2013年7月31日水曜日

癒しのメタファーのつくりかた(その4)



 メタファーを非常に簡単に定義しておくと、ある物事や概念を別の物事や概念に喩えて説明すること、ということになるわけです。

で、ある調査によると、私たちは、10から25の単語を話す間に一つのメタファー、あるいは1分間話す間に6つのメタファーを使っているようです。

 それで、メタファーを使わずにしゃべることが出来るのか? 言い換えると喩えるということを使わないで物事を表現することが出来るのか?と考えるとかなり難しいことのように思ってくるわけです。

 もちろん、相手の話すメタファーというのは案外、相手の本音が現れているところがあるので、案外このメタファーをよく傾聴する、このメタファーを発展させる、そしてメタファーを変化させる、というようなことが出来ると、間接的に、しかも確実に認識や行動になんらかの影響を与えることになるわけで、これがメタファーの面白いところでもあるのでしょう。

 独り言


ACTにおけるメタファーの活用

 今日は手短に。

Mastering the Metaphor[1]とタイトルの付けられたACTで活用するメタファーのプレゼンテーション資料を読んでいたわけですが、これが非常によくできているように思います。

 メタファーは別にミルトン・エリクソンやナラティブな心理療法の専売特許ではなくてACTでも活用されているというところがこの資料の面白いところでもあるように思えてきます。

 この資料は、メタファーへの基本的な理解、メタファーのガイドライン、具体的な活用方法などについて述べられているわけですが、非常に簡潔にまとまっているように思います。


(つづく)

文献
[1]http://contextualscience.org/system/files/Mastering_The_Metaphor_Ehrnstrom.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年7月30日火曜日

癒しのメタファーのつくりかた(その3)



 心理療法で認識や行動を変化させるメタファーを誰がつくるのか?っていうのは結構大問題のように思えてきます。

 心理療法家のミルトン・エリクソンのスタイルだと、メタファーはセラピスト側がつくるもので、これはセラピスト≒作家先生を意味していることになるわけです。つまり、セラピストはクライアントの話を聞いて毎回毎回なんらかのメタファーをつくらないといけないとしたら結構たいへんな作業だし、創造性も必要だなぁ・・・ということになってきます。もちろん、コンサルタントだとお金がかかるやり方という具合になってきます。(笑)

 もちろん、世の中よくしたもので、心理療法家のリチャード・コップ(Richard Kopp)はクライアントの話を聞きながら、メタファーはクライアントにつくってもらうという、あるいはクライアントがメタファーを発展させることを支援するということを思いついたわけですが、案外これがコロンブス的な発想ということになってくるわけです。

 独り言


スポーツ・コーチングの中でのクライアントがつくるメタファー

 認知言語学の進展がどのように影響しているのか?はよく分からないのですが、


 このブログでの研究テーマにしている心理療法家のミルトン・H・エリクソンに限らず、色々なところで技法としてのメタファーというのが登場してくるように思います。

 それで、今日は「A Framework to Explore and Transform Client-Generated Metaphors in Applied Sport Psychology[1]というタイトルのエッセーが面白かったのでご紹介しておきましょう。

 ここでのポイントは、メタファーをクライアント側がつくる、そしてセラピスト側はそのメタファーを発見し、そしてそのメタファーを発展し、よい意味で変化、展開することを支援する、というようなことが書かれています。

 で、ここで想定されているのは、リチャード・コップの「Metaphor Therapy: Using Client Generated Metaphors In Psychotherapy[2]、あるいは、ローリー&トンプキンスの「Metaphors in Mind [3]で紹介されていたジェイ・ヘイリーの弟子のデイビッド・グローブの開発したグロービアン・メタファーを発展させた Clean Language & Symbolic Modeling 等というわけです。

 上のエッセーで紹介されているのは、スポーツのコーチが選手からメタファーを引き出しそして、最適な心身状態などをつくるためにそのメタファーを変化させるような状況ということになっていますがここでは5つのステップが示されていることになります。

(1)  クライアントのメタファーの同定
(2)  クライアントのメタファーの探求(初期)
(3)  メタファー的な景観の拡張と開発
(4)  メタファーの移行(変化)
(5)  メタファーを現実に持ち帰る

 というようなステップでセッションが進むことになります。

 もちろん、ここではメタファーというのはイメージ・スキーマだけではなく身体図式(ボディー・スキーマ)も含むメタファーというようなことになってきますが、人の認識や行動、を変化させ適切な心身状態をつくるために案外メタファーというのは重要な役割を果たすのだろうなぁと思ってくるわけです。

 で、社会科学的なことでもあり、個人的に統計を取っているわけではないけれども、ある程度の再現性を持って非常に集中した状態などの心身状態はメタファーを引き出して、発展、変化させることで割りと簡単につくりだせると思います。 

(つづく)

文献
[3] http://www.amazon.co.jp/dp/0953875105/

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年7月29日月曜日

ベイトソニアンのエピステモロジー



企業のコンサルタントなんかにしても、どっかで習ってきたフレームワークで特に量的な情報を整理するというのは時間をかければ誰にでも出来るわけですが、問題は暗黙知に近い質的な情報をどのように認識してそれを活用するのか?というところのようにも思えてくるわけです。

そう考えると人類学者のような質的な情報を扱う、認識論とか方法論とかを学んでおかないといけないということになるわけですが、このあたりのことをどう考えるのか?と考えると一般的にはセンスという言葉でしか表わすことしか出来ないのが悩ましいところだと思うわけです。(笑)
 
 独り言


グレゴリー・ベイトソンのようなものごとの見方を身につけるには?

 今日は、手短に、

Prerequisites to Batesonian Epistemology[1]というタイトルのエッセーが面白かったのでご紹介しておきましょう。

 ベイトソニアンとは人類学者のグレゴリー・ベイトソンを信奉する学者のことを指し、また、エピステモロジーは何を対象にどのようなプロセスでものごとを認識しているのか?という認識論を指すことになります。


 それで、このエッセーは例えば、ある人が「グレゴリー・ベイトソンのような物事の見方を身につけたいのですが、何をしたらよいのでしょう?」という答えに相当するのがこれだというわけです。

 もちろん、これを読んだからといってグレゴリー・ベイトソン並の認識論をすぐに身に着けられるわけではないし、ベイトソニアンになるための、腕立て伏せやランニングみたいな基礎体力を上げるような練習なのですが、・・・・・案外、こういうのが大事なのではないか?と個人的には思っているわけです。

(つづく)

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com





2013年7月28日日曜日

広告の中のダブル・バインド



 広告の送り手と広告の受け手の間にあるのはコミュニケーション。

 それで、このエッセーでは広告の送り手が広告の受け手にベイトソニアンなダブル・バインド、例えば

(1)  ソーダ水Xを飲めば、その(排他的)集団の中で幸せになる・・・・
(2)  (排他的)集団の一部になってはいけない、あなたは、ひとりの個人なのだから・・・
といったパラドクシカルなメッセージを送った場合、それを受け取った一部の受け手がどのような認識でその情報を処理し、そしてどのような行動を取るのか?についてニクラス・ルーマンの社会システム論とグレゴリー・ベイトソンのダブル・バインドの視点から考察されているのがこのエッセーだというわけです。

そう考えると、コピー一行書くにも認識論や認知科学などの知識が無いといけないという凄い時代になったとも思うわけですが、個人的には職業柄そういったコピーをさらにリバース・エンジニアリングしていつもちゃぶ台を根底からひっくり返すダブル・バインド外しのリフレーミングを考え続けている今日この頃だったわけです。(笑)

 
 独り言


広告の中のダブル・バインド・・・・・

 今日は、手短に、

The prospect and schizogenesis: A Batesonian perspective on the implications of the double-bind in advertising messages[1]というタイトルのエッセーが面白かったのでご紹介しておきましょう。

 これは、テレビのCMや雑誌、新聞などの広告でダブル・バインドのメッセージを使ったら、広告の送り手と(その広告に反応した)広告の受け手の間でどのような関係が築かれ、そして受け手である消費者はどのような行動に出るのか?について、人類学者のグレゴリー・ベイトソンと社会学者のニクラス・ルーマンのオートポイエーシスを援用した社会システム論の視点から考察されたエッセーだというわけです。

 これからすると、広告の送り手と受け手の間にはコミュニケーションを構成素とするオートポイエーシスが存在するような恰好になって、そこでパラドクスを含んだメッセージがやり取りされるとどういう結果になるのか?が考察されているわけですが、個人的には非常に興味深く読んでいたというわけです。

 こういったエッセーを参照すると、広告のコピーを書くにしても、広告一つ打つにしても、認識論や認知科学、あるいはシステム論の知識は必須のようにも思えてくるわけですが、逆の言い方をすると、凄い時代になったもんだ・・・とも思っているわけです。

 もちろん、幸か不幸か、もし、広告主がダブル・バインドを含んだメッセージを送ってきても、個人的には巴投げで投げ返してしまうので、なんとも思っていないわけですが、ある意味、何にも考えてないで生きていると不要なものまで色々買わされてしまう時代なのだろうなぁと思ったわけです。(笑)

 余談ですが、広告の作り手にこういのを教えて上げるというコンサルティングなどはありかもしれませんけれどねぇ~

(参考)
(つづく)

文献
[1] http://www.marketplanet.ru/filestore/0008/0064/963/267.pdf


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2013年7月27日土曜日

癒しのメタファーのつくり方(その2)



心理療法家のミルトン・エリクソンはクライアンの認識や行動の変化を支援するためにメタファー、特に、セラピスト側が考えてデリバーするメタファーというのを使っていたということがあります。

それで、こういった癒しのメタファー(Therapeutic Metaphors)を理解する上で鍵となる概念の一つが同一構造性(Isomorphism)ということになるわけです。

これは、認識主体が何かの対象を「メタファー」として認識する行為というのは、まったく関係ない2つの出来事や事象の間にほぼ無意識に同一(Isomorphic)な深層構造やパターンを見出す作業に他ならないことを意味していることになります。

それで、認識主体が変化する理屈を非常に簡単に説明すると、認識主体が2つの要素の間に何らかの関係性を発見する、そして投影先のメタファーを良い意味で変化させる、それによって無意識に投影元に対する認識が変化し、出来事に対する意味が変化し、気持が変化し、そして行動が変化する、簡単に言うとこれが癒しのメタファーの構造ということになってきます。

もちろん、メタファーは広義の意味では認識に間接的、あるいは無意識に働きかける技法ですから、実は結構日本向きで、プレゼンテーション、交渉事、創造的問題解決、自然なリーダーシップの発揮・・・・などなど、色々な場面で役に立つと考えているわけです。もちろん、こういった手法はある意味要素還元主義的な手法とは対局にある・・・ということになるように思います。

 独り言


異なる2つの出来事、事象、物語に共通する同一構造や同一パターン・・・・・

 オックスフォード大学出版から出ている「The Oxford Handbook of Hypnosis: Theory, Research, and Practice[1]のスティーブ・ランクトン氏が書いたエリクソン・アプローチのところを読んでいたのですが、エリクソン・アプローチでよく用いられるメタファーの、Isomorphic (同一構造)というというところが非常に分かりやすく説明されています。

同一構造(Isomorphic)とは、認識主体が、まったく関係の無い2つの出来事や事象、あるいは物語の間に共通する同一の深層構造やパターン(構造というと構造主義的で、パターンというと構成主義的ですが・・・)を見出すことに他なりませんが、これを理解することがまずは癒しのメタファーをつくるための第一歩ということになります。

もちろん、これはクライアント側が何らかの関係性を見出していくことになるわけであり、セラピスト側の主観で勝手に出来合いのメタファーを話してもクライアントの腑に落ちるメタファーにならないということには注意する必要がメタファーの難しい点でもあります。

それで、この同一構造(Isomorphic)なメタファーをどのようにつくっていくのか?について書かれているのか、同じスティーブ・ランクトン氏のプレゼンテーション資料「Metaphors[2]とスティーブン・ロバーツ博士のエッセー「Therapeutic Metaphors:A Counseling Technique[3]というわけです。

これらの資料の場合は、セラピストがデリバーする形式のメタファーということになっていますので、まず、クライアントの話に耳を傾け、クライアントの置かれている状況、課題、その登場人物、問題の構造などをよく傾聴し、そしてセラピストはその構造を同一構造として物語やメタファーにマッピングする形式でメタファーを紡ぎ、最終的にはそのメタファーをクライアントの望むゴールを暗示する形式で終わらせるようにメタファーを語るというようなことになってきます。

もちろん、ランクトン氏の資料を読むとメタファーを1)ミステリー 2)サスペンス 3)サプライズ 4)ユーモアなどに分類して作成するようになっており、また、メタファーの中にメタファーをネストするような形式で「Multiple Embedded Metaphors」を活用するバリエーションが示されています。

http://ori-japan.blogspot.jp/2011/10/blog-post_26.html

もちろん、このあたりは癒しのメタファーという目的ではなく、日常置かれている問題を創造的に解決するために、資源・資質を探し、自分の認識や行動を変化させるという意味でもこういった技法は活用出来るということになります。

もちろん、今日書いた内容も本にまとめるとおそらく概要を書いても新書1冊くらいにはなると思いますまずので、結構深いテーマでもあるように思ってきます。もちろん、ある構造やパターン(システム)を別の構造やパターン(システム)にマッピングして問題解決を試みているというのは要素還元主義によらない究極のシステム思考のように思えてくるところがあるわけですが、結構、このあたりがメタファーの深さでもあるのでしょう。

http://ori-japan.blogspot.jp/2011/09/blog-post_22.html

(参考)
 
(つづく)

文献

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2013年7月26日金曜日

ミルトン・エリクソンの技法はお笑いの要素が必要(笑)



 心理療法家のエリクソンはその技法について暗黙知しか残さなかったので、後の研究者はエリクソンの暗黙知の一部を形式知化しようとして躍起になってところがあります。もちろん、形式知化したからといってエリクソンになれるわけではありませんけれども(笑)。

それで、エリクソンの特に言語パターンを形式知化するために1)統語論、2)意味論、3)語用論といったフレームワークを立ててみることになるわけですが、特にエリクソンが活用したメタファーについては意味論、特に認知言語学のフレームワークを立ててエリクソンの底の見えない深遠なる懐を覗いてみるという感じになるように思います。

もちろん、認知言語学のジョンソン&レイコフの著作「Metaphors We live by」が出版されたのが、エリクソンが亡くなった1980年ですから、意味論についてはベイトソンの理屈やコージブスキーの一般意味論をメガネとして見られていたという歴史的な事情を考えていないといけないのでしょうけれども・・・・・

 独り言


メタファーはアブダクションでアブダクションはなぞかけなり・・・・・

 米国臨床催眠の学会である「The American Society of Clinical Hypnosis」発行されている学会誌「The American Journal of Clinical Hypnosis」に掲載されている「Men Are Grass: Bateson, Erickson, Utilization and Metaphor[1]を読んでいたわけですが、個人的には非常に興味深いことが書かれています。


We do not judge that this or that thing is necessarily disturbing.
We can only wonder what use can be made of it. Milton H.
Erickson (1985, p. 257).

私たちはそれについて判断を保留する、このこと、あるいはそれは必然性があって心をかき乱しているのだから。私たちはそれをどのように活用し得るのかのみ知り得る。るにてすないといけないのでしょうけれども。用したことで知ら Hypnosis

 心理療法家のミルトン・H・エリクソンは心理療法のセッション中にメタファーと利用できるものはクライアントにとって不都合なことでもなんでも活用するユーティライゼーションを活用していたわけですが、この2つがどのようにつながるのか?一般的な演繹法による三段論法と、グレゴリー・ベイトソンの使った「人間は草である」のアブダクション(メタファーのロジック)のロジックを使った三段論法の違いを使って説明してあるというのがこのエッセーの趣旨というわけです。

 で、レイコフ&ジョンソンの特に概念メタファーの定義は「ある概念を別の概念で説明すること」と定義されていましたが、ここではそれよりもう少しその意味が広く取られた感じのメタファーになっています。

 それで、エリクソンのユーティライゼーションというのは、大喜利でやっている「なぞかけ」をアドリブで作るということになってくるわけですが、ある意味、これがユーティライゼーションの本質でもあるわけです。(笑)


 そのようなわけで、日本ではエリクソンの心理療法はある意味、笑点のお笑いみたいな感じにもなって、関係ない2つの要素に意味を見出したり、資源・資質を発見したりということが期待されているわけですが、そこがエリクソンの面白いところでもあるのでしょう。

 それで、エリクソンの面白さはユーモアとかお笑いの要素が適度に散りばめられているところなのだろうなとも思うわけですが、案外、エリクソニアンの修行の一つとしては落語とか大喜利とかを取り入れても良いのかなぁと思っている今日この頃だったわけです。(笑)

(参考)
(つづく)

文献
[1]http://www.asch.net/portals/0/journallibrary/articles/ajch-50/50-3/roffman50-3.pdf

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2013年7月25日木曜日

リフレーミング原論



 以前も紹介したけれど、このドキュメントは非常に出来が良いですねぇ。

あんまり大きな声では言えないけれど、院生とかこのドキュメントをパクって援用して何本か論文が書けるんじゃないの?って感じですねぇ(笑)。夏休みとかある人は少し時間を取って読んでみるのも良いのではないかと思っています。

 もちろん、日常会話でも、ビジネスの場面でも、日本語でも英語環境でもリフレーミングは役に立つと思いますけれどねぇ。(笑)逆の言い方をすると、英語を学ぶ時にもセンスの良いリフレーミング手法を学んで適時これが出来ていないと、応用力が無く以前リテラシーは低いまま・・・ということかもしれませんねぇ・・・・・・・・これは、人は言葉を補助線として認識や行動の変化に影響を与えることが出来る・・・ということでもあるかもしれませんし・・・・・言葉を補助線として認識や行動を変化させることが出来る・・・・ということでもあるのでしょう。

 独り言


リフレーミングが体系的かつ網羅的にまとめられているドキュメント

 リフレーミングは元々個人的な座右の書でもある、短期療法の研究機関の代名詞にもなっているMRI(もちろん、精神分析の研究をしている研究者の方もおられるのですが・・・)のウォツラィック、フィッシュ、ウィークランドの書いた「Change」の中で使われたのが最初のようです。もちろん、それ以前には命名されていない技法として心理療法家のミルトン・エリクソンや家族療法家のバージニア・サティアなどは手なりで使っていたのでしょうけれども・・・。

 それで、短期療法や家族療法で活用されるリフレーミングについて体系的に書かれている論文が「“Seeing Things in a New Light Reframing in Therapeutic Conversation[1] というわけですが、1970年台に提唱されたリフレーミングから始まって、その背景にある「フレーム理論」や「ウィトゲンシュタインに代表されるような言語哲学」・・・・を経て2000年代あたりのリフレーミングまでと40年近いリフレーミングの理論と手法が体系的かつ網羅的にまとめられていることになります。

中々の大作でもあり、かなり網羅的に書かれているので個人的には強くお薦めするドキュメントでもあるわけです。

(つづく)

文献
[1] http://ethesis.helsinki.fi/julkaisut/laa/kliin/vk/mattila/seeingth.pdf

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2013年7月24日水曜日

禅とパラドクスとミルトン・エリクソン



 グレゴリー・ベイトソンにしても、ポール・ウォツラィックにしろ、ジェイ・ヘイリーにしろ、ある日を境にして、突然の禅とミルトン・エリクソンの共通点について語り始めるようになるのですよねぇ(笑)。

もちろん、今囚われている認識の枠組みを超えて、自己の投影としての世界、世界の投影としての自己の関係性の中に新しい自己を見出すには、パラドクスとかダブル・バインドをかますような禅問答系で行くのか、あるいは、自分の知覚に注意を向け、メタ認知を鍛えるマインドフルネス系で行くのかの選択はあると思いますが・・・・・

 それで、エリクソンのわけの分からない心理療法の技法の中に、禅との共通点を見出すというところがベイトソン、ウォツラィック、ヘイリー等のセンスが常人じゃないところなのだろうなぁ・・・と個人的には思っているわけですが、このあたりはシンプルだけれども底なしに深遠な世界に入ってくるようにも思えてくるわけです。

 独り言


コーチングはプラスをプラス、セラピーはマイナスをゼロって本当?

 よく、コーチングとセラピーの違いが、多少比喩的ですが、以下のように説明されている場合があります。

コーチングはプラスをよりプラスにする技法、セラピーはマイナスをゼロにする技法。

 もちろん、人によって色々な考え方があって特に社会科学的なところはどれが正解でどれが間違いということを判断することが難しいというところがあるため、これはこれで良いのですが・・・・・

 それで、例えば、短期療法をベースした方法論はこれと少し異なるものになるのだと思っています。

以下のリンクでこのあたりの特徴は少し書いたところなのですが、もう少し噛み砕いて書いておきましょう。


 短期療法の場合は、(本当はサイバネティクス的に細々としたところがあるのですが・・・)簡単にいうと既存の枠組みの元で変化することを一次的変化(First-Order Change)、また既存の枠組みを超えて変化することを二次的変化(Second-Order Change)と規定しています。

 つまり、コーチングであってもセラピーであっても単純なプラス、マイナスの問題ではなく、既存の枠組みの元での変化であれば、その変化は限定的であり、既存の枠組みを超えた変化であれば、大きく変化するということになってくるわけです。

 例えば、セラピーでマイナスがリニアな直線を描いてゼロに近づくわけではなく、枠組みを超えた大きな変化が起これば症状は大きく改善されるし、枠組みを超えた変化でなければその改善は限定的だというわけです。もちろん、これはコーチングにも当てはまって、枠組みを超えなければ、過去の延長になってその変化は限定的であり、枠組みを超えれば、過去に囚われない大きな変化が起こるという具合です。

 それで、ベイトソン、ウォツラィック、ヘイリー等の著作を見ると、心理療法家のミルトン・エリクソンの技法が、既存の枠組みを超えて新しい自己認識を得る、禅の手法と対比して語られていることがあるわけですが、このあたりはこの人達がとても常人でないことを示しているようにも思えてくるわけです。まぁ、このあたりをオートポイエーシスに繋ぐと認知科学とも一気通貫になって定式化する時もものすごく都合が良いわけですけれども(笑)。

(参考)

(つづく)

文献
N/A

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2013年7月23日火曜日

ミルトン・エリクソン関連書籍:キンドル版



 心理療法家のミルトン・エリクソンに対する個人的なイメージは「同時通訳者」。

この前提として、普段、私たちは、「意識の世界のロジック」偏重でコミュニケーションしているように思います。例えば、ロジカル・シンキングとか・・・

もちろん、世の中理屈だけで回るのだったら苦労はしない・・・ということになってくるわけですが、感覚や気持といった何となくの世界つまり「無意識の世界のロジック」も考えておかないと思わぬ抵抗にあったりするわけです。

で、エリクソンは、意識ではわからなくても無意識ではわかる・・・のようなエリクソン自身の活用した言語パターンでも表現されるように、「意識の世界のロジック」を「無意識の世界のロジック」にとても正確かつ、精緻に翻訳して対話し、抵抗を抑え、そして何となくの感覚や気持すら、課題の解決の資源として利用することを促してくれる「同時通訳者」のように思えてくるわけです。

例えば、エリクソンは意図的にコミュニケーションの粒度を狙い通りに粗くして、意図的に曖昧な表現でクライアントとおしゃべりしていたりするわけです。しかし、表面的に曖昧な言葉を捉えて、エリクソンがいい加減なことをやっていると考えるとものごとの本質を見誤ることにもなってきます。

つまり、エッセーやクライントとの会話から垣間見えるエリクソンがとてもロジカルな人で、当然、「意識の世界のロジック」と「意識の世界のロジック」の橋渡しはロジカルに行われていたということになるわけです。

エリクソンの会話の「内容(コンテンツ)」は非常に曖昧なものに変わっていたりするわけですが、「意識の世界のロジック」を「無意識の世界のロジック」に変換するという「プロセス」はとてもロジカルに行われていることが分かってくるわけです。

それで、流石に博士号を持っているエリクソンの弟子達は、「意識の世界のロジック」を「無意識の世界のロジック」にロジカルに変換できる人たちということになるのだと思いますが、それを忘れてしまうと、単なるスピリチュアル系のとても痛い人・・・ということになるのがある意味エリクソニアン・アプローチの「バカ発見器」的で面白いところなのでしょう。(笑)

逆に言うとエリクソニアン・アプローチを学ぶことの一つは、「意識の世界のロジック」と「無意識の世界のロジック」をどう橋渡ししているのか?そのロジックを学ぶということだとも思うわけです。

 独り言


エリクソニアン・アプローチ系の本のキンドル版

 ハード・カバーで読むのか?電子書籍で読むのか?と問われると、エリクソニアン・アプローチで言う Either or のの質問ということになって、「どちらか一つを選ばなければならないの?」と二者択一のようになってしまうわけですが、ここではそういった二択が目的ではないことは言うまでもありません。

 エリクソニアン・アプローチの本はハード・カバーでは入手し難いものも多いため、キンドル版が出るというのは研究者や愛好家からすれば非常にありがたいところでもあるわけです。

 それで、最近、ミルトン・エリクソンの弟子たちの著作がキンドル版になって発売されたようなので少しご紹介しておきましょう。

 一冊目は、ジェフリー・ザイク著「Experiencing Erikson: Introduction to the Man and His Work [1] Amazonの紹介にもあるように、3篇の小論文とエリクソン-ザイクの対談集が掲載されています。

  二冊目は、スティーブン・ギリガン著「Therapeutic Trances: The Co-Operation Principle In Ericksonian Hypnotherapy[2]本書は個人的には座右の書になっているわけですが、何がエリクソン・アプローチで何がそうでないか?が非常に分かりやすく書かれており、個人的には非常にお薦めの1冊です。


 三冊目は、同じザイクとスティーブ・ランクトン編集の「Developing Ericksonian Therapy: A State Of The Art[3]ハード・カバーだとp.500以上あるので結構読むのが大変なのですが、エリクソンの論文集をザイクとランクトンがまとめた・・・という形式になっています。


  それで、このあたりの著作を読むと、エリクソンはその技法について暗黙知しか残していないため形式知化されたフレームワークや言語パターンなどは後の弟子たちによって形式知化されたという構図がここにあるわけですが、少なくともエリクソンは何らかのロジックに基づいてその技法を使っていたということが分かるのは面白い発見のように思ってきます。

余談ですが、もちろん、エリクソニアンであれば、Both and のアプローチで二択を避けるというのもあるため、ハード・カバーとキンドル版の両方を持っていても良いのだろうなぁと思っているところでもあるわけです。(笑)

(つづく)

文献

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2013年7月22日月曜日

マインドマップを一般意味論のロジックで書いてみる



マインドマップでセルフ・コーチングを行う時のことを考えてみましょう。

この場合、目的は色々あると思うのですが、重要なものの一つは、自分の認識の制限に気づき、新しい枠組みで効果的に行動する習慣めいたものを身につけるということでしょうから、ありていに言うと、知覚や認識の補助線としてマインドマップを使って何らかの気づきを得たり、認識や行動を変化させたりするロジックが必要だと思うわけです。

それで、元々マインドマップは一般意味論をベースにつくられているわけですから、書き方のお作法はそのまま継承するとして、裏では一般意味論のロジックを回そう・・・というのは誰でも考えつくことでしょうかねぇ(笑)。

慣れればそう面倒でもないのですが、個人的にはマインドマップを書く時に裏で一般意味論のロジックを回してセルフ・コーチング・モードでやってみたりしているわけですが実はこれが中々恰好良い感じなのですよねぇ。(笑)
 
 独り言


マインドマップを一般意味論のロジックで書いてみる

 英語版の Wikipedia Mind Mapの項目に以下のような記述があります。[1]

(翻訳は適当)
Buzan says the idea was inspired by Alfred Korzybski's general semantics as popularized in science fiction novels, such as those of Robert A. Heinlein and A.E. van Vogt. Buzan argues that while "traditional" outlines force readers to scan left to right and top to bottom, readers actually tend to scan the entire page in a non-linear fashion.

ブザンは、ロバート.A.ヘインレインや A.E.ヴァン・ヴォットのようなコージブスキーの一般意味論が取り込まれている一般に普及しているSF小説に刺激を受けてマインドマップのアイディアを思いついたと言っている。・・・・・・


 個人的にはマインドマップは、一般意味論の構造微分モデルを水平展開した図と考えているので、じゃぁ、マインドマップを一般意味論のロジックで書いたらどうなるのか?というのは非常に興味のあるところです。

 もちろん、トニー・ブザン氏の唱えるマインドマップの書き方のステップ[2]を無視するつもりもないのですが、書き方のお作法としてはこれを継承するにしても、ブランチを構造化する時には一般意味論のロジックを使ってみるのは非常に面白いと、個人的には考えています。

 で、このあたりを解説すると1冊本が書けそうなくらいの分量になると思うわけですが、とりあえずロジックのところだけ書いておくと以下の表のようになります。



 後は、これに言語のリフレーミングのパターンがあれば大体網羅できていますねぇ。もっともこの部分は「抽象過程への自覚」と「Etc.」だけあれば良いのかもしれないけれど。 
 
(つづく)

文献

http://communication.ucsd.edu/_files/Berman%20-%20Advanced%20General%20Semantics%20Workbook%20Part%202.pdf (参考)

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com