えば、これは「変化に対する抵抗」ということになるのでしょう。

 程度の問題はあるにせよ「いつもと違うことをやるのは抵抗がある」「いつもと違うことを考えるのは抵抗がある」・・・・

 もちろん、心理療法家のミルトン・エリクソンからの学びは「変化したくない」といった抵抗が大きくなればなるほど、それが「変化する力」に転換された時は、とても大きな変化が起こる後押しになるということ。

 その意味では「変化への抵抗」というのは見方を変えれば単なる「力」であって、パラドキシカルだけれども、文脈を変えれば「変化する力」と同じだということになってきます。

 独り言


クライアントがどのように抵抗してくるか?具体的に予想してみましょう

今日は、エリクソニアンを目指す練習として、ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して8つの課題を書きましたが[1]、この9つめを書いておきましょう。


9.Make a prediction about how specifically the client will resist your
assignment or therapeutic directives.

あたなが課した課題や治療的な方向性に対して、クライアントが具体的にどのようなやり方で抵抗してくるのか?を予想しなさい。


 これは臨床家に限ったことではなく、コンサルタントでも営業でも・・・はたまた・・・学校の先生、子育て中のお母さん・・・と色々な方に当てはまるのではないか?とおもいます。つまり、コンサルタントは提案どおりに物事が運ばず、営業は価格を安くしろ、納期を短くしろと言われ、学生は授業中に騒ぎ始め、子供は反抗する・・・という具合です。

 もちろん、この背景には、人はあれこれ指示されるのが嫌だ、ということがあるのでしょう。

 それで、先走りすぎるのは何ですが、ザイク博士の課題は、まずは、クライアントが具体的にどのようなやり方で抵抗を示してくるのか予想しなさい、という課題になっています。

 もちろん、エリクソニアン的にはこの抵抗をあくまでもクライアントが望んでいる変化につなげていくような形式で使っていくことになると思いますが、まずは予想しないさい・・・ということになっています。

 それで、個人的には、この抵抗ということについて仕事上では以下で書いたコンフリクト・マネジメントのような形式で解決しているようなことが多いように思っています。まぁ、ほとんど即興でやっているようなところはあるけれど(笑)。


(つづく)

文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com


2013年2月21日木曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その8)

                                  

 武蔵は、奈良の宝蔵院を訪れた。そこでは国中から腕に覚えのある武芸者が集まり試合に挑んでいた。武蔵の相手は槍の名手阿厳。試合が始まると、武蔵の木刀は一撃で阿厳の額を割った。阿巌、即死。

試合後、宝蔵院の住職である日観に別室へ招かれ茶粥をふるまわれた。日観は言った。「お主は強すぎる・・・・・・・・・もっと、弱くならねば・・・・・」これは日観の武蔵への諭しであった。ただ強いことが良いことだと思っていた武蔵にはこの日観の言葉は衝撃だった。
 
・・・・・・・

 強みは弱み、弱みは強み、システム論的に色々な要素の相互作用で決まるし、短期的か長期的かでも違ってくる。「易経(The Book of Change)」の中にも、陽極まれば陰に転ずというのがありましたねぇ。もちろん逆もまた真なり。(笑)

 独り言


自分の強みを封印して、弱くなってみる

今日は、エリクソニアンを目指す練習として、ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して7つの課題を書きましたが[1]、この8つめを書いておきましょう。


8. Take away your primary strength for a month. Dont use the method that you most overuse. For example, if you are Ericksonian, dont tell stories. Ifyou are analytic, do not make interpretations. See what you develop in its place.

 (臨床家として)1ヶ月間あなたの一番の強みを封印しなさい。使いすぎる手法を使ってはいけません。例えば、もしあなたがエリクソニアンならば物語を語ってはいけません。もし、あなたが精神分析家ならば解釈をしてはいけません。そのような縛りがかった中であなたがどんな能力を開発するのか(メタ認知して)観察してみなさい。


 心理療法家のミルトン・エリクソンのスタイルは、自身の学習障害、色盲、聴覚障害、発話の曖昧さ、そして2度の小児麻痺・・・とある意味、普通の人が普通に出来ることを封印された結果、「艱難汝を玉にす」から生み出されたスタイルということが言えるでしょう。
 
 それで、ザイク博士の課題は、フォークボールが決め球で三振を取るピッチャーに、1ヶ月間、フォークボールを投げずに三振を取る工夫をしてみろ、みたいな課題になっています。個人的に思うにエリクソニアンとは自分の強みだと思われるものが何らかの理由で使えなくなった時、新しい枠組のもとでの次善策を求め続けていく営みそのものなのだろうなと思っています。もちろん、これは弱みを人並みにするというアプローチとは違っているでしょう。

 それで、エリクソニアンではなくても弱くなる練習というのはどこでも出来るものです。


・ 子供やお年寄りになったつもりで街の中を歩いてみる
    交通弱者の立場から街の中を見てみる
    口下手だったらどんな営業や接客スタイルになるかやってみる
    能力が足りない人でも、その仕事が出来るようになる方法を考えてみる
    言葉の通じない外国に旅行してみる
    一番、臆病で決断の遅い人をリーダーにしたらどうなるか考えてみる
    普段ロジカルな人が直観的に対応したらどうなるかやってみる
    学位とか資格がなくても合法的に上手くやっていく方法を考えてみる
    ベイトソンの著作「Naven」ならぬ、家族や恋人と1日男女の役割を逆転してみる
    会社のイベントで平社員と社長の役割を逆転した寸劇をやってみる
    

もちろん、これはある意味エリクソニアンのユーティライゼーションでもあるように思うわけですが、そこで敢えて自己認識している強みを封印して、それにどう対応するのか?やってみるとそれはそれで、新しい行動、新しい能力、新しい考え方の枠組、新しい自己、新し関係性が発見できて面白いように思ってきます。それにしても、ジェフリー・ザイク博士の言っていることは含蓄があって深いねぇ。

http://ori-japan.blogspot.jp/2013/02/blog-post_16.html

 余談ですが、昔新宿西口の某家電量販店でお買い物中に合ったことのある Jazz ピアニストのデビッド・マシューズ氏って右手が不自由なのだけれど、キラキラしたフレーズを弾いて表に出てくるというスタイルではないのだけれど、何かしらの名演の影にこの人あり的なプレイをしますよねぇ。まさに制限が創造の源泉になっているエリクソニアン的な感じがしますねぇ。


(つづく)

文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2013年2月20日水曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その7)

                                 

 「エリクソニアンの身につけておくべき態度は何か?」ということを非常に簡潔でかつ格好の良い言葉で表すと「一期一会」だろうなぁと思います。

 「あなたは世界でひとりしかいないあなたであって、あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、あなたに合った今出来る最高のおもてなしをしましょう。」

 それで、おいらは、なんちゃってベイトソニアンなので、このあたりを認識論に還元して、ほんじゃぁ観察者は「一期一会」をどう知覚しているのか? どう認識しているのか?そして、それを相手にどう伝えるのか?って「情報」と「結ばれあうパターン」に還元してとても味気なく考えることになります。(笑)

もちろん、この状況が一回こっきりかもしれなければ、相手の振舞いが一回こっきりかもしれなければ、お互いの関係性で生まれた対話なりが一回こっきりかもしれない・・・となってきます。

 もちろん、このあたりは「いつもありがちなこと」というように物事を一般化してみるやり方と、「今回一回こっきりで特別なこと」という特殊化して見るやり方が観察者の中でいつも二項対立で戦っているように思ってきます。

 それで、個人的には一般化と特殊化の二項対立をいったりきたりしていると、その揺らぎから生まれるのがパターンだと思っていて、このパターンの見方がパターン認識のように思えるわけです。
 
 独り言


クライアントの反応のパターンを観察して書き留めておく

今日は、エリクソニアンを目指す練習として、ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して6つの課題を書きましたが[1]、この7つめを書いておきましょう。


7. For each client you see, write a sentence summarising the persons unique
style of responding.

 それぞれのクライアントを観察して、その人にユニークは反応のスタイル(パターン)を1文に要約して書いておきなさい。


 個人的にはこれと同じ話を、野村克也氏が南海ホークスの選手、監督時代について書かれた本のなかにこれと同じような話があったように思います。

 自分のチームが攻撃するために相手のピッチャーのクセを見つけるために当時非常に高価だったビデオカメラに取って自宅で穴の開くほど観察してみる。そうすると例えば、ストレートか変化球かを投げる時に微妙にグローブの動きが違うといったことが分かってくる、というような話です。

 もちろん、心理療法やコーチングということになるとクライアントをジロジロ見るわけにはいかないのでしょうが、多少会話をしながら、問題について話す時はどんなスタイルで反応が起こっているのか?あるいはリソースにあふれた状態を想像してもらった時はどうなのか?その違いはあるのか?

 こういったことを色々観察して書き留めておきましょうというのがこの課題です。

 もちろん、このスタイルというかパターンをいうところを考えると冗長性として繰り返し現れるリズムと何に対して結ばれたパターンなのか?を考えるのがベイトソニアンということになるのでしょうが、「結ばれるパターンについてのパターン」[2]というような抽象度をあげることも良いのだろうけれど、今日はちょっと手抜きでベイトソンの末娘のノラ・ベイトソンの映像を貼って終わりにしておきましょう。(笑)


(つづく)

文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf
[2]http://www.imprint.co.uk/books/Bateson_Intro.pdf
[3] http://sustainableleadership.info/systems.html (参考:ポランニーとベイトソンのシステム思考の違い)

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

2013年2月19日火曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その6)

                               

 ITの世界でよく使われるメタファーを考えると、そのひとつは「集中」か「分散」。スターウォーズじゃないけれど、メインフレーム帝国の一極集中の囲い込みに対して、ユーザを開放するオープン系の分散ゲリラによるレジスタンスみたいな文脈で使われてきたところがあります。それでおいらたちは長い間ゲリラをやって開放運動をやってきたと・・・(笑)。

 もちろん、実務のレベルになるとこんな単純な話に還元できるわけでもなければ、大抵分散しすぎるとまず管理系が破綻するので注意が必要です。それで、帝国軍と開放軍が戦いを続けているうちにお互い進化し、クラウドの時代に突入し、物語は、お互いが休戦協定を結びソフトな帝国主義の時代に戻ったみたいなストーリーで一旦幕を閉じることになります。(笑)

もちろん、「集中」「分散」のメタファーは、カタチを変えた二元論なのですが、認識された何かを区別して物語を語るための切り口としては非常によく出来ている二元論ということになります。

 それで、心理療法家のミルトン・エリクソンを継承する人たちの代表的なメタファーの根底にある切り口は何か?それは、「かたい」か「やわらかい」ということになります。これは言い換えれば、変化という文脈の中で観られる「静」と「動」という区別の方法でもあるでしょう・・・・それで、頑なに信念を持ち続ける、変化に対して柔軟に考えを変える・・・・いつも単純な二元論に還元できるわけでもないけれど、メタファーとしては知覚の感覚も伴った非常に面白いメタファーということになってきます。

 独り言


変化という文脈の中に位置づけられる静と動のメタファーを持っておく

今日は、エリクソニアンを目指す練習として、ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して5つの課題を書きましたが[1]、この6つめを書いておきましょう。


6. Collect separate stories about human rigidity and flexibility. When
appropriate, tell them to clients.

 人間の「頑なさ(固定)」「柔軟さ(流動)」それぞれ別の物語を収拾しなさい。そして適当な時にその物語をクライアントに語りなさい。


 ミルトン・エリクソンが支援するのはある意味、クライアントの認識や行動の「変化」ということになります。

 もちろん、エリクソンが働きかけるのは主にクライアントの「認識」ということになります。クライアントは認識の変化ができなくて、外的世界の現実についていけていなくて何か問題が起こっている・・・・、それで、この変化に対応できるようにクライアントの認識の変化を支援するといった具合です。

もちろん、エリクソンは間接話法を使っているために、直接「~を変えなさい」「~をしなさい」というわけでもなければ「~を変えてはいけない」「~をしてはいけない」と言うわけでもありません。

そのかわりに、人がいかに頑固な生き物であって、まるで極寒の海に閉ざされて固まった氷のようにその認識や行動を変えることが難しいのか? しかし、熱を加えれば氷が溶けて水に変化するように、何かのきっかけがあればそれが変わり始める・・・。そして、水が冷やされると再び新しいカタチの氷になるように、新しく身につけたその信念や行動をこれまた暫くは頑なに続けることが出来る・・・・という具合にメタファーで語っていくことになってきます。
 
 もちろん、エリクソンの場合はクライアント毎、セッション毎に、今は溶かす時期、今は固める時期という具合に見立てを行なってもっとエッジの聞いたメタ・メッセージが含まれていて気の利いた物語を語るような形式になるのでしょうし、時折、禅問答的なダブル・バインドをかまして、現在持っている思考の枠組から出てもらうようなメタファーになるのだと思いますが・・・・・

(つづく)

文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com