2013年6月30日日曜日

一般意味論:ソフト・サイエンス vs ハード・サイエンス



 なぜ、一般意味論に惹かれるのか? というのをふと考えていたわけですが、「General Semantics vs. The Entire western system of Rationalizations」というエッセーを読んでいて、そのかなりの部分が氷解してところがあるわけです。

 例えば、「50%の確率で野垂れ死に」「48%の確率で骨折り損のくたびれ儲け」「2%の確率で宝の山を掘り当てる」という旅に出るか?という状況を考えてみましょう。

 この場合、第一段階として、この旅に出るか出ないか?といった決断があるでしょう。

 さらに、旅に出るということを選んでしまうと、多少の計画はあるものの、道中そこで起こる不測の事態に日々対処していかなければならないでしょう。

 もちろん、それにどのようなポリシーで対処するのか?を考えると、主体である旅人が、どんなアイデンティティを今持っていて、どのような価値観で、その不確実性に対処し、決断をしようか?というようなことも考えていかないといけないのだと思うわけです。
 
 その意味では、「不確実性がある中でどのように決断していくのか?」、「不確実性にどのように対処していくのか?」、あるいは、種々の出来事に上手く対処できるように「自分の価値観やアイデンティティをどのように育てていくのか?」について書かれている理論や方法論みたいなものが欲しくなるということでもあるわけです。

 そう考えると、そのヒントになるようなことを提供している方法のひとつが一般意味論だったわけですが、このように考えると個人的には非常に納得することになるわけです。もちろん、相対的に考えるとこれだけが唯一の方法論でないことも確かなのですけれど・・・(笑)。
 

 独り言


「確かさ」と「アイデンティティ」

 Wikipeidaの「ソフトサイエンス」を参照すると以下のようなことが書いてあります。[1]


ソフトサイエンス(英: soft science)とは、将来を予測し、計画するために必要な手法のこと。目に見えない技術とも言われる。また、問題を解決したり、人間や自然、社会の要求を実現するために、既存のあるいは手持ちの学問手段をどう組み合わせて使うかを考えて体系化したものである。ハードサイエンスは数量化できないものも可能な限り数量化しようとしたり、数量化できるものだけを対象に考えるのに対して、ソフトサイエンスでは価値観など数量化できないものを重要な対象とする。


それで、一般意味論についてのエッセーである「General Semantics vs. The Entire western system of Rationalizations[2]を読んでいたわけですが、はたと何か閃いたわけです。

 将来に実現したことに思いを馳せると、結局、将来は不確実性に満ちあふれていています。例えば、過去から現在までに身につけた常識のようなことで予測して計画しても、大体の場合、想定外の出来事が一つや二つ起ってこれが連鎖的に状況を変えていくようなことになるため、そもそも予測は当たらず計画変更を余儀なくされるということになる具合です。

 それで、結局は課題として「不確実性」にどのように対処するのか?ということと、対処の主体である心も体ももった人間として「アイデンティティや価値観」をどう育てていくのか?ということになってくるわけです。

 もちろん、不確実性に対処する方向性というのは色々あるでしょう。

 例えば、確実性を出来るだけ上げるために出来るだけ多くのデータや情報を集める。もちろん、この方法も悪くはないのですが、やはりデータや情報の収集には限りがあります。

 次に、「世の中は不確実だということについて確信する」この場合、ある種の諦めのような感じがしないでもないのですが、場合によっては「根拠のない自信だけを持つ」というようなことにもなってしまうので、もう少しなんとかしたいところ。

 で、最後はやはり心理療法のミルトン・エリクソンが活用したユーディリゼーション技法ではないのですが、身の回りの変化を自分の変化として取り込む、あるいはどんな出来事が来てもそれを活用できるという確信を持つことのようにも思えてきます。


  で、この延長として不確実性に対処するには、五感で認識出来る外的世界の状況に対して、もっと色々なことに気づけるようになりなさい、また、自分の中の世界では、事実きちんと認識してそれによい意味を与えるアイデンティティや価値観を持ちなさいということになるように思います。

 余談ですが、一般意味論では外的世界と内的世界の状況から生まれる認識主体の反応を意味反応(Semantic Reaction)と定義してそこに含まれる色々な要素の全体性を担保していることになります。つまり、私たちは色々な要素の総合から生まれる意味に反応し、決断、行動しているという具合です。

 それで、このあたりは、外的世界と内的世界の循環をきちんと考える、ディカル構成主義みたいなところや、仏教的認識論のようなところがあるわけですが、西洋的な二元論を超えることを目指した一般意味論の深いところが垣間見えてくるようにも思ってくるわけです。

(つづく)

文献


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com





2013年6月29日土曜日

一般意味論の単一引用符と二重引用符



「これが日常生活にどのように立つのか?」と問われると、

アメリカ人のプラグマティクスみたいに、安直なことを考えてはいけないのだろうなと思う次第です。(笑)

でも、実は仕事や日常生活に全く役に立ちそうにもないことを極めると、実はものすごく役に立つことがあるのが世の中パラドクシカルで面白いところなのでしょうけれどねぇ(笑)。

 独り言


単一引用符と二重引用符

 今日は、自分のメモ代わりに単一引用符と二重引用符の一般意味論な拡張について書いておきます。[1]

ある意味当たり前のことでもありますが、私たちは事実を観察して報告文としてその事実を記述することがあります。また、逆にその報告文を読んで事実をイメージすることができます。

ここで、事実を記述する場合、あるいは逆に記述された事実をイメージする場合、一般意味論的にこの単一引用符と二重引用符をどう取り扱うのか?というのがここでのテーマです。で、ここでは安直に日本語に翻訳して「」『』とするとニュアンスがわからなくなるのでそのままにしています。

単一引用符:


SINGLE QUOTES (Standard usage) 

To indicate a quote within a quote.
 


それで、まずは普通の使い方で、これは、引用の中の引用を指す、つまり、引用中で入れ子になった引用されたことを表現する場合に使います。

で、次が一般意味論的に拡張した使い方。

SINGLE QUOTES (Extensional device) 

1. To mark off terms and phrases which seem to varying degrees questionable for neuro-linguistic, neuro-physiological, methodological or general epistemological reasons.
 

2. To mark off terms used metaphorically, playfully, etc.
 

a. 'mind,' 'meaning,' 'space,' or 'time' used alone, etc.
 

b. "...the semantic reaction formulation could serve as a 'bridge'...between Pavlovian classical conditioning and Skinnerian
 operant conditioning." (Silverman) 



一つは、神経-言語、神経-生理、方法論的、認識論的な理由の点から幾ばくかの疑問の余地がある場合に (単一引用符)を使う。これは構造微分のモデルで見ると明らかですが、コトバが神経や生理現象に影響を与えているような場合、

例えば ‘レモンとか 梅干し とかのような場合、その意味反応(Semantic Reaction)がどのような相互作用で起きているのか少し考えみましょうというようなニュアンスで使うようなことになってきます。もちろん、  (単一引用符)があった場合、自分の意味反応がどのような相互作用で起きているのか?その意味反応自体をメタ認知の対象として少し考えてみるように示唆している具合です。余談ですが、意味反応について、一般意味論は表象主義を前提にしており、ひとは出来事に直接反応するのではなく、自分の中で構築される意味に反応している・・・ということを前提にしています。

もう一つは、メタファー、あるいはあそび等として用いられる場合。

a.     マインド , 意味 , 空間, 時間 など・・・
b.     意味反応は、パブロフの古典的条件付けとスキナ―派のオペランド条件付けを 橋渡しする形式で提供される・・・・

二重引用符:

DOUBLE QUOTES (Standard usage)
           
1. To indicate a term or phrase used by some referred-to person but not necessarily indicating a direct quote. Example: What Korzybski referred to as the "semantic reaction."

2. To indicate a direct quotation from a named source.


次に二重引用符、ここでは一般意味論は関係なしに普通の使い方となります。

ジェスチャーで言うとこれですねぇ(笑)。



それで、一つは、誰かの言ったことの引用ですが必ずしも直接の引用である必要はないということを示す二重引用符。
もうひとつは、ソースを明示して直接引用する場合の二重引用符、となります。

(つづく)

文献


2013年6月28日金曜日

コーチングでシステミックに質問する



  短期療法・戦略的家族療法をベースにしたコーチングが格好よいなぁと思う個人的な理由は何だろうなぁ?と考えることがあります。

 これは、単に今起きている問題を局所的に小さく解決することを志向するのではなくて、今起きている問題を「大きなシステムの中の小さな現れ」と考えて、自分の認識や行動を含め対処する習慣自体を身につけることを志向しているところなのじゃないだろうか?と思うわけです。

 だから、これを真面目にやっていくと、知らないうちに漏れなく、なんちゃってサイバネティストやなんちゃってベイトソニアンの養成に加担しちゃっている、わけですねぇ。(笑)

 独り言


システミックな質問

 一口にコーチングといってもクライアントの認識や行動の変化を志向するコーチングは短期療法や家族療法の概念、理論や技法などが持ち込まれていることが多いと思います。

 逆に言うと、オープン・クエスチョンやクローズド・クエスチョンとか承認とか言っているようなレベルだとMRIのポール・ウォツラウイックの言う認識や行動が根本的に変化する二次的変化を支援することは難しいでしょう。


それで、クライアントの認識や行動の変化を支援するためのシステミックな質問について書かれている「Reflexive questions in a coaching psychology context[1] とタイトルのついたエッセーは個人的にはお薦めです。システミックという言葉を定義すると、基本は、心ー体ー環境は相互作用する、あるいはこのシステムでおこる何らかの現象を「大きなシステムの小さな現れ」と捉えることになると思います。

このエッセーでは、短期療法家、家族療法の使った変化を促すシステミックな質問を1)直線的質問、2)円環的質問、3)戦略的質問、4)自己再帰的質問の4つに分け、その使い分けが紹介されています。

それでこのあたりの用途は、

直線的質問:起きている課題を事実に基づいて記述する時に使う
円環的質問:起きている課題がどのようなコンテクストや対象、人と相互作用することで起きているのかを明らかにする。また、今後自分自身がそこに何かを働きかけるとどのようにパターンが変わるのか?を予想する時に使う
戦略的質問:今もっている考え方や振舞いに挑戦して、新しい考え方や振舞いを考えてもらったり、得た時の状況をイメージする時の質問
自己再帰的質問:将来のあり得るシナリオ、ありたいシナリオに焦点を当てる時に使う

もちろん、このあたりの質問は一般意味論の構造微分のモデルをモノサシとしてあてると、どのあたりのことを聞いているのか?明示されることになるわけですが、少なくとも自分を取り巻く、環境や振舞いのパターン、思考パターンなどについてメタ認知を促しながら、問題を「大きなシステムの中の小さな現れ」と捉える習慣を身につける質問になっていることには間違いないと思います。

(つづく)

文献
[1] http://hilcoaching.com/pdf/HiekerHuffington.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年6月27日木曜日

MRIベイトソン・グループの系譜:ミラノ派(その4)



 ミラノ派の心理療法って心理療法家のミルトン・エリクソンの影響を多分に受けているように思います。

しかし、一旦、ベイトソンが形式知化した理論を通して演繹的につくられた技法という側面があるので、暗黙知しかないミルトン・エリクソンの技法と比べるととても理路整然として、ある意味、「これだけ?」って感じで理解しやすいように思います。

 もちろん、プラグマティクスの点から考えると実際に効果があることが重要なわけで、理論とか技法を必要以上に複雑にする必要はないと思います。

それで、ベイトソンの著作とか論文とかを読んでその内容を理解していれば理解するのにまったく難しいところはない・・・というところもよいですねぇ・・・・てなわけで、個人的にはプロジェクト・マネジメントのステークホルダー・マネジメントとかに使ってみようかなぁ~と画策中・・・・・・で、このモデルだとステークホルダー・マネジメントをやる時に根っからの政治屋にならなくても済むような気がするのですよねぇ~(笑)

 独り言


7分でわかるミラノ派のシステム・モデル

 世の中やはり奇特な方が居て、Youtubeにミラノ派の心理療法のモデルを7分でとても分かりやすく説明してくれています。


 ちょっと音声が聞きづらいのですが、そこはご愛嬌という感じなのでしょう・・・

それで、基本的にはミラノ派のモデルは家族間の人間関係の中で起こる、病理的なダブル・バインドを見つけ、そこに巴投げ的にカウンターを当てて、逆にミルトン・エリクソンのような治療的ダブル・バインドをつくっていくことになるわけです。

 それで、介入を行う心理療法家に対しても、MRIのメンバーがマジック・ミラー越しに観察したようにセッション自体を俯瞰できるような観察者を立てて、いつも心理療法家が中立で居られるように工夫しているところが面白い点にようにも思ってきます。もちろんこれもベイトソンの二重記述の応用ということになるわけですが・・・(笑)。

(参考)
(つづく)

文献
N/A

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2013年6月26日水曜日

MRIベイトソン・グループの系譜:ミラノ派(その3)



 ある人の振舞いというのは、その人を取り巻く人間関係の動力学で決まるようなところがあるわけです。

 で、その人が問題の振舞いを始めた場合、その人自身に問題があるのではなく、その人を取り巻く人間関係の動力学がそうさせている・・・と考え・・・そこにベイトソンの理論的背景から生まれた円環的質問で介入するというのがミラノ派というわけですねぇ。

 それで、個人的にはこういったアプローチは日本にとてもマッチしていると思っていて、家族の人間関係から職場の人間関係・・・という具合にその応用範囲は非常に広いのではないかと考えているわけです。まぁ、ある意味とっても真っ当なアプローチですねぇ。逆に言うと、個人の能力だけ鍛えれば・・・という自己啓発をまったく信用していない理由がここにあるわけですねぇ(爆)。

 独り言


円環的質問の例

 いちおう個人的にはなんちゃってベイトソニアンであり、なんちゃってサイバネティストなコンサルタントなので物事や組織をシステムと考えるやり方は非常に好みです。(笑)

それで、ベイトソンの理論を使った短期療法・戦略的家族療法の一派であるミラノ派の提唱している円環的質問の例についてエッセーを読んでいたわけですが、今日はこれをご紹介しておきましょう。[1]

 このエッセーでは3つの事例が紹介されています。

 最初の例の状況設定はこんな感じです。

10歳の男の子。半年前に母方のおじいさんが無くなり、母親が弟を出産した後、突然、喚き散らし、そして身の回りのものを壊すようになった。母親は実父の死による落ち込みから新しく生まれた弟に愛情を注ぎ込むことになる。この10歳の男の子も好きだったおじいさんが亡くなったことに落ち込み、さらに、母親が自分にかまってくれなくなったことに落ち込み、そして父親は仕事で忙しく中々この10歳の男の子の話し相手になってくれない、という具合です。

 それで、具体的にこの10歳の男の子の振舞いがどのようなシーケンスで起こるのか?を明らかにしていきます。

1.     母親が弟に授乳している。
2.     10歳の男の子は母親に宿題を手伝って欲しいと頼む。母親は待つように言う。この子はだんだんむかついてきて「お母さんなんて大嫌い」と言う。
3.     母親はもっと落ち込んで、弟をかまうようになる。10歳の男の子の要求に圧倒される。
4.     10歳の男の子は母親に本を投げつける、弟に当たりそうになる。腹を立てて落ち込む。
5.     母親は弟を連れて別の部屋に退避、父親に電話をかける。
6.     父親は電話で、「子供のしつけはお前の仕事だ」「今日は飲み会で遅くなる」と言う。
7.     母親は電話を切ると、どうして良いかわからなって泣き出す。弟と一緒にその部屋にこもる。
8.     母親がおむつをとりに部屋から出てくる時、ことは沈静化している。

それで、母方のおじいさんの死と弟の誕生という家族関係の動力学の変化をきっかに家族システムに新しいパターンが形成されたところがあるわけですが、この家族システムを構成するメンバーそれぞれにどのような円環的質問で介入していくのか?の概要についてはこのエッセーを読んでいただきたいと思うわけです。(笑)

 それで、会社などでも社員を家族のようなシステムと考えてこの事例のような対処が出来るようになると、いわゆるブラック企業というのも随分減ってくるのだろうなぁと考えてはいるわけです・・・・・・・・
(つづく)

文献
[1]http://www0.health.nsw.gov.au/resources/mhdao/pdf/TheClinicianVolume2Issue1Courage&Depression_50-54.pdf

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2013年6月25日火曜日

MRIベイトソン・グループの系譜:ミラノ派(その2)



 家族療法的なことを学ぶと、ある人がものすごいパフォーマンスを発揮しているとして、その人個人の能力なのか?あるいは人間関係やその状況が本人にその能力を発揮させているのか?判断に迷うことがありますねぇ。

 もちろん、ものすごく出来が悪い場合も同じことを考えたりするわけですが。人間関係や状況がパフォーマンスに悪影響を与えている場合は、個人的な能力を鍛えてもあんまり意味が無いのが悩ましいところですねぇ・・・・・・・・だから、状況を選んだり、人間関係に介入する理由がここにあるわけです。
 

 独り言


円環的質問

 ミラノ派の提唱している円環的質問の背景にある理論を考えると色々面白いことが分かってきます。[1]

 まず、この前提として人類学者のグレゴリー・ベイトソンの著作「精神の生態学(Steps to an Ecology of Mind)」に書かれていた純粋な認識論として、円環的因果関係、二重記述、共進化という概念があります。

ミラノ派の質問はこの概念を演繹的に適用して質問をつくり、そして臨床で試してみた、という格好になっています。

 それで、最初は、円環的因果関係。これは人間の認識や行動、あるいはコミュニケーションを取り扱う場合、必ずしも原因→結果という直線的因果関係で成立しているものではありません。余談ですが、ここで言う直線的因果関係とは「風が吹けば桶屋が儲かる」で言われている出来事の連鎖を思い出していただくと良いでしょう。

では、どのように考えるのか?




 これを、比喩で言うと自分の尻尾を加えているウロボロスのヘビのようにどこが頭でどこが尻尾なのかの区別なく、原因⇔結果が円環的に相互作用しているような因果関係になっているような場合です。これを図で表すとピーター・センゲ著「最強組織の法則」で紹介されていたシステム・アーキタイプのような要素と要素が円環的因果関係で繋がれている図を思い出していただくと良いと思います。





 次は、二重記述です。これは2つの視座からそれぞれ観察して、それぞれの視点から記述をしてその違いを明示してみるやり方です。ミラノ派の質問の場合は、現在、過去、未来、のように時系列における視点を変えたり、あるいは、自分と相手の立場からそれぞれ観察、記述してみたりすることになります。基本的にはベイトソンの言う「A difference that makes a difference.」のように2つの要素の差異から1つの情報が生まれるのと同じ理屈で何らかの気づきが生まれるようなことが起こります。

 三番目は、共進化、これはコミュニケーションの相互作用を通してお互いが学習するような状態を表しています。イメージ的には以下の絵のように円環的に相手を明示すればするほど自分も明示されるような状態と言えるでしょう。




 それで、上のようなことを考えながら、「The evolution of circular questions [2]という論文を読んでいたわけですが、結構、円環的質問が、ベイトソンの理論に即して創られているのが分かって面白いなと思っていたわけです。

(つづく)

文献

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2013年6月24日月曜日

MRIベイトソン・グループの系譜:ミラノ派(その1)



 PMBOKなどのプロジェクト・マネジメントの方法論を杓子定規に解釈すると単に、スキルだけ見てチームを組んだり、仕事をアサインしたりするわけですが、これをベースラインとするにしても、もう少し別の有機的な(義理、人情、浪花節ではない、欧米でも日本でもアジアでも通用するもっと普遍的な)ソフト・スキルとしてのマネジメント手法を持っておくというのは重要なことだと思うわけです。(笑)

 
 で、個人的には短期療法の一派であるMRIベイトソン・グループ的な介入とか、ベイトソン・グループの理論を忠実に引き継いでいるミラノ派の介入とかって結構良い感じがするのですよねぇ・・・・・・で、なぜかミラノ派の技法には萌えるのですよねぇ(笑)。

 独り言


短期療法・戦略的家族療法的なチーム・マネジメント・・・

 本業のほうでPMOとしてプロジェクト・マネジメントやプログラム・マネジメントのお手伝いをすることがあります。

 一般的なプロジェクト・マネジメントではそれぞれのメンバーのスキルというところに焦点を当てチームを構築し、そのスキルに基づいて役割やタスクをアサインされるということになると思います。

もちろん、このようなマネジメントのやり方がベースになるわけですが、個人的にはチーミングにしても、コミュニケーション・マネジメントにしても、ステークホルダー・マネジメントにしろ、(色々な国や文化の違いも考慮に入った)もう少し有機的な方法論がないのか?と考えてしまうわけです。

それで、PMI (Project Management Institute)のサイトにあった「Gaining higher project management with Project Manager having systemic consulting skills[1]というタイトルのエッセーがあります。

この場合はMRIの短期療法が想定されていますが、プロジェクト・マネージャがチーム・マネジメントやステークホルダー・マネジメントを行う上でソフト・スキルとしての短期療法、あるいは戦略的家族療法のようなスキルを活用してプロジェクトをマネジメントする有効性について考察されているわけです。

 それで、このあたりのもう少し細かい技法、特に、家族療法的に人と人との関係性に対して具体的にどのような質問を投げたら良いのか?という疑問が沸き起こるわけですが。

 これには、ベイトソンのサイバネティクス理論を忠実に家族療法の技法に落としたイタリアのミラノ派(Milan Associates[2]があるわけですが、ベイトソンの円環的因果関係を質問に還元した格好になっているこの派の円環的質問法の基礎ついて書いてある「Circular Questioning : An Introductory Guide[3]とタイトルのついたエッセーを読んでいて個人的には非常に納得したわけです。

 ここでは、2つの種類の質問 1) 差異を明示する質問と 2)関係性を明示する質問が明示されています。

 人類学者のベイトソンが物事を「差異から生まれる情報」そして「結ばれあうパターン」に還元して考えるベイトソニアンについては以下のリンクで書いたところですが、


前者は、ベイトソンが言った、「A difference that makes a difference.」で表された2つの要素の1つの違いを「情報」と定義したわけですが、前者がこの差異による情報を知覚・認識する質問。そして、後者が「A Pattern that connects.」すなわち結ばれあうパターンを知覚・認識する質問となっているわけです。

それで、具体的にこのエッセーの中では、

差異による情報を知覚・認識する質問

-経年変化による差異
-人と人との差異
-ある人の要素と要素の差異(例、頭と心・・・)
-状況毎の差異

パターンを知覚・認識する質問

-振舞い
-気持、感情
-信念
-意味
-関係性

を意識してもらう質問が示されています。基本的には問題や課題の事実認識をしながら、その状況やそれに対する反応、あるいは人と人との関係性について考えてもらい、事実と認識、あるいは事実と意味の間に選択肢があることに気づいてもらうような質問になっていることになります。

 それで、個人的にはやはりこの技法は心理療法家のミルトン・エリクソン→MRIベイトソン・グループ→ミラノ派の流れだなぁとしみじみ思うわけですが、ある意味非常に忠実にベイトソンの理論が反映されて個人的には非常に好みの技法でもあるわけです。

(つづく)

文献
[3]http://ift-malta.com/wp-content/uploads/2012/05/Circular-Questioning-an-introductory-guide.pdf

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2013年6月23日日曜日

メタ認知して学習する・・・



 学習能力を上げるにはメタ認知能力を上げる必要がある・・・・云々・・・とスタンフォードな人たちが書いたドキュメントを読んでいたわけです。で、個人的には学習の定義はベイトソンの定義をイメージしています・・・

で、個人的にはこのドキュメント自体をメタ認知して読んでいるところがあって(笑)。「別に日本人だったら、・・・・観阿弥世阿弥親子の風姿花伝の中にある『離見の見』とか宮本武蔵の五輪書にある『遠きを近きに、近きを遠くに見る』ができるようになれば良いんだけれどね、と・・・・思ったわけです。

で、こういうのを経営学のミンツバーグの視点から見ると、「コグニティブ・スクール(認知学派)」と「ラーニング・スクール(学習学派)」そして、外的環境の変化を取り込んでリアルタイムに学ぶ「アダプティブ・スクール(適応学派)」を混ぜた学派になってくると思っていて、簡単に言うと、外的環境と自己をメタ認知しながら、自分の枠組みを超えてリアルタイムに学び状況が修羅場でも内と外のリソースを見つけて何とかしていきましょうという学派の出来上がりということになるわけですねぇ。(笑)

もちろん、お勉強モードで分類することには意味はなく、実際にどうやって1)課題のスコープを決めて2)起こっていることをプロセスとして眺め 3)自分の内側、外側の循環を考えながらメタ認知しながら、リソースを探す、というようなことが出来るようになってもらうことが重要なところだと思っているわけです。まぁ、良いコーチとかコンサルタントってこの当たりの支援がきちんとできる人かなぁ?でもあまり居ないだよなぁ(笑)。

 独り言


身体感覚を伴ったメタ認知の開発は重要だろうなぁと・・・

 ビジネス上のコーチングやファシリテーションを成立させるための重要な要素について考えると、個人的にはこの要素の一つが「メタ認知」[1]だと考えています。

 もちろん、これでは何を言っているのか?不明です。それで、もう少し具体的に書いておきたいと思います。

 例えば、コーチングにおいてコーチは具体的にクライアントに対して何を支援するのか?と考えると、・・・・・・個別具体的な「内容」、つまり「コンテンツ」としての課題や問題の解決を支援するということが考えられるでしょう。つまり、今直面している課題にどのような対処するの?ということを明確にすることを支援するという具合です。

 しかし、もう少し大きな枠組から考えると、コーチはクライアントに対してより一般的な問題解決のためによりよく学習する「プロセス」を獲得したり、強化したりということを支援する必要があると思います。つまり、今直面している課題について考えている自分の思考・行動・感情をどのように認識しているのか?をメタ認知してもらうことを支援することでより一般的な課題に対処できる能力を身につけてもらうような具合です。

 もちろん、このあたりは人の認知に関することですから、心―身体―情動ということは切り離すことは難しいわけで、メタ認知の練習と言っても、(1)まずは、それに対処するために内的にどのような心身状態になるのが最適なのか?のように心理療法家のミルトン・エリクソンを継承するエリクソニアンが言うリソースを引き出し、新しい可能性や選択肢に目を向け、(2)そしてそれを実現するために外的な行動を通して、物理的な世界にどのように働きかけ、そこからのフィードバックを更にどのように利用していくのか?を学んでいくことになるわけです。

で、ちょっと話題はそれますが、心理療法家のミルトン・エリクソンが活用したトランス状態の定義は以下で書いたわけですが、


エリクソニアン的にトランス状態というのは怪しいもではなく、色々な課題に対してメタ認知を上手く行う練習以外の何ものでもないなと思ってくるわけです。

そう考えると、以下で書いたセンタリングとベティ・エリクソンの自己催眠というのは、メタ認知力を鍛える練習以外の何ものでもないということになってきます。もちろん、個人的にはこの辺りがミルトン・エリクソンやその弟子の人たちが凄いと思っているところなのですが・・・


 もちろん、方法はこれだけではないのでしょうけれども、このあたりをまともにやっていくと古武道とかとあまり変わらなくなってくるようにも思ってくるわけですねぇ。

(参考)
(つづく)

文献
[1] http://www.learner.org/courses/learningclassroom/support/09_metacog.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com