2013年2月16日土曜日

エリクソニアンを目指す12の練習(その3)つづき

                                  

Jazz の即興演奏がスリリングな理由は何か?

その演奏が世紀の名演奏になる可能性もあれば、単なるウンコな演奏になってしまうかもしれない、という両方の可能性を含みながら進行していくところでしょうかねぇ。

実際にその演奏がどうだったのか?は演奏が終わって始めて分かる、あるいは、多少時間が経過した後で評価が決まるということになるのだと思います。

それで、演奏中は、強い風が吹いているビルの間の綱渡りを見ているようにハラハラして何とも言えないような気分・・・・つまり、一瞬先は闇なのか光なのか?世紀の名演奏なのか?ウンコなのか?というカオスの縁で不確実性とダンスしているスリリングな感覚を演奏者と共有するのが何とも言えないわけです・・・・・・もちろん、自分がうっかりビルの間の綱渡りをする演奏者の方になったとすると、相当肚が座っていないと、喉から心臓が飛び出しそうなくらい緊張感は更に高まるということになってきます(笑)・・・・・・

まりくいても
 独り言


今日は、「エリクソニアンを目指す12の練習(その3)つづき」について書いておきましょう。

環境の変化をユーティライゼーションで取り込む意味

  今日は、エリクソニアンを目指す練習として、ジェフリー・ザイク博士のエッセーを引用して2つの質問を書きましたが[1]、この3つめの続きを書いておきましょう。


3. In each session, use the method of utilization once.

それぞれのセッションで、一回こっきりのユーティリゼーションを使いなさい。


 一般的に、心理療法家のミルトン・エリクソンのアプローチは、セラピストとクライアントが対等の関係で協力しあうコラボレイティブなアプローチとして位置付けられています。つまり、セラピストとクライアントの相互作用を重視しているところがあります。


これをもっと具体的なネガティブ・リスト方式で表現すると、例えば、基本的には、

·        セラピストは、クライアントに命令口調で指示しない、
·        トランス誘導で、スクリプトの読み上げはしない、(音楽で言ったら、暗譜してクライアントに合わせて即興演奏するような形式にしなさい)
·        予め決められた手順を杓子定規に進めるようなことはしない、

といったことになってきます。

もちろん、これに加えて、

·       そのセッションの間に起こった偶発的な出来事をセラピストとクライアントの関係性の中に取り込むようにユーティライズしてクライアントの行動や認識の変化につなげたり、ゴール達成に役に立てなさい

というのがザイク博士の課題となってくるわけです。

 それで、なぜ、エリクソンは予め決められた手順に従って、心理療法を行わなかったのか?あるいは、なぜクライアントに命令口調で指示を出す権威的なアプローチを取らなかったのか?ということを複雑系やサイバネティックスの観点から考えると非常に深い理由があるように思ってきます。

変化は自ら変化する、変化を起こすためには自分が変化になる

 サイバネティックスの研究者であるウイリアム・ロス・アシュビーが唱えた仮説に「The Law of Requisite variety (最小多様度の法則)」があります。もちろん、この仮説は人類学者のグレゴリー・ベイトソンが、ミルトン・エリクソンの心理療法を観察するために持ち込んだという経緯があります。


 この法則は「システムが変化し続ける環境に適応するためには、環境が持つ多様度以上にシステムは多様度を持つ必要がある」というものです。

 ここでエリクソンのもとに心理療法にやってくるクライアント自身をシステム論的にひとつのシステムと考えると、クライアントは「認識や行動が変化し続ける環境に上手く適応していない」状態のシステムであると考えることが出来ます。もちろん、自分の努力で何とかなれば、エリクソンの元に来る必要もありませんし、セラピストが権威主義的に「しなさい」と指示して解決できるならやっぱり苦労しないということになってきます。つまり、システム論的にクライアント自ら変化し続ける環境に適用出来ていない状態であり、その理由は自分自身が環境以上の多様度を持っていないのは分かっているのだけれど、自分ではどうにもできていない状態、と考えるのが自然ということになってきます。

 そう考えると次に考えるのは以下のような問です。「クライアントが変化し続ける環境以上に多様度を持つにはどのようにすれば良いのか?

 ひとつの答えは、まずは、セラピストとクライアントがオートポイエーシスのシステム論的に構造的カップリング[2]か何かで相互作用するシステムとなって変化し続ける環境以上に多様度を持つことにすれば良いのではないか?ということになってきます。

 そう考えると、エリクソンは、自分だけは安全なポジションに陣取って、クライアントにあれこれ偉そうに指示だけを出す権威的なアプローチを取らず、自身とクライアントとの関係性が敢えて不安定になるような方向にセッションを進め、クライアントと一緒に混乱しながら、カオスの縁を歩いて、クライアントの認識や行動の変化を支援するために、まずは自分を変化せざるを得ない状況に追い込むようなアプローチを取ったのではないか?そして、そのひとつの手法が外的環境から自己に多様性を取り込むユーティリゼーションではないか?と考えるわけです。

 余談ですが、以下のリンクで書いた心理療法の効果についてメタ分析を行ったある調査によると、治療効果に対するインパクトは治療外要因がもっとも大きくて 40%になっていることを思い出します。つまり方法論の精度を磨くより偶発的に起きたことを変化のきっかけにして取り込むほうが効果が高いのではないか?という仮説を思いつくわけです。

http://ori-japan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_27.html

 それで、エリクソンはクライアントと心理療法というダンスを踊ることで、変化し続ける環境以上の多様度を身に付けることができれば、クライアント自ら変化することができるようになっている、もっと詳細に言えば、MRIでベイトソンと研究をしていたポール・ウォツラウイックが言った「変化が変化する」第二次変化のレベルで変化することが出来るようようになっている


  このことからすると、環境の変化を自らに取り込んで、はじめにカオスな状態をつくりだし、そこからさらに創発的な変化を起こすような形式で行うユーティライゼーションというのは認識や行動の変化ということについて、物凄く重要な概念ということになってくるわけです。もちろん、ユーティライゼーションには何をすれば正解という答えはない開かれた問いになっているのですけれども・・・・・・

  それで、個人的にはカリフォルニアのレッドウッドの森の中でオーストリア人のおっさんとコーチング・セッションの練習をやった時のことを思い出すわけですが、偶々飛んできたツガイの鳥が喧嘩をし始めたのを観察して「あの鳥たちの物語を考えるとなんだと思う?」と尋ねた時に「あの鳥は自分と奥さんで、実は、ほんたらかんたら・・・・」と話が始まった時は面白いなと思ったわけです。もちろん、なんとなくの課題を聞き出して、「それを解決するためにこの森からリソースを探すと何?」みたいな感じでメタファーとしてリソースを見つけてもらったことがあったことなどを思い出したりもするわけですが、ユーティライゼーションは使い方によってはかなり面白い使い方が出来るとおもいます・・・・・

エリクソニアンはおなかを鍛える


 それで、多少比喩的ですが、「トップの経営者は安全な場所に居て、権威主義的に従業員の意識だけ都合よく変わって欲しいと考えている企業がなぜ上手く環境の変化についていけないのか?」、あるいは「プロジェクトで、最初に決めたスコープを頑なに守って出来た製品やサービスがなぜつまらないものになるのか?、言い換えると環境の不確実性に対処するために自分の中の決め事を固定しようとするアプローチがなぜ上手くいかないのか?」という答えも、ミルトン・エリクソンが自分自身やクライアントとの関係が不安定になるのを覚悟で環境からの多様度を取り込んだことを考えると納得がいくように思います。


 もちろん、以下のリンクで書いたようにエリクソン式に経営者やプロマネが自分自身に多様性を取り込もうとすると、当然、彼らを取り巻くシステムは不安定な方向に傾くわけであり、肚(はら)を鍛えておかないとその不安定さは乗り切れないよ、というのがこのエッセーの引用元になっているスティーブン・ギリガン博士の教えというわけです。もちろん、これはエリクソニアンを目指す心理療法家も武道家のようにセンタリングの練習して肚を鍛えておかないとクライアントに翻弄されることになりますよ、という戒めなのでしょう。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_03.html

 それで、エリクソンはこういったことを直観的に手なりでやっていたのでしょうが、人の変化を支援するためには自らが変化し、自らが変化の触媒になるのは中々骨が折れるものだと納得しているところでもあるわけです。

(つづく)

 文献
[1]http://scholar.lib.vt.edu/theses/available/etd-07282003-160500/unrestricted/thesis7.28.03.pdf
[2]http://dcg.mit.edu/wp-content/uploads/2011/09/MATURANA_AutopoesisCouplingCognition.pdf

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