2013年11月30日土曜日

コーチングにおけるパラドクス介入と倫理性



 コーチングの倫理規定の難しさは、パラドクス介入(現在の課題であるダブル・バインドに別のダブル・バインドをぶつけるようは介入)とか難行苦行が論理的にどこまでなら許されるのか?

という課題なのですよねぇ。時に、こういった介入が奇想天外なこともあるわけですが(笑)。

 で、ここで言っているコーチングは、心理療法家のミルトン・エリクソンから派生する短期療法の技法を踏襲していますが・・・・・

ひとり言


コーチングにおけるパラドクス介入と倫理性

 今日は、コーチングと倫理規定について書いておきましょう。

 ここでは、通常コーチングで言われているように「クライアントの秘密は厳守しましょう」といった当たり前のことを強調したいわけではありません。例えば、クライアントとのセッションの内容を許可無くブログに書いたりしない、とかクライアントの利益に反することを無理強いしない、というのは当たり前のことで、これを守っていないとしたら単なるアホだから。

 さて、本題へ、ここで前提とするのは、以下のリンクでも書いたように、クライアントの認識や行動がMRIのポール・ウォツラウィックの言うように第二次変化を起こすには、やはりパラドクスが必要なことと関係してきます。

 つまり、比喩ですが、会社の次期後継者と見なされる有能の人材が子会社へ出向させられて子会社の立て直しを命じられるとか、知らない土地で工場をたち上げてこい、と言われるような、今までの枠組みを突破するための(場合によってはパラドクスをともなった)難行苦行チックな課題が必要ということになるわけです(笑)。もちろん、クライアントが今抱えている課題がダブル・バインド的にどん詰まりの状態であれば、今後の認や行動が第二次変化する要件としては言うことなし、となってきます。


 例えば、以下のリンクで書いたように、ミルトン・エリクソンがアルコール依存症の人に介入した例。一滴も飲むなではなく、奥さんがボトルを言えのどこかに隠して、1時間以内に夫がそれを見つけることが出来なければ、依存症の奥さんはボトルを全部開けても良い、と言っているけれども、ここでのテーマは、このような介入方法が倫理的に O.K.なのか? あるいは、この夫婦は釣りに行くのが大嫌いだと分かっているわけですが、そこにあえて「釣りに行きなさい」と命じるのは倫理的なのか? そういう非常に微妙なお話しになってくるわけです。


 これと同じような話でシドニー・ローゼンの著作の中に、以下のような話がありました。

病気のために退職した警察官が私(ミルトン・エリクソン)に言いました。
「私は肺気腫もあるし高血圧もあるし見ての通り太りすぎだ。飲み過ぎるし食べ過ぎる。
仕事に就きたいが病気のせいでできない。タバコも減らしてやめたい。1日にウィスキー1瓶飲むのもやめたい。私は分別を持って食べたいんだ」

私は「結婚しているのですか?」と尋ねました。
彼は「いや、独身だ。いつもは自分で料理をしているんだが
街角に手頃なレストランがあってよく行くんだ」と答えました。
「なるほど。街角に食事のできる手頃なレストランがあるわけですね。タバコはどこで買うのですか?」
彼は一度に2カートン(20箱)買っていました。
私は「まあ言い換えると、あなたは今日の分だけでなく明日以降の分まで買うわけですね。料理も自分でするということですが買い物はどこでするのですか?」と尋ねました。

「運のいいことに街角に小さな食料品店があってそこで材料やタバコを買うのさ」
「お酒はどこで買うのですか?」
「運のいいことに、食料品店のちょうど隣にいい酒屋があるんだよ」
「そうすると街角に手頃なレストランと食料品店と酒屋があるのですね。少し走りたいと思ってもできませんね。あなたの問題は非常に簡単です。走りたくても走れない。でも歩くことならできますね。よろしい、タバコは町まで歩いて買いに行き1回に1箱にしなさい。食料品も街角で買わず半マイルか1マイル(1.6km)歩いて別の店に行き毎食ごとに必要な量を買いなさい。これで1日3回は散歩ができます。お酒は欲しいだけ飲んでも構いません。1杯目は少なくとも1マイル先のバーで2杯目が欲しければもう1マイル先のバーで飲みなさい。3杯目が欲しければさらにもう1マイル離れた別のバーを探しなさい」

彼は私をにらみつけ、口汚くののしり、大変怒って立ち去りました。1ヵ月後、新しい患者がやってきました。

彼は「退職した警官があなたの事を教えてくれました。彼はあなたの事を、自分が何をすべきかを知っていた唯一の精神科医だと言っていました」と言いました。
例の警官はその後、タバコを1カートン買うことはできなくなりました!

そして、食料品店まで歩くことは意識的な行動であるとわかったのです。自分でコントロールしたのです。さて、私は彼から食べ物もタバコも酒も取り上げませんでした。
私は歩く機会を与えただけです。


これも、ある意味、パラドクス介入になっていて、クライアントは課題を与えられた直後に怒りだしているということがあります。しかし、クライアントは自分の意志でコントロール可能が行動をコントロールした結果、タバコとアルコール依存症、そして過食からも抜け出すことに成功しているというところがあるわけです。

 それで、再度、本題に戻って「パラドクス介入や難行苦行はどこまでが倫理的か?」、実はこの問題は非常に深い話になってくるのだと思います。

(参考)
(つづく)

文献
N/A


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com




2013年11月29日金曜日

一般意味論ベースのコーチングの質問



 ラポールは既に構築されているとして、コーチがクライアントに聴くのは、注目している意味反応についてのクライアントの内的情報処理のやり方。それで基本的にクライアントが外的出来事を内的にどのように知覚し、コトバのラベリングを行い、どのように推論し、どのように枠組みが適用されているか、どのように意味をつくっているのか、というプロセスを聴くことになるわけです。

で、もっと言うと、クライアントが課題だと思っていたり、もっと上手くやりたいと思っている、その内容(コンテンツ)については何でもよくて、むしろその時にクライアントの内的情報処理のやり方のプロセス(のパターン)に着目することのほうが何倍も重要だということになってくるわけです。

それで、クライアントにはそのプロセスを自覚してもらうことで、事実と解釈、行動の区別してもらって、その事実に対して、もっと良さそうだと思われるその他の解釈や行動が出来ることに気づいてもらうのが一般意味論をベースにしたコーチングの最初の一歩となってくるわけです。もちろん、それだけで恒久的な変化が起こるわけではないので、その後色々あるわけですが・・・・

ひとり言


情報の内容ではなく情報処理のプロセスについて質問する

 今日は、一般意味論ベースのコーチングの質問について書いておきましょう。[1]
 
一般意味論をベースにしたコーチングで、コーチは、基本的に認識論(Epistemology)に基づく質問を行います。


この基本形は、取り扱いたい事柄の臨場感を高めてイメージし、「あなたは何を知覚、認識していますか?」「どのように知覚、認識していますか?」そして、一般意味論的な拡張として「それをどのように評価しますか?あるいは、どんな意味がありますか?」というように一般意味論の構造微分(Structural Differential)[2]をなぞるような感じで情報処理プロセスの抽象度を上げながら質問していく形式になります。


さらに、一般意味論の創始者であるコージブスキーの言う「地図はそれが示す土地と同じではない」のとおりに、メタ認知の視点で、コトバや思考と五感で認識した事実の間に一端線を引いてみて、事実と解釈(意味)の間の区別をつけるような方向で質問するような格好になります。

これには、「何が事実ですか?」また、「何があなたの解釈や意見ですか?」と直接的な表現で質問する場合もあれば、心理療法家のミルトン・エリクソンのように間接的な表現で行う場合もあるでしょう。例えば、「あなたは、その出来事が起こっても、怒ることもできれば、うろたえることもできるし、もっと冷静で居ることもできます」というような具合です。

 それで、意味や評価をリフレーミングを支援し、そのことを行うための最適な心身状態になることも支援しつつ、今度は、情報の抽象度を下げながら、「その意味をもつことでどう反応が変化しますか?」「その時、あなたは何を知覚、認識していますか?」「どのように知覚、認識していますか?」のように質問していく形式になってくるわけです。



(つづく)

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com





2013年11月28日木曜日

一般意味論ベースのコーチングのプロセス



  良いコーチングって基本のプロセスは似ていると思うのですが、認知科学が発達する前の時代の産物としての一般意味論をベースにしたコーチングはかなりよく出来ているほうではないのかなぁ、と個人的には考えているわけです

ひとり言


一般意味論ベースのコーチングのプロセス

 今日は、一般意味論ベースのコーチングのプロセスを書いておきましょう。[1]
 まず、一般意味論が取り扱うのは意味反応です。人は出来事、コトバ、シンボルなどを表象し自分の中で意味をつくっている、と一般意味論では(表象主義にもとづき)仮定しています。それで、人は出来事、コトバ、シンボルに直接反応しているのではなく、それらから生まれた意味に反応していると考えるわけです。もちろん、逆の言い方をすると、出来事だけに直接反応していない、というのが人間のややこしいところでもあるわけです。

http://ori-japan.blogspot.jp/2013/11/blog-post_13.html

 それで、自分に不都合だと思われる意味反応を変える、あるいは好ましいと思われる意味反応を身につけるには、意味が構築される抽象化のプロセスを自覚して、「地図と領土」の区別、つまり「コトバと事実」の区別をつけることによって、その意味を変える必要がある、ということになってくるわけです。もちろん、以下のリンクからすると、原則的に・・・・ではありますが・・・・

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/12/blog-post_26.html

 それで、このプロセスを簡単に書いておくと以下のようになります。


(1)取り扱う意味反応を決める
(2)意味反応の場面を五感でイメージして臨場感を上げる
(3)それを知覚のコトバで表現する
(4)意味反応に遅れをつくる
(5)メタ認知して別の選択肢(あるいは資源・資質、リソース)を探す

この繰り返しとなります。

 もちろん、ここにソリューション・フォーカスト・アプローチのもとになっている第二次サイバネティクスの知見で考えると、このプロセスの場合、ほおっておくと Do Difference のネガティブ・フィードバックでプロセスを回すことになるわけですから、この場合は今ハマっているジレンマのパターンをきれいに崩せないと変化が難しいことになると思うわけです。

 で、逆に、最初は好ましくない意味反応から始まっても、何かしらのゴールを見つけ、そのゴールに対して上手くいくことをみつけて Do More のポジティブ・フィードバックで回すのが良いのだろうなと考えているところもあるわけです。

 後は、MRIのポール・ウォツラウィックのいうシステムの一部が変わる第一次変化とシステム全体が変わる第二次変化において、第二次変化を目指すのであれば、パラドクスやダブル・バインドをつかって今もっている枠組みをどうやってこえるのか?ということも大きな課題になってくるように思ってきます。



(つづく)

文献

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com





2013年11月27日水曜日

ネガティブ・フィードバックとポジティブ・フィードバック(再々考)



  このあたりは、完全サイバネティクスの世界になってきますねぇ。で、現在の枠組みを超えた成果を得るにはやはり、ある程度の精度で設定されたゴールに対してポジティブ・フィードバックで情報を認識して行動し続ける必要があるということになるわけですねぇ。要は、ブリーフセラピーの一流派であるソリューション・フォーカスト・アプローチでいう Do More(ゴールに対して上手くいっていることをもっとやれ、やり続けろ)という世界ですねぇ・・・・・

 もっとも、この場合、ポジティブ・フィードバックのやり過ぎでシステムが壊れるか?あるいは創発が起きてシステムが別次元の状態になるのか?は実際やってみないと分からないところが少し微妙ではあるのですけれど。(笑)

ひとり言


ポジティブ・フィードバックとネガティブ・フィードバック

 コーチングや心理療法のコンテクストで、ポジティブ・フィードバックは「相手を褒めること」ネガティブ・フィードバックは「叱ったり、耳の痛いことを言うこと」などと言われていることが多いのですが、やはりこの程度の理解だと単に常識の範囲で日常会話をしているような格好になってしまいます。だから、こんなことを言っているようじゃ、クライアントさんの思考や行動に恒久的な変化をもたらさないかなりヘッポコ・コーチの可能性が高いということになるわけです。

 それで、本当のところポジティブ・フィードバックとネガティブ・フィードバックはどうやるのか? 

 一つのポイントは人をシステムと考えるのが前提。また、元々の(第二次)サイバネティクスにおける定義を厳密に考えて、その人の設定したゴールに対して行動主義的な事実にもとづいてフィードバックをどのように行うのか?考える必要があるわけです。

それで、ベイトソン関連のサイバネティクス+社会科学+行動主義について書かれた「GREGORY BATESON, CYBERNETICS,AND THE SOCIAL/BEHAVIORAL SCIENCES」[1]というタイトルのエッセーの中に以下のような定義が存在します。(翻訳は適当)


Negative feedback signals the absence of deviation, or the absence of any perceived mismatch, between the system's actual behavior and its targeted goal(s). In effect, the negative message of "no problem" is reported back to the systems central regulatory apparatus (servomechanism, computer, autonomic nervous system, brain, etc.,) signaling that no change in the system's output is necessary. Thus, negative feedbacks tabilizes the system, allowing it to remain steady or constant within its prevailing course of trajectory.

ネガティブ・フィードバックは、システムの実際の振舞いとターゲットとされたゴールとの間に、偏差が存在しない、あるいは知覚されたミスマッチが存在しないというシグナルを返すことです。実質的に、「問題はない」という(問題の存在を)否定するメッセージがシステムの制御機構(サーボ・メカニズム、コンピュータ、神経システム、脳など)へ返されます。従って、ネガティブ・フィードバックはシステムを安定させ、現在、優勢な方向性の中で現状維持、あるいは一定の状態に保つことを許します。

Conversely, positive feedback signals a mismatch between the system's actual behavior and its intended performance. Positive feedback messages initiate modifications in the system's operation, until the feedback is again negative and the system is on target. In fact, within highly complex systems, positive feedback can actually modify the goal(s), and hence the aim(s), of the overall system, itself.

一方、ポジティブ・フィードバックは、システムの実際の振舞いと意図されたパフォーマンスの間にミスマッチが存在するというシグナルを返すことです。ポジティブ・フィードバックのメッセージは、システムがターゲット上にあり再びネガティブ(問題はないと返す状態)になるまでシステムの操作を修正するメッセージです。実際、非常に複雑なシステムの中では、ポジティブ・フィードバックはシステム全体それ自身のゴールや目的を修正することになります。


 それで、Youtubeに関連の動画があったのでリンクしておくことにしましょう。





(参考)

(つづく)

文献
[1] http://www.narberthpa.com/Bale/lsbale_dop/gbcatsbs.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年11月26日火曜日

記憶と記録を分けて、比較してみる



 記憶と記録を比較するのも、人類学者のグレゴリー・ベイトソンが言った二重記述の一種で、その違いから何か有益な情報が生まれるのでしょうかねぇ?(笑)。

 ベイズ統計にも何かこんなことが書いてあった記憶がありますねぇ・・・・

ひとり言


記憶に残っているか? 記録に残っているか?の違い

 ギャンブルなどでたまに大勝すると、その印象が強くて、定性的な情報をもとにトータルで随分儲かっている、と思ってしまうものです。しかし、実際に定量的な数字で計算すると負け越して赤字になっている、と言ったことが起こります。もっとも、個人的にはギャンブルはやらないのですが。

これは野球の喩えで「記憶に残る選手か?記録に残る選手か?」で、記憶に残っているのが定性的な情報で、記録に残っているのが定量的な情報ということになるでしょう。

 それで、ここで強調したいことは、自分が経験したことを感覚で定性的にとらえた場合と、数値化して定量的にとらえた場合の両方をノートに書き出してみてそれを比べてみると、同じ経験でもかなり印象が違っている、ということに気付くことです。余談ですが少し屁理屈を書いておくと、定性と定量を分けることは主客分離のような格好になっており、さらにそれらを比較することはメタ認知を促すような格好になっています。

 例えば、何か失敗をしたような場合を考えてみましょう。

 個人的には今年のレビューとして、顧客に何かの提案書を出して受注に失敗した、といったような場合です。 この場合、時間をかけて丁寧に書いた提案書が失注ということになると、気持ち的にはかなり落胆して、定性的には、それが取り返しのつかない失敗のように思えてくるものです。

 そこで、仕事の場合でも、日常生活でも良いのですが、今年は何をしたのか?その結果どうだったのか?を書き出して、定性的な印象と定量的な結果の両方を書き出してみるというのも面白いように思ってくるわけです。 

 それで、ここでは、失敗して悔しい思いをした、というのが定性的な情報で、提案に何時間使い、金額的には◯◯円の損失になったというのが定量的な情報というわけです。

日付
出来事
定性的印象
定量的結果





 
 実際に、「非常に手痛い失敗だった」だと印象の強い出来事も、このような感じで定性的な部分と定量的な部分を書いて比較してみると、定量的には案外たいした失敗ではない、と思えてくるところがあるわけです。

 もちろん、単なるコピペした提案書を出したらうっかり受注できた、などということがあるわけであり、この場合は、もっと印象を強くして喜ぶなり、勝ってカブトの緒を締めよという感じになってくるのでしょうけれども、何れにしても定性的な印象と定量的な事実なり結果を書いて比較してみるのは非常に重要なことのように思ってくるわけです。



それで、年末にかけて、今年やったことを上のような感じで整理してみようと考えているわけです。

 
(つづく)

文献
[1] http://www.instituteofcoaching.org/images/pdfs/Grant-Evidence-for-Coaching.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年11月25日月曜日

エビデンス・ベースド・コーチングのプレゼンテーション



  コーチングの成果って、結局、何を測れば良いのでしょうねぇ?

ひとり言


コーチングが機能したことを何で測るのか?

 シドニー大学で統計や科学的証拠に基づいたエビデンス・ベースド・コーチングを教えているトニー・グランド博士の2009年のプレゼンテーションを読んでいたのですが、これが短いなかに色々課題となるトピックが盛り込まれていて非常に参考になるので少しご紹介しておきましょう。[1]

 まず、「コーチングが機能した」というのをどこで計測するのか?というところです。

この資料によると以下の4つ

        設定されたゴールをどの程度達成できたのか?
        ストレスや悩みなどをどれだけ低減できたのか?
        自分の望む心身状態にどれだけ引き出せたのか?
        メタ認知の能力をどれだけ向上させたのか?

 となっています。

 それで、これから分かるのは、コーチングが、外的な世界に達成される成果(物)と内的な心身状態の調和のようなものを重視していること。もっというと、自己認識としての、「内的自己の投影としての世界」そして、「世界の投影としての自己」の調和というところになるでしょう。また、自分の感覚や思考、あるいは気持などを対象としてモニタリングするメタ認知能力を向上させ、そこから何らかの気づきを得る能力を上げることを志向していることが分かります。

要は、自分のこころを忘れて外側にある成果だけを求めてもダメ、だからといって瞑想のようにこころの平安は得られても外的世界に働きかけて何かの実現を目指さないのもダメというところなのでしょう。

 それで、コーチングの流派も、問題解決にフォーカスするもの、解決にフォーカスするもの、マインドフルネスのように今ココに焦点をあて自然の気づきを促すもの・・・・と色々あるように思うわけですが、やはり、その方法論が有効に機能しているのか?を検証するためにはエビデンス・ベースドで検証するということは重要なことなのでしょう。
 
(参考)
(つづく)

文献
[1] http://www.instituteofcoaching.org/images/pdfs/Grant-Evidence-for-Coaching.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com






2013年11月24日日曜日

ミルトン・エリクソンの2つの質問



  やっぱり、エリクソンの質問は最小限にして巧みだと思います。

ひとつはゴール。要は認識の中にだけある『ありたい姿』の確認の質問。

もうひとつは、認知と行動の関係性、つまり、『ありたい姿』、とそれに向かって『やろうとしていること、あるいはやった結果』の関係についての確認の質問。

それで、行動のフィードバックからゴールへ向けて行動し続けていくがポイントですねぇ。もっとも、本当はゴール達成までを創発を志向したポジティブ・・フィードバック・ループで回すのか?あるいは安定を志向したネガティブ・・フィードバック・ループで回すのか?のどっちでいくのか?を選ぶのがミソだったりするわけですが・・・・

ひとり言


ゴールと認識と行動と・・・・

 今日は、手短に。

 心理療法家のミルトン・エリクソンがグレゴリー・ベイトソン、ジェイ・ヘイリー・ジョン・ウィーク・ランドらに質問された時に必ずといって良いほど返ってくる質問があります。[1]

 ひとつは、そのゴールを確認する質問

「君たちの治療ゴールは何だ?」

もうひとつは、認知と行動の関係を確認する質問。

「君たちが言っていることと、君たちがやろうとしていることはどう関係しているのか?」

です。

で、案外この2つの質問は仕事でも日常生活でも色々な場面で使えるように思います。もっとも、これに3つ目の質問を加えて以下のような感じになるでしょう。

1.「ゴールは何? どんな姿になっていたらよいのか?」 (ゴールのイメージ)
2.「ゴールと、やろうとしていることはどう関係しているのか?」(ゴールと予定している行動の関係性)
3.「やったことがどのようにゴールに結びつくのか?」(ゴールと実行した行動の関係性)
 
 となります。

1.の質問は、「なりたい姿」やゴール、あるいはアウトプットされる物事に意識を向けてもらうという格好になっているわけですし、2の質問は、ゴールに向けてどのように行動していくのか?あるいはゴールを達成するための必要条件の確認を行うことになり、3の質問は、予定と実際に行なったことのギャップの確認のようになっているわけです。

 それで、エリクソンがやっていることは、不思議なことでも何でもなくて、普通のプロジェクト・マネジメントでやっていることとまったく同じことなのだなぁと分かってくることになります。

もちろん、エリクソンの本質のひとつは間接暗示なので、「何が欲しい?」みたいな下品な表現にならないことは心がけないといけないのでしょう。

http://ori-japan.blogspot.jp/2013/03/blog-post_12.html

 また、人はともすると過去の経験の延長からゴールを考え、過去の経験から具体的な行動を考えるため、過去の延長ではないもっと素晴らしいゴールを達成しようと考えると今持っている枠組みを超えるために禅問答やパラドクスを活用する必要があるわけです。もちろん、これが出来るかどうかがヘッポコ・セラピストやヘッポコ・コーチと卓越したセラピストや卓越したコーチを分ける分水嶺になるわけですけれども(笑)。


 
(つづく)

文献
[1] http://www.amazon.co.jp/dp/4772406883

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2013年11月23日土曜日

ソリューション・フォーカスト・コーチングはどのように機能するのか?



少なくとも、人の振舞いや意思決定については、なぜ、こんなことになっているのか?に焦点を当てるより、これからどうしていくのか?に焦点を当てたほうが良いということですねぇ。


ひとり言


ソリューション・フォーカスト・コーチング

 今日は、手短に。

 この背景にあるシステム論やサイバネティクス的な理屈はひとまずおいておくとして、心理療法家のミルトン・エリクソンの技法から派生しているソリューション・フォーカスト・アプローチをベースとするコーチンはやっぱりシンプルで良いなぁと思います。





 で、人は機械ではないし、壊れた部品を変えるように変えるわけにもいかないので、少なくとも人の思考や行動、あるいは意思決定に関連するようなことの場合は、原因分析をやるより、これからどう解決するのか?か?その方策なりプロセスなりリソースなりを探していったほうが上手くいくというわけです。

 もちろん、同じエリクソンから派生したMRIのほうは、今その人がハマっている問題の構造とかパターンという意味ではそれを分析したりするので、必要に応じてこっちもありだということでしょうかねぇ。

(参考)
http://ori-japan.blogspot.jp/2013/11/blog-post_16.html
http://ori-japan.blogspot.jp/2013/09/blog-post_11.html
 
(つづく)

文献

N/A

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2013年11月22日金曜日

戦略的家族療法で子どもと家族の関係を強化する



 こういうドキュメントを読むと、アメリカ人ってすげーまともでいいヤツだなぁ・・・・と思ってしまうのですよねぇ。(笑)

もちろん、一般意味論的にはアメリカ人1とアメリカ人2は違うわけで、ちょっと一般化が過ぎるのかもしれませんけれど・・・・・・

ひとり言


戦略的家族療法で子どもと家族の関係を強化する

 今日は、手短に。

米司法省のサイトに「Brief Strategic Family Therapy」[1]というドキュメントが公開されていますが、これが非常によくまとまっていたのでご紹介しておきましょう。

 まず、ここでのテーマは子どもたちが不良になってしまうのをいかに防ぐか、子どもたちをいかにすくすくと育成するのか?というのがテーマです。

 それで、このドキュメントでは地域コミュニティにおける家族とこどもの関係を強化しましょうということになるわけですが、では具体的にどうすればよいのか?という問の答えが、戦略的家族療法の技法を使ったらいかがでしょうか?という提案になっているわけです。

で、以下のリンクに書いていますが、戦略的家族療法とは元々心理療法家のミルトン・エリクソンの心理療法から派生した一派でその創始者はジェイ・ヘイリーさんだと考えられている一派となります。


 それで、個人的に面白いのは、ソリューション・フォーカスト・アプローチが問題の解決に注目し Do more するのに対して、戦略的家族療法はMRIの系統でもあるのか、今起こっている問題(パターン)にフォーカスして、この問題のパターンを崩していくように Do different をやってもらう格好になっているところでしょう。

 もちろん戦略的家族療法と言っているくらいですから、家族の間、親と子どもの間によりよい関係が築けるように介入を行なっていくことになるわけです。

  もっとも、個人的にはこういった技法は修羅場なプロジェクトを適正なものに変えていくとか、ブラック企業をグレー化するとかに使える技法だとは思っているのですが・・・・・


 
(つづく)

文献
[1] https://www.ncjrs.gov/pdffiles1/ojjdp/179285.pdf

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com