2013年10月31日木曜日

一般意味論:(パーソナル)タイム・バインディング



 人は自分が実際に経験したこと、他の人から聞いたこと、テレビや新聞から得た知識、これらをごっちゃにして自分の経験として取り込んでしまう生き物のようにも思ってきます。

 実際に新橋あたりの居酒屋でくだをまいて「坂本龍馬は良い男だった」といっているおっさんに「あなたの龍馬は誰の龍馬?」と聞くと、大体はテレビ番組や小説の受け売りだったりするわけです・・・・

 もちろん、一般意味論でコージブスキーが「抽象過程への自覚」が言っていることが指すひとつのことは、実際に経験したこと、他人から聞いたこと、テレビや新聞から得た知識、つまり、一次経験から得た情報と二次経験から得た情報の区別を付けてみましょう・・・・あるいは、時系列的に具体的な情報が抽象化されていくプロセス自体を一度メタ認知してみましょう・・・・と言っていることなのですよねぇ・・・・

 独り言


経験が時系列的に抽象化されて一般的な枠組みになったプロセス自覚してみる・・

一般意味論の中の概念にタイム・バインディング (Time-Binding)[1][2]という概念があります。一般意味論の本来の概念からすると「人は(経験を抽象化した)言葉や記号を通じて、自分自身の物理的な時間や空間の制限を越えて情報を伝えることができる」という概念を指しています。

例えば、情報の送り手からすれば、何百年もの未来に読まれることを想定して文章を書くことが出来るということになるでしょう。これには、タイムカプセル、あるいは時代を越えて伝わる書籍などがこれにあたるわけです。個人的には某博物館が設立される時に書いたシステムの調達仕様書が500年後に読まれて、未来の人間が「平成の職人って江戸時代の宮大工に比べると随分手抜きだよねぇ・・・」などと言われると嫌だなぁと思って仕事をしていたことを思い出すわけでもあります(笑)。

一方、情報の受け手からすると、何百年前にも書かれた、古文書や歴史書を通じて(編集者の作為を感じながらも)ある程度伺い知ることが出来るということになってくるわけです。

また、タイム・バインディングは個人の経験を形作る上も重要な役割を果たしているというもの一般意味論の見解ということになってきます。

これについて、犬について考えてみると人の違いも分かってくることになります。当然、犬は自分たちのご先祖の経験を古文書で残していませんし、未来についてどうなるのか?といったことは想像していないでしょう。

さらに、文字を使って抽象的な思考のできない、犬の個人的(個犬的)な経験に踏み込むとしましょう。例えば、蜂にさされて痛い思いをしたということがある犬は、この経験から、今ココで蜂を見ると痛い思いをした経験が蘇って何らかの反応(一般意味論で言う意味反応 Semantic Reactions)を起こすことになります。例えば、怖がるとか逃げるとか。

しかし、犬は抽象的な思考が出来ないため、「そのカドを曲がった時に蜂が出てきたらどうしよう?」とか「将来蜂に刺されたら嫌だなぁ」というように想像力を働かせてそのイマジネーションを対象に怖がるということが出来ないことを意味しているわけです。つまり、今ココで起こっている事実に対して何らかの反応は出来るけれども、起こっていないことを想像して何らかの反応をすることは苦手と言っても良いでしょう。だから飼い犬は「将来ご主人様がリストラされて、僕も家から追い出されたらどうしよう?」とは考えることが出来ない、ある意味得な性格でもあるわけです。

もちろん反対に、人は「そのカドを曲がった時に蜂が出てきたらどうしよう?」とか「将来蜂に刺されたら嫌だなぁ」というように、今ココでは起きていないことについて、それを想像しただけで、(コトバが関連する抽象的なスキーマのようなものが動作して)実際にそれが起こった時と同じような意味反応のパターンが形成されるということになってくるわけです。

もちろん、これは未来のリスクを未然に防ぐことに役に立っていることもあれば、確率的にはほとんど起こりそうに無いことについて過度に心配するというようなことにつながってくることにもなるわけです。

 それで、一般意味論の特に(パーソナルな)タイム・バインディングで言っているのは、色々な経験を通して、確立されたスキーマによる不都合な意味反応を変化させるために、1)時系列的にいくつかの経験を再体験して、2)一次経験と二次経験の区別をつける、3)スキーマがつくられる時の情報の抽象化のプロセスを自覚する、これをやってみましょう・・・・・と言っていることになるわけです。

余談ですが、心理療法家のミルトン・エリクソンなども一般意味論をひとつのモノサシとしてその技法を観察すると、タイム・バインディングの理論を応用したスキーマとか意味反応の再構築をやっていることが分かってくることになるわけです・・・・・・が、これが分かっていないと単なる怪しいおじさんと思われてしまうのもまた面白いところでもあるのでしょう・・・・・


(つづく)

文献
[2]http://www.generalsemantics.org/wp-content/uploads/2011/05/articles/etc/66-1-practicing-conscious-time-binding-by-milton-dawes.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年10月30日水曜日

変化のための言葉づかい



  2007年にポール・ウォツラウィック博士は85歳で逝去されてしまったのだけれど、やはり彼の研究は金字塔として残っていくのだと思うわけです・・・・・・

 独り言


変化を起こすためには変化の言葉を使いましょう

別に心理療法のコンテクストだけではないけれど、企業のチェンジ・マネジメントのような状況でもこれは理解しておかないとそもそも話にならないとことになってくるように思います。

それで、カリフォルニア州パロアルトのMRIの研究員であったポール・ウォツラウィック博士の「The Language of Change: Elements of Therapeutic Communication[1]を久しぶりに読み返していたわけですが、やはりこの本はコンパクトながら非常によくまとまっているように思ってくるわけです。



 簡単に言うと、心理療法家のミルトン・エリクソンが使っていた変化の言葉のようなものを体系的に説明されているわけです。それで、クライアントの(第二次)変化を支援することを考えた場合、セラピストはどのようなメッセージとメタ・メッセージを送れば良いのか? 特に相手の無意識に解釈されるメタ・メッセージをどのように送れば良いのか? そのお作法や文法について書かれているというのが本書の特徴でもあると思います。

 もちろん、こういった著作を読んでいると、ロジカル・シンキングのように知覚・認識される対象をなんでも意識することで何とかなる、理詰めで考えそして施策を実行すれば問題は解決に向かう、といった考え方に非常に限界を感じてしまうところでもわるわけですが、逆にそうでないやり方もあるという意味では非常に参考なる著作のようにも思えてくるわけです。

(つづく)

文献
[1] http://www.amazon.com/dp/0393310205/

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年10月29日火曜日

コージブスキーとマクルーハンをつなぐもの



  物事Aと物事Bの関係性を考えた時、この間にどんな関係があるのか?を考えるのがシステム思考のひとつの要件だというわけです。

  では、この関係性をどのように記述しようか?と考えた時に、そうだ関係性自体をシステム論を使って記述しちゃいましょう・・・というところがこのエッセーの凄く面白いところでしょうかねぇ?(笑)

 独り言


関係性自体をシステム論的に記述する

ネットに「Korzybski, Luhmann, and McLuhan[1]というエッセーが転がっていて、ひとりで面白がって読んでいたのですが、かなり面白いエッセーです。

ここでは、まず、一般意味論の創始者であるアルフレド・コージブスキーの物事を認識する時の「抽象過程への自覚」というのが取り上げられていて、要は、人が物事を認識する時に五感から入力し、表象がつくられ、言葉のラベリングが行われ、抽象的な概念と物事が理解されていくというようなプロセスが存在しています。

まさ、さらに、マクルーハンは「メディアはメッセージである」の言葉通りに、メディア時代が物事を伝える媒体である前にプロセスであり、そのメディア自体に何らかのメッセージを含んでいると提唱した人でもあるわけです。

それで、この著者の人はこの2人の言っていることの間にどのような関係があるのか?と問いを立て、基本はニクラス・ルーマンの社会システム論を使って、このギャップを説明していくという非常にスリリングな感じになってくるわけです。

もちろん、ここでルーマンの社会システム論がいきなり出てくるわけではなくて、最初にノーバート・ウィーナーのサイバネティクスが出てきて、これから短期療法の理論的背景ともなっているグレゴリー・ベイトソンやポール・ウォツラウィックなどの第二次サイバネティクス系の話が出てきて、ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラが出てきてオートポイエーシスの話になってきて、やっとニクラス・ルーマンの社会システム論につながるといった、システム論の経緯を追ったお話になってきます。

そうやって考えると、実はコージブスキーとマクルーハンのギャップを埋めるというのは単なるシステム論の発展の説明をするためのネタじゃないか?とも考えるわけですが、個人的にはこれはこれで面白いので、良いのではないかとも思ったところだったわけです・・・・・。

(つづく)

文献
[1]http://www.media-ecology.org/publications/MEA_proceedings/v11/5.%20Strate.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年10月28日月曜日

ミルトン・エリクソン1978年のデモンストレーション



 ミルトン・エリクソンの技法を観察するためには、まず、どういった視点でこれを観察するのか?ということが非常に重要になってくると思います。

 そして、次にサイバネティクス的な視点からクライアントとセラピストの間でどのようなメッセージとメタ・メッセージがやりとりされているのか?・・・・・・これを観察することが非常に重要なのだろうなとも思ってくるわけです。

 まぁ、実際には心理療法を行っているエリクソンと観察しているベイトソンのような視点の両方が分かってはじめてエリクソンが理解できた・・・ということになるのでしょうし、「催眠バカ」みたいなところを越えて、仕事や日常生活の色々な場面に応用できるようになるのでしょうから・・・・・
 
 独り言


エリクソニアン・アプローチのデモンストレーション

心理療法家のミルトン・エリクソンの晩年に近い1978年(エリクソンは1980年に逝去)に撮影されたエリクソニアン・アプローチのデモンストレーションが Youtubeにアップロードされていたのでこれをご紹介しておきましょう。



タイトルは、「Now, You Wanted a Trance Demonstrated Today」。内容は、タイトル通りにエリクソンの技法のデモンストレーションというわけですが、以下のような内容になっています。

·        ディソシエーション(メタ認知のモードへの誘導)
·        直接暗示/間接暗示 それぞれの違い
·        深化
·        腕浮遊
·        年齢退行
·        肯定的/否定的 幻覚
·        /体の分離
·        健忘/記憶増進

それで、個人的には以下の本に書いてあったことを確認するような位置付けにもなっているわけです。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/07/blog-post_21.html

 で、途中で、ウィツツェンホファーやヒルガードの名前が出てきて、思わず
(・∀・)ニヤニヤしてしまう場面もあるわけですが、非常に良く出来たデモンストレーションのようにも思えてくるわけです。

それで、サイバネティクス的には観察している観察者としての自分の視点をしっかりつくりこんで、さらに、エリクソンとクライアントの間でどのようなコミュニケーションが成立しているのだろうか?とベイトソンがやったみたいに認識論的なシステム論に還元しながら観察してみるのがエリクソンを理解するための近道なのだろうなぁ・・・・と色々試行錯誤しながら観察していたわけです・・・・・・

(参考)

(つづく)

文献
N/A


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年10月27日日曜日

クリティカル・シンキングとE-Prime(一般意味論)



 クリティカル・シンキングとひと口に言っても、生身の人間が自分の神経を使ってやるわけですし、特に、五感の感覚を言語化するプロセスにおいて何らかのバイアスがかかる落とし穴がてんこ盛りになっているわけであり、五感→言語→概念のような抽象化、反対に、概念→言語→五感、のような具体化のプロセスにおいてバイアスがかからないようにすることは一苦労というわけです。

で、ここでのポイントは「あまりのも早く一般化しない」ためのテクニック、あるいは「概念的なことをきちんと五感の感覚の事実として認識する」技法としてアルフレッド・コージブスキーの創始した一般意味論の概念としての E-Prime が示されているわけですが、日本語でやってみてもきちんと当てはまるのが非常に面白いところなのだろうなぁ・・・と考えているところだったわけです・・・・まぁ、ひと口にクリティカル・シンキングと言っても人の認知のプロセスについて考えておかないと上手くいかないというわけですねぇ(笑)。

 独り言


五感の感覚で事実を描写することから始めるのは案外重要かも・・・

10年くらい前からビジネス・パーソンの間でクリティカル・シンキング[1]と呼ばれるような方法論が流行っている!?イメージがあるのですが、個人的にはこれが中々曲者のように思ってきます。

クリティカル・シンキングを行う場合、まず、事実をじっくり観察し、それの事実から正しい推論を行って一般的な法則を導く、といった思考プロセスを回す必要があるわけですが、自分の持っている一般的な知識から、観察した事実や現象をあまりにも早く一般化してしまうと、そこに含まれる何か重要な事実を見逃してしまう恐れがあるといったことになるわけです。

それで、アルフレッド・コージブスキーの創始した一般意味論の概念の中に E-Prime という概念が存在しています。これは 物事を表現する場合 TO-BEのような BE動詞を廃して、事実を、目で見て、耳で聞いて、感じた・・・といった五感で観察した動詞で表現しましょうという概念ですが、実際に TO-BEを止めて E-Prime で表現すると面白いことが分かるのも事実のように思えてくるわけです。

それで、「TO BE OR NOT TO BE:E-Prime As a Tools for Critical Thinking[2]という一般意味論の E-Prime をクリティカル・シンキングのツールとして使おうというタイトルのエッセーを読んでいたわけですが、この中から少しこの概念をご紹介しておきましょう。

それで、TO-BEの使い方には以下の2つが示されています。

·        名詞句1 + TO-BE + 名詞句2  (アイデンティティ)
·        名詞句 1  + TO-BE + 形容詞句 2 (叙述)

それで、特に重要なのが(アイデンティティ)のほうですがこのエッセーでは以下のような例が示されています。

·        彼は農家だ

もちろん、これは「あまりにも早く一般化」、あるいは世間一般言うところのレッテル貼りがなされているようなところがあるので、実際には E-Prime を使って

·        3エイカーの狭い土地を耕して暮らしている (ところを見せてもらった)
·        2000エイカーの土地を保有していて自分で耕作している(と本人か聞いた)
·        国から補助金をもらって何も実際は何もしていない(と本人から聞いた)

のように表現してみる必要があるという具合です。

上の表現を読むとひと口に「農家」といってもそこには一般化される前の色々な事実が存在しているわけであり、単に「農家」というキーワードでクリティカル・シンキングをはじめてしまうと議論がトンデモ方向に言ってしまうこともあるということになるわけです。

もちろん、余談として、あえて相手を混乱させるような方向として心理療法家のミルトン・エリクソンは BE 動詞を使い話の抽象度を上げて ( Is of Identity)でおしゃべりするようなこともあるわけですが、まずは、E-Prime を使って自分が観察した事実を五感の言葉で正確に表現してみるのは非常に重要なことのように思えてくるわけです。

(参考)
http://ori-japan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_21.html

(つづく)

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com





2013年10月26日土曜日

組織パターン



 サンタ・クルーズに行く用事があって、ダウンタウンの古本屋さんで、UCサンタ・クルーズの先生もやっていた人類学者グレゴリー・ベイトソンの処女作「Naven(ナヴェン)」を買ったわけです。

この本は、ニューギニアのイアトムル族についてのフィールドワークで、この村は100人くらいの(非中央集権の)集落で維持されているわけですが、それぞれの村々が統合したり分裂したりして大きくなったりするのを決めているのはなんだろうなぁ?と疑問に思ったベイトソンが「ナヴェン」という司祭に注目し、人と人との関係性を類型的に1)シンメトリー、2)コンプリメンタリー 3)レシプロカル、(4.メタ・コンプリメンタリー)と取り出していることになるわけです。

それで、このあたりの関係性について類型が MRIあたりのコミュニケーション学派と言われるような家族療法の一派の基本となる理論となっていくわけですが・・・・・個人的には、こういった理論はプロジェクトなどのチーム・マネジメントに有効なのだよなぁ・・・・と思っているところだったわけです。もちろん、これを無視すると必ず崩壊する組織みたいなのも簡単に組めちゃうので要注意なのですけれどねぇ(笑)。

 独り言


組織パターン

 英語版の原著2004年なので少し古いのですが、アジャイル開発の「組織パターン」[1]というのを読んでみたわけですが、凄い本の日本語版がでたなぁーと思って読んでいたわけです。

 それで、プロジェクト・マネジメントの支援をやっていたりするとひとつ思うことがあります。それは、お客さんなりIT会社のプロジェクトの組織が、それぞれの会社の(階層的な役職にこだわった)組織を引きずった形式になってしまって目的や状況に応じたチーム編成が難しかったりするわけです。

でも、ここで逆の疑問も浮かんでくるわけです、こういった階層的な組織から切り離されて「ある程度自由にチーム編成をしてもよいよ」という状況になった時に一体何をよりどころにこれを行うのか?というわけです。もちろん、個人的にはベイトソン流でやるところなのですが、目的や状況に応じて何かのパターンを求めるとしたらどうなるのか?の答えが「組織パターン」というわけです。

個人的にはここまでくると、「アジャイルをやる時はアドバイザーに最低1人、人類学専攻の人間を入れること」みたいなルールがそのうちできるのではないか?と想像してみたりするわけですが、発想としては非常に格好のよい「組織のパターン」が提供されていることになります。もちろん、分かりやすくするためにプロセスではなくて、コンテンツが入ってしまっているところはありますけれど・・・・・・・


(つづく)

文献
[3] http://www.narberthpa.com/Bale/lsbale_dop/gbcatsbs.pdf (参考)

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年10月25日金曜日

ベイトソンとエリクソンとMRIの誕生



 自分の経験から、芸術とも言える心理療法を発展させたミルトン・エリクソン。サイバネティクス的知見を持込み認識論に還元するという科学的手法でエリクソンの技法を徹底的に観察したグレゴリー・ベイトソン。

1958年のカリフォルニア州パロアルトでのこと、この2人が出会うことで短期療法が産声を上げた瞬間の映像・・・・がこれ、Jazzの帝王マイルス・デイビスの「クールの誕生」ではないけれどもMRIが誕生した瞬間のようにも思えてきます・・・・もちろん、エリクソンとベイトソンはもっと以前からの知り合いだけれども・・・・

 独り言


1958年MRIの誕生

 Youtube に心理療法家のミルトン・エリクソンの心理セッションの模様がアップされていたのでご紹介しておきましょう。

   それで、今日は物事を観察する視点の重要さというところについて少し書いておきましょう。


 冒頭のキャプションにあるように、この映像は1958年にカリフォルニア州パロアルトで撮影されたものです。1958年のパロアルトと言えば、ドン・ジャクソンによって心理療法の研究機関であるMRI[1]が設立された年でもあり、この映像のキャプションにも登場するジョン・ウィークランド、グレゴリー・ベイトソンが所属したことでも知られています。

 それでマントルピースの前に置かれた椅子にクライアントの若い男と並んでに登場するミルトン・エリクソンは、この男性の鬱状態を改善すべくセッションを行うことになるわけですが、この模様がエリクソンの次女のベティ・アリス・エリクソンらが編集した「Milton H. Erickson, M.D.: An American Healer[2]の中に収録されているのもご存知のとおりです。


 さて、サイバネティクス的見地でこの映像を解決すると少し複雑です。まず、クライアントである男性とエリクソンの間には、コミュニケーションとしてのループが存在しています。また、エリクソンとクライアントの見えるところにカメラが設置されており、ベイトソンがカメラマンの役割をしています。

 つまり、ここでエリクソンとクライアント、そしてベイトソンの間にまず小さなループとして見るものと見られるものとの関係が成立されていることになります。そこでベイトソンは主に、エリクソンとクライアントの関係性を観察していることになるわけです。

さらに、ジョン・ウィークランドらはワンウェイ・マジック・ミラーの後ろ側におり、大きなループつまり神の視点として、エリクソンとクライアントとの関係、エリクソン、クライアントとベイトソンとの関係を観察していることになります。



ここではカメラの視点とマジック・ミラー越しの視点の2つからベイトソンの言う二重記述[3]を行っていることになります。余談ですが、確か家族療法家のリン・ホフマンの著作にマジック・ミラー越しにセッション内容を観察して二重記述することで短期療法がものすごく発展した、みたいなことが書いてあった記憶があります・・・・・

 ここで、より詳細な話をすると、観察者の視点として、1)前提知識なしに観察してみる、2)語用論、統語論、意味論などのフレームワークを立てて観察してみる・・・・と色々やってみることになるでしょう・・・・・・そうすることで色々なことが分かってくるようにも思うわけです。

 それで、こういった手法でエリクソンを観察すると、エリクソンは非常にロジカルな人でなんらかのパターンにはまる再現性のある手法を使っていることも理解できてくるわけですが、上のように非常に凝った視点から観察することで短期療法が生まれてきた・・・というのは間違いないことなのでしょう・・・・・・

(参考)
http://ori-japan.blogspot.jp/2013/07/mri.html
http://ori-japan.blogspot.jp/2013/08/mri.html

(つづく)

文献
[2]http://www.amazon.co.jp/Milton-H-Erickson-M-D-American/dp/0918172551
[3]http://www.academia.edu/2060944/Circular_Questioning_as_a_Therapeutic_Tool_Theoretical_Basis_and_Application_to_Couple_Therapy
(参考)http://www.psychotherapy.com.au/fileadmin/site_files/pdfs/TheDoubleBindTheory.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年10月24日木曜日

システム思考のタクソノミー



 概念的な手法に文字のレッテルを貼って「システム思考」というと、何か万人の合意の元に確立された立派な手法がある、という印象を与えてしまうのですが、残念ながら「システム思考」というのはまだ発展途上で人によって言っていることが異なっているというのが実情のようです。

もっとも、こういった手法が確立されてしまっているというのは発展する余地が残されていないつまらない手法になってしまったということになるので、それはそれで面白くないのですけれどねぇ・・・・(笑)。

 独り言


システム思考のタクソノミー

 タクソノミーという概念があります。これは、元々は生物学において有機体どうしの関係を調べる学問分野を指しています。これは、動物を分類する時に、◯◯目、◯◯科、◯属、◯種で分類されるような手法です。

最近では、情報技術分野でも特定領域での構成要素の分類基準の意味で用いられることがあります。もっとも、一般的にはタクソノミーは中央集権的な学会のようなところが管理するので、これとは反対にITシステムの特性を活かしてボトムアップでくくりあげた分類として Web 2.0 フォークソノミーが提唱されていたのも記憶に新しいところです。

それで、これを前提として「What constitutes systems thinking ? A proposed taxonomy[1]というエッセーを読んでいたわけですが、これが非常に面白かったので少し書いておくことにしましょう。

要は、ひと口に「システム思考」といって研究者によって考えていることがまちまちになっているので、共通のタクソノミーをつくりましょうというのがこのエッセーのテーマなのですが、往々にして発展途上の方法論ではありがちなことなのだろうなぁ・・・と非常に微笑ましく読んでいたところだったわけです。

このエッセーによればシステム思考に含まれる要素の項目として

·        (要素間の)相互作用の認識
·        フィードバックの認識
·        (システムの)動的振る舞いの理解
·        流れと変数それぞれの類型の区別
·        概念モデルの利用
·        シミュレーション・モデルの制作
·        (システム)ポリシーのテスト

があげられています。

もちろん、システム思考によってはこういった要素がすべて含まれるということにはならないわけですが、少なくともシステム思考に含まれる要素とそのタクソノミーくらいはきちんと定義しておきましょうよ・・・というのがこのエッセーの要点のようです。


(つづく)

文献
[1]http://www.systemdynamics.org/conferences/2007/proceed/papers/STAVE210.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年10月23日水曜日

Thinking for a change



 システム思考をする時にはよい道具が必要なのは言うまでもありません。板前さんが使うよい包丁のような・・・・

 で、さらに、システム思考をするって、板前さんが生きている魚を三枚におろした後もその魚が生きていて泳ぐことができるみたいな包丁さばきが必要なのですよねぇ・・・・なぜなら、要素還元主義に陥りやすい道具を(そのコンテクストで)問題が死なないようなやり方で使わなければいけなのがシステム思考ですからねぇ・・・・・(笑)

 独り言


Thinking for a Change

 数年前、カリフォルニアに出張した時のこと、シンガポール在住の MBA ホルダーの中華系の人と色々話していた時、彼が面白いことをいっていた記憶が蘇ります。

「ピーター・センゲの Fifth Discipline はこっちでも売れたけれど、実際に実践している企業はどれくらいあるのかなぁ? システム・アーキタイプって実際に使うと結構難しいのだよねぇ・・・・」

「そうそう、あれだとレバレッジ・ポイントを見つけるのに結構手間がかかって難しいのだよねぇ・・・」とおいら。一応会話は英語(笑)。

それで、確かに、センゲのシステム・アーキタイプって経営者のおじいちゃんとかに見せて概要を説明するにはよいけれども、実際に現場のレベルで使うにはちょっと使い勝手が悪いように思ってきます。

それで、結構、こなれていて現場レベルでもきちんと使えるシステム思考の道具は何か? ひとつはリサ・シェインコフ女史の書いた「Thinking for a Change[1]だと個人的には思っています。もちろん、この本はTOCの思考プロセスの本ですが・・・


  で、久しぶりに自分で保有している「Thinking for a change」を再読していたわけですが、この本はシステム論で言えばベルタランフィの一般システム論レベルの話で、特に「物理的なモノの流れ」とそれを既定している「論理的なルール」に着目して使うような形式になっているので、分かりやすいと言えば分かりやすいのですよねぇ・・・・・

おまけ

(つづく)

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com





2013年10月22日火曜日

システムズ・アプローチ事始め



 個人的にシステムズ・アプローチを知ったのはたしか小学生か中学生の頃、糸川英夫博士の「逆転の発想」を読んだのがきっかけだなぁ・・・(笑)

 で2011年にこの本が復刻されていたなぁ・・・・・・

 独り言


問題はシステムズ・アプローチで解決する

  個人的にシステムズ・アプローチというものをしったのは随分前です。そのきっかけは糸川英夫博士の「逆転の発想(1974)[1]を読んだ時だったと記憶しています。で、1974年版の本は実家の本棚にあったはず(笑)。


それで、この本の中に以下のような玄関に靴を脱ぎ散らかす女の子とその習慣を何とかしようという母親の話が出てきます。で、目的は行動に「変化」をもたらすこと。


 母親が「女の子は、女の子らしくしなさい。ちゃんと靴をそろえて、家にお上がりなさい!」といって、パチンと女の子のお尻をたたきました。このような力の行使を試みますが、うまく行きません。文房具店からチョークを買って来ました。チョークで女の子の靴と全く同じ足跡を書いて「今度から家に上がる時は、この足跡の上に靴をのせてごらん。」と女の子に言ったところ面白がって、今度は靴の跡の上に脱ぐようになりました。さらには、チョークの跡が消えた後も、靴をキチンと脱ぐ習慣がそのまま消えずに残って定着してしまったとの事です。



それで、ここでのポイントは、「世の中における問題や課題というのはシステムとして解決しなければならない」というのが本書全般にわたる故糸川英夫博士のメッセージだったと記憶しているわけです。

さらに、「糸川英夫の創造性組織工学講座(1993)[2]も愛読書となっているわけですが、手元にあるこの本を読み返してみると出版から既に20年も経っていることに気がつくわけです。もちろん、今読むと、複雑系でもオートポイエーシスでもない単なるシステム工学なので凄く理解し易いのですけれどねぇ・・・・


 余談ですが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」で零式艦上戦闘機の設計者である堀越二郎氏が注目されているわけですが、個人的にはやっぱり、一式戦闘機(隼)、弐式戦闘機(鍾馗)の設計者である糸川英夫派なのですよねぇ。蝶型空戦フラップとか・・・・(笑)。

(つづく)

文献
[2] http://www.amazon.co.jp/dp/4833414813/

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com