2015年11月30日月曜日

仕事で使えるミルトン・エリクソン(その1)

                           

 必ず相手のコトバを用いて語る。

 それ以外はあり得ない。

 これは、仕事のいかなる場面でも同じ。

 <ひとりごと>




クライントのコトバを用いて語れ

   心理療法家のミルトン・エリクソン。伝説が一人歩きして超能力者だったように語られることがある。この能力が非常識な結果を生み出した、と。

  これが本当ならば、我々のような凡人は一歩もエリクソンには近づけないことになる。理由はわけのわからない超能力の存在の有無もさることながら、超能力をどのように身に付ければよいのか?その方法すら皆目見当がつかないからだ。
  
 しかし、学術論文にあたると、まったくもってそういう<事実>はないことが分かる。もっと言うと、エリクソンがやっていたことは誰でもできるプロセスで説明されている。違いは、どこにでもある技法を、少し違う趣向、あるいはコンテクスト(文脈)で使っていたことぐらいだ。ただし、観察による状況把握と技法の精度とタイミングがとんでもなく精緻だ。それでも、エリクソンの技法は誰でも実践できることの積み重ねからできている。[0]

 その気になれば、ミルトン・エリクソンの使っていた方法は凡人にも使えるということだ。もちろん、非常識な結果を生み出すには、練習は必要だろう。観察力を鍛えて、適切なタイミンで活用するする必要はあるだろう。しかし、一歩一歩のほふく前進になるが、それでもエリクソンには近づけるし、うまくなるにしたがって、それなりの結果は出るようになるはずだ。

 例えば以下[1]
 

 必ずクライアントのコトバを用いて語る。

 それ以外はあり得ない。

 


クライントのコトバを用いて語れ、それが仕事ならなおさら

  これは、仕事の場面でも同じだ。

 コンサルタントがクライアントと向かい合う場面。

 クライアントが<打ち合わせ>とつかっていてれば<打ち合わせ>といい、<ご議論>と言えば<ご議論>といい、<ご支援>といえば<ご支援>とコトバを合わせなければいけないという話だ。

 逆に、<打ち合わせ>を<ミーティング>と言い換え、<ご議論>を<ディスカッション>と言い換え、<ご支援>を<サポート>などと、クライアントがそのコトバを使っていない限り決して<言い換え>をしないということでもある。

 一見、バカバカしく思えてくるが、非常に重要で、慣れと練習が必要だ。

 仕事で組んだ某有名外資系戦略コンサルタント会社の卒業生もこれを言ってた。

 提案書のコトバはクライアントの使っているコトバに合わせるようにしていたし、かなり古風な感じになっていた。老舗の顧客に合わせてなんと名刺は縦書きを用意している徹底ぶりだった。本社は米国東海岸なのに。

 これは広義の意味での<ペース合わせ:ペーシング>でもある。これがないと、クライアントのこころが開かないし、こころの扉は閉ざされたままだ。


クライアントのコトバで語ることは案外むずかしい

  しかし、頭が良い、自分は知識がある、と勘違いしている人ほど、実践できないというパラドクスがここにあるのは面白い。

 例えば、ITの製品・サービスの説明。

 クライアントの理解できない用語やABCなどという意味不明の略語が飛び交う。

 クライアントのコトバに合わせた翻訳ができていない。クライアントは腑に落ちない。

 あまりよくない循環に入った証拠だ。 

    こういう時にこそ、基本に立ち返る時である、
   

 必ずクライアントのコトバを用いて語る。

 それ以外はあり得ない。

 
もちろん、ここではクライアントと書いたが、相手が居る場合はこれが当てはまるということになる。

 入社面接、転職の面接、接客・・・・報告書の作成・・・・いろいろな場面がある。

相手のコトバをよく聞き、そして、相手のコトバで話してみる、書いてみる。まずはこれを意識して実践してみるのはいかがだろうか?


(つづく)

 文献


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
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2015年11月29日日曜日

ミルトン・エリクソンから派生した心理療法を図にしてみた(その3)

                        


 エリクソニアンとは何か?。

 催眠が使える・・・・

というのは実は、まったくもって、どうでも良い話。
 
 エリクソニアンとは、<意識>と<無意識>の間に絶妙な関係性をもたらし、個人・組織の生成発展を支援する人たちということになるだろう。

<ひとりごと>




流派がまとまる構図

 一般論だ。方法論や製品を普及する時、メンバーが仲間割れをはじめるということがよく起こる。

 まるで、金魚たちが、金魚鉢という小さい世界の中で、「お前らは黒金魚だ!」「お前らは赤金魚だ!」と近親憎悪的にいつも喧嘩が耐えない状態だ。もちろん、本来の目的など忘れ去られている。

 人類学者のグレゴリー・ベイトソンは、こういった<関係>をコンプリメンタリー、シンメトリーなパターンとして取り出した。[1]

 シンメトリーな関係で、サイバネティクス的なポジティブ・フィードバックが行き過ぎると、その組織は分裂する(分裂生成)とした。さっきの金魚たちのことだ。 

  もちろん、反対にすればうまくいくというものでもない。コンプリメンタリーな関係が行き過ぎればお互いが疎遠になって<関係>が自然消滅するようなことも起こる。簡単に言えば「関係ない」という関係になることだ。違い過ぎて何の共通点も見いだせない。

 いずれにせよ、組織は分裂する。それも、あまり建設的ではない方向に。

 経験から、組織の立上げ、運営においてこういったことを理解し、サイバネティクス的な介入方法をいくつか持っておかないと結構悲惨なことになる。これは、元スローンのエドガー・シャインがやっている<組織開発><組織マネージメント>へのエリクソニアン・アプローチの応用の話だ。

 
 さて、分裂とは反対に、ある程度仲間内でまとまって、うまくやっているグループなり団体がある。

 お互いが、つかず離れず絶妙なバランスの中で運営されている心理療法家のミルトン・エリクソンの一派がそれに当たるだろう。誤解を恐れずに言えば、ベイトソンはつかず離れずの関係をレシプロカルと定義した。コンプリメンタリーとシンメトリーが絶妙にブレンドされた状態だ。この状態がシステムがポジティブ・フィードバックで行き過ぎることを防いでいる。東洋には、「中庸」ということばがあるが、まさに動的平衡な状態だ。

 もちろん、さらに細かい個々の流派の中では、分裂を繰り返して暗闘の絶えないNLP(神経言語プログラミング)のようなところもあるが、この集団を家族療法のIPと見立てれば、また違ったものも見えてくるだろう(笑)。ブリーフ・セラピーの盲腸みたいなものでも仲間は仲間だ。どこの家庭にも親類に1人や2人、変な人が居るように。

  

エリクソンの流派は意識と無意識の絶妙な共存という構図


 来月12月に米国アリゾナ州フェニックスで開催予定の「ミルトン・エリクソン派国際会議」のために公開されていたシラバスからの抜粋をじっくり眺めてみる。[2]

 

 心理療法家のミルトン・エリクソンを継承する流派、いわゆる<エリクソニアン>を敢えて2分すれば、<催眠を使う>流派と<催眠を使わない>流派に分けられる。前者の代表がネオ・エリクソニアンであり、後者の代表がMRIやSFAである。

  しかし、人や組織の認識・行動の変化という目的においては、<催眠を使う><催眠を使わない>というのは瑣末なスタイルの違いでしかない。

  理由は、必要にして十分な条件が整えば、催眠があろうがなかろうが、人や組織の認識・行動は自然に変化するのだから。しかも現状の枠組みを飛び越える、第二次変化(Second-Order Change)として。ただし、セラピストの役割は、変化の条件を整えるお手伝いをすることだけである。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_23.html

 では、人や組織の認識・行動が変化するための理論である<Theory of Mind><Theory of Change>を理解していて使える人が<エリクソニアン>なのか?

 それは必要条件ではあるが十分条件ではないだろう。どちらかと言えば、人類学者のグレゴリー・ベイトソンを継承する<ベイトソニアン>の範疇だ。具体的には、スタンフォード・メディカル・スクールで教えていた、ウオツラウィックとかあのあたりの人。

 では、<エリクソニアン>とは何か?。

 ひとつは、エリクソン自身が用いた言語パターンがヒントになる、かもしれない。具体的には、<意識ー無意識のダブル・バインド>のパターンだ。

 単純化すると、まず、意識-無意識という2つの立場を設定する。

 あなたの<意識>は<具体的な未来のゴール>をどのように達成したらよいかわからない、が、あなたの<無意識>は今ココで、何をすればよいのか<具体的なやり方>はわかっている、で、それをやって、というパターンだ。
 
 これをメタファーで表現すれば、

 エリクソンという難攻不落の山の山頂を<意識>して目指して、エリクソンに成り行く(becoming)プロセスを共有している人たち。但し、どの道から登っているのか?どのような手段を使うのか?は都度<無意識>が決めることでそれは問われない、を共有し、実践している人たち。

 と考えるのが一番しっくりくる。理由は、これ自体が、エリクソニアンに成り行くプロセスを表しているからだ。

 昔、ブルース・リーが脚本を書いた映画に「Silent Flute」というのがあった。ネタバレになるが、最強の男たちを倒して最後の五重塔の頂上で手にした最強になるための秘伝のお宝は単なる「鏡」だった。主人公は、その中で自分の顔を見るというのがオチだ。では、エリクソニアン・アプローチを極めるとどうなるのか? おそらく残るのは、身体に暗黙知として形成されたエリクソニアンに成り行くプロセスだけだ。ただ、MRIの秘密の巻物はある。

 また、関係性という意味では、<無意識>としてのネオ・エリクソニアンと<意識>としてのMRIがコンプリメンタリーな関係で、それを取り巻く諸派がつかず離れずのなんとも言えないレシプロカルなエコシステムを作り出している構図に思えてくる。少し余計なことを言っておくと、エリクソン・インスティテュートやNLPの一件もシステム全体で言えば、ちゃんと<雨降って地固まる>的な要因として機能しているということだ(笑)。つまり、コンプリメンタリーな料理に香辛料的なシンメトリーな関係を振りかけているような構図だ。

 その意味では、エリクソン一派の組織の核は、やはり<無意識>としてのネオ・エリクソニアン、そして<意識>としてのMRIとなり、この絶妙な二重記述の関係性が組織の発展を築いていると言っても良いだろう。

 また、同様に、バランスの取れた家族や会社組織の構図、あるいは人の<無意識><意識>の縮図のようにも思えてくる。もちろん、会社が発展するには<無意識>としての文化と<意識>としての社則のバランスを考える必要がある。国家であれば、<無意識>としての國體(国体)と<意識>としての憲法(憲法典)ということになるだろう。

 その意味では、この図は、生成発展のメタファーとしても読めてとても興味深い。

(つづく)

 文献
http://ori-japan.blogspot.jp/2013/05/blog-post_27.html  (参考)

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2015年11月25日水曜日

20:80の法則は既に古い

                       

 世の中が複雑になり、要素間の相互作用が多い世界では、0.01%の要素が、他の99.9%に影響を与えることがありうるというお話。

 大きな組織も、小さな組織もこの0.01%が何か?


 ビッグデータを活用して、可能な限り精緻にかつ迅速に、システムの<おへそ>という名前の宝を探す時代が到来している。


<ひとりごと>




パレートの法則が成り立つ前提?

 イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートの唱えたとされる「パレートの法則」がある。[1]

 簡単に言うと、「全体の数値の80%は、全体を構成する20%要素が生み出している」と言われ、<20:80 の法則>などと呼ばれているのはご存知のとおりだ。

 しつこいようだが、これをメタファーとして使い以下のように言われたりもする。

  • 会社の利益の80%は、20%の営業が生み出している。
  • 会社で起こる問題の80%は、20%の部署から起こっている。などなど

前提が変われば、法則も変わる

 
 しかし、この前提を考えると非常に面白いことがわかる。「Theory of Constraints Handbook (2010) p.4(エリアフ・ゴールドラット)」を参照すると、<20:80の法則>が成り立つのは、要素間の相互作用が低い場合に限られていると考察されている。[2]

    もっと言うと、複雑で、要素間の相互作用が大きい場合はこれが<0.01:99.9>にもなる、ということである。

 これをメタファーで書き換えてみる。

  • 会社の利益の99.9%は、0.01%の製品が稼ぎ出している。
  • 会社で起こる問題の99.9%は、0.01%の部署、あるいは個人から起こっている。
 なんとなく実感が湧いてくる。

  これは、ネットでどこにでもつながった時代に、

  • 突然取り上げられた商品が一夜にしてベストセラーになる。
  • 一人の心ない社員が漏らした情報で大企業の屋台骨が揺らぐ。
  • 類似の商品でも片方を大成功し、もう一方は見向きもされない。

 のような現象を直接、あるいは間接的に目にすると、なかなか的をついているようにも思われてくる。


少し、前向きなことを考えてみよう

 
  もちろん、ここから建設的なことを考えると。この<0.01%>が何が分かれば

  •  小さな組織でも大きな組織と渡り合える時代

が到来している、特に、複雑で要素の相互作用が大きい分野では、という結論になる。

 もっとも、逆に言うこういった分野に居る大きな組織は、お金に物を言わせてビッグデータを活用して、この<0.01%>の部分が一体何であるのか?を探求しないといけない時代でもある。

 たしかに、今までのように焦点化のあまいヌルい世界で<20:80の法則>などと言っているようでは未来がない、心得る時代でもあるのだろう。

 で、コンサルタントは何を支援するのか?

 クライアントと一緒に汗をかきかき<0.01%>は何かを一緒に探す、ということになる。もちろん、企業からすれば、コンサルタントとビッグデータおよび関連のシステムは、このお宝を探すために活用すべし、ということになるだろう。
  

 文献
[1]https://en.wikipedia.org/wiki/Pareto_principle
[2]http://www.amazon.co.jp/Theory-Constraints-Handbook-James-Cox/dp/0071665544/

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2015年11月23日月曜日

もうひとつのIPの話



  組織・チームは、ひとつの生命体であり、ひとつのシステムである。だから、生き物としての全体に対処しなくてはならない。

 機械のように、都合の悪いところだけ交換して捨てるとはいかない。

   <ひとりごと>



IPとは何か?

 心理療法の一つである家族療法にIPという概念がある。

 IPというとIT業界の人間 は、'Internet Protocol'の略だと思ってしまうが、ここでのIPは ’Identified Patient ’の略である。[1]

 家族療法では家族を個々人で構成されるひとつのシステムとして見る。もっともマニアックに言えば、このシステムは、生命体としてのオートポイエーティックなシステムである。このシステムを維持するためにある個人が問題引き起こしていると考える。問題行動や機能不全を起こしているこの個人のことをIPと呼ぶ。

 例えば、子供が<いたずら>ばかりして問題行動を起こしている。しかし、本当の《原因》は両親、あるいは嫁姑の不仲という名前の《関係性》にあり、子供の問題行動は家族システムを維持するための単なる<現象>の一つに過ぎない、というわけだ。したがって、<現象>である子供の行動を修正してもシステム全体からの解決にはならない、というのが家族療法の考え方である。

 こういった発想は、もともと人類学者のグレゴリー・ベイトソンが心理療法の世界にノーバート・ウィナーらから起こるサイバネティクスを方法論として持ち込んだところから始まった、と個人的には理解している。


個人の問題は所詮、組織全体の問題の現象に過ぎない

 それで、IPという概念は、経営やプロジェクト・マネジメントのコンテクストでも重要だ。

 例えば、プロジェクトで特定のチームばかりにトラブルが発生する。局所的に、原因は、そのチームの個人の資質にあると考える。そして、問題のある個人を取り替える。これをもっとマニアックに言えば、単なる機械のような無生物なアロポイエティックなシステムとして扱う。

 結果、別の個人にまた同じことが起こる。あるいは、ある役割を担った特定の個人がこころの病になる。

 これが繰り返される。

どこにでもありがちなパターンである。もちろん、単にシステム論的な話であり、ベイトソンのダブル・バインドなどの原因仮説で説明できることで、オカルトでも何でもない。


 結局、プロジェクトで、家族療法でいうIPだけ、つまり<現象>だけを見て対処しても永遠に解決は訪れないことになる。家族療法のメタファーで言えば、いたずらっ子の背景には、もっと大きな組織、あるいはシステムの現状のパターンに問題の<原因>が潜んでいるという具合である。


個々人の問題は、システムのより大きな問題の現象として対処する


 但し、IPの問題行動という<現象>は、その背景にある生命体としてのシステム全体を理解するための窓口になる。もちろん、システムの平衡を維持しながら、別の次元への変化を起こすことは簡単ではないし[2]、いつも同じフレームワークや打ち手を使えばなんとかなるということでもない。

 しかし、少なくとも、IPの問題行動という<現象>を通じて、システム全体のパターンがどのようになっているのか?を観察し、適切な打ち手(家族療法の技法を含む)を考え抜いて、実行してみるということは、プロジェクトや経営のコンテクストでも非常に重要なことなのだと実感している今日この頃である。もちろん、システムは全体的に見るが、打ち手はレバレッジ・ポイントをついたセンスの良いやり方で、となる。


文献

[1]https://en.wikipedia.org/wiki/Identified_patient
[2]http://behavenet.com/first-and-second-order-change

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2015年11月22日日曜日

コトバからマインドフルネスを経験する

                            

 コトバは、知覚と思考の補助線でもある。

 怒った時のことをを思い出したり、未来を想像し心配する。

 だが、コトバは今ココに焦点を当てる助けにもなる。

 コトバで見たり・聴いたり・感じたりしていることに焦点を当てればマインドフルネスな状態になれる。

<ひとりごと>



マインドフルネスとは何か?

 マインドフルネスを簡単に説明すると、「こころのおしゃべりをやめて、知覚を外に開いて、五感だけの純粋な経験として、今コロに居ることを覚する」ことである。もともと、仏教に由来する。

 Googleなどの米国西海岸の企業では宗教色をなくし、巡業員のメンタル・マネジメントの一環として取り入れられている技法であり、実践した結果として<問題解決>や<創造性の発揮>につながる技法でもある。



なぜ、マインドフルネスが求められているのか?

  では、今なぜマインドフルネスが求められているのか?を少し考えてみよう。

 結論から先に言うと、現代社会が情報化の進展によって、<複雑><不確定><曖昧>なことが多くなったからだとも言える。

 人間は、<複雑>なことを単純化して考え、<不確定>なことが確定しているように結論を出し、<曖昧>なことを明確なこととして考え、何かに<反応>する性質がある。

 つまり、人間は、目の前の<現象>に胆略的に答えを出し、すぐさま<反応>してしまう生き物であるようだ。もちろん、全てではないだろうが。

 このようにシステム思考的に局所的な<現象>に反応してしまうパターンが形成されると、高い次元から、その枠組みに注意を払うこともなく、問題である<反応>が虚しく繰り返されるだけ、ということも少なくない、ということになる。



現象に逐一反応する<もぐた叩き>を止めるには?

 では、問題を根本的なレベルで解決する<おへそ>を見つけたり、あるいは、いつもの<反応>のパターンから別の新しいパターンに移行し、創造的な解決法を実行するためにはどのようにすればよいのか?

 この答えの一つは、<現象>に対して、自分(あるいは主体)の反応にタメをつくる、あるいは反応しないことである。

 もちろん、問題は解決できない状態のままであったり、あるいは望む結果を得ることができないでいるかもしれないが、少なくとも<複雑>なことを複雑なこととして、<不確実>なことを不確実なこととして、<曖昧>なことを曖昧なこととして受け止めることはできるようになるだろう。

 目的は考えない、結果にも期待しない、今ココに居る。

 これだけのことである。

 しかし、逆説的に、問題解決のイトグチがひらめいたり、現在陥っている問題パターンからぬけ出すヒントが分かることも多い。しかし、これを目的にしてはならない。



コトバからマインドフルネスを経験する

 さて、ここでの提案はコトバからマインドフルネスを経験するということだ。反対に言うとマインドフルネスに書くということでもある。

 もちろん、マインドフルネスは、コトバが生まれる前の世界に居るということだ。ただ、これとは反対にコトバを補助線にして五感だけで知覚される経験の世界に入っていくこともあるだろう。

 これには、一般意味論の E-Prime を使うのが良いと思う。

 E-Prime は、英語で " TO-BE" つまり、"BE動詞" を使わないで表現する技法である。[1] ここでは、英語でも良いが日本語でも制限をかける、自分を主語として五感で<見る><聞く><感じる(気持ちというより触覚)>に限定し、文字通り、見たり、聴いたり、感じたり、している事実だけを観察して書いてみるということである。

 逆にいうと<考える(Think)>を使わないということでもある。

 具体的には、散歩でもしながら、周りの景色を楽しんでみる。

 事実をじっくり観察して、


  • 私は、____を見ている。
  • 私は、_______を聞いている。
  • 私は、_______を感じている。
 
   とつぶやいてみる。

 そして、知覚だけの経験に戻ってみる。

   不思議なことに、普段、

 見えていなかったものが見えてくる。

 感じてきなかった感覚が感じられる。

 聞こえていなかった音が聞こえてくる。

 そして、世の中、<複雑>なことを複雑なままに、<曖昧>なことを曖昧なままに、<不確定>なことは不確定なままに、そこにあり、何も慌てて<反応>する必要もないことが分かってくる。



文献
[1]http://www.nus.edu.sg/celc/publications/Vol52Ho.pdf
https://books.google.co.jp/books?id=BDU-yK0vNI0C&pg=PA37&lpg=PA37&dq=general+semantics+mindfulness(参考)
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2015年11月14日土曜日

組織とリフレーミング



 組織のエピステモロジーを考えると、当然、ものごとを見るフレームがあるわけであって、フレームがあるということは、そのパラダイムを変えるリフレーミングが出来るということであって・・・・(笑)。

大手中小に限らず、何十年も同じ組織に居ると、おそらく当たり前になっていて気付かない<ものごとの見方>というのがあるように思えます。


 逆に言うと、これに気づくのは、まったく文化、業態などが異なる組織や団体に接する時。


 これは、配置転換や異動で、別の組織や団体と仕事をするようになった時、かもしれませんし、転職した時なのかもしれませんし、新しくボランティア活動を始めた時、かもしれませんし、色々な場合があるでしょう。


 もちろん、組織は<生き物>であるわけですから、当然、その組織固有の<認識論(Epistemology)>が存在しているわけであり、その組織固有のものごとを見る<枠組み>というものが存在していることになります。


 それで、特に組織の課題などに取り組む場合、注意しなければならないのは、この枠組みの取り扱いということになるでしょう。


 もちろん、<リフレーミング(Reframing)>という用語は、心理療法の研究所である米国カリフォルニア州パロアルトにあるMRIで短期療法を研究していたポール・ウオツラィックらと言われているわけですが、個々人や家族という単位で短期療法の技法が活用できるのであれば、当然、組織でも使えるのだろう、というのがここでの発想です。[1]


 それで、組織を扱うための枠組みにはどういうものがあるのか?という疑問が湧いてくるわけですが、今日ご紹介するのは『Reframing Organizations』という著作で明示されていた組織の課題を取り扱う場合の4つの枠組み、とその対処方法というわけです。1)構造的フレーム2)人事的フレーム 3)政治的フレーム 4)シンボリックなフレーム。これに関するプレゼンテーションが Slideshare に存在ありますが、それは以下を参照ください。



 
 もちろん、これはモデルの一つであり、4つだけで全てを取り扱っていることにはならないのでしょうが、抑えておきたいポイントの一つではあると思います。


 個人的にはコンサルタントとしてたまにはまったく違う業界の案件をやったりするわけですが、この枠組みに還元される、そのクライアントの持つ文化とか、信念とか、コミュケーションのしきたり・・・・といったことまで理解しないと、課題の設定についても、課題の解決についても案外ややこしくなるように思ってくるわけです。例えば、課題を課題として認識してもらうためにリフレーミングのような技法で枠組みに介入する必要があったりします。


 ちなみに、今『Reframing Organizations』の第四版をぱらぱら読んでいるわけですが、このあたりを真面目に追求すると、人類学的な知見も使いながら、クライアントさんのところでフィールドワークを始めなければならないような案外深い話になってくるのだと思うわけです。


文献


[1]https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Watzlawick

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2015年11月11日水曜日

ミルトン・エリクソンから派生した心理療法を図にしてみた(その2)




 ものごとを<分ける>ことが出来たからといって<分かった>気にはならないというのは、案外重要なことなのかもですねぇ(笑)。        




ミルトン・H・エリクソン財団の国際会議のシラバスに掲載されている、エリクソニアンな方々の流れが書かれた図を眺めているととても面白いと思います。

 エリクソンは、自分の心理療法の体系を文章やフレームワークに形式知化して残していません。つまり、エリクソンの哲学や技法とは何か?と問われると体系だったものを何も残さなかった人だと言えるでしょう。もちろん、このことが誤解や似ても似つかない技法が生まれる要因にもなっているわけですけれど。


 それで、youtube の映像を見ても『他人の技法を使うな、独自の技法を開発せよ』と言っているのが非常に印象的です。



 それでもエリクソンは結果を残した。


 弟子と目される心理療法家は、あらゆる手段を使ってエリクソンの魔法の秘密を解明しようと人生をかける人たちが現れてくる。そういう構図がエリクソンの面白さでもあるわけです。人生を棒に振るような人もいたのかもしれませんが(笑)。


 で、この中で何とか結果を出す弟子達が出てくる、そして色々なアプローチも出てくるというわけです。


 それで、まさに百花繚乱、色々なプローチが出てくるのは以下の通りです。[1]



で、個人的な独断と偏見をてんこ盛りで少々解説を・・・


ネオ・エリクソニアン:エリクソンの技法を伝統芸能の箸の上げ下ろしを学ぶように、暗黙知を暗黙知として学ぶ必要があると考えるグループ。但し、ほとんどの人が博士号持ち(笑)。


エリクソン・インスティテュート:どこかの家具家さんのようにエリクソンの子供たちが仲間割れして出来たグループ。でも、現在はみんな歳を取って和解し、財団とは結構仲良くやっているグループ。


ベイトソンからのグループ:いわゆるMRIのグループ。但し、MRIは精神分析などもやっているので、ここではMRIとは書いていない。このグループはサイバネティクスを持ち込んで、ゴリゴリの科学的視点でエリクソンを観察して形式知化を試みたグループまた、このグループも、コミュケーションの相互作業に着目したグループと、エリクソンの戦略性(理想ー現状)に着目したグループが出てくる。そして、ジョルジオ・ナルドネ、ウェンデル・レイらの流派、スコット・ミラーらの流派、スティーブ・ド・シェザーらのソリューション・フォーカスと・アプローチへと続く。


人類学グループ:ある意味ベイトソンと同根だけれど、エリクソンの知見を人類学に活かしたグループ。マーガレット・ミードら。


可能性療法:クライアントの可能性に着目したビル・オハンロンの流派。


自己間関係派:これは、独立した一流と見なされるスティーブン・ギリガンの流派


神経言語プログラミング:変形生成文法を持ち込んでエリクソンの言語パターンの分析から始めたグループ。出だしは、好調、但し、暗黒史や裁判沙汰の事件が多い、いつも騒ぎを起こしているお騒がせなグループ。基本自己啓発過激派と穏健派に別れるが、今回参加しているのは穏健派な人たち。


心身派:こころと体は密接に相互作用すると考える、初期の著作でエリクソンがパートナーに選んだアーネスト・ロッシの流派。


 もちろん、技法や各流派を<分ける>ことで分かったような気になる前に、この人達で暗黙的にでも共有されている、理念のようなものは何か?と考えてみるほうが、エリクソンを分かった気になる近道かもしれませんけれども(笑)、



 まぁ、そういったことを考えながら色々やってみるのも面白いのでしょう。

文献

[1]http://www.ericksoncongress.com/

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2015年11月10日火曜日

第12回 ミルトン・エリクソン派臨床家のための国際会議

 

 百花繚乱、本流から支流までわけのわからない流派がボコボコできて、それが密林みたいになっているのが、ある意味 ミルトン・エリクソン派の凄いところかもねぇ(笑)。
 

 2015年12月9日〜14日(前夜祭、後夜祭を含む)に心理療法家のミルトン・H・エリクソンゆかりの地である米国アリゾナ州フェニックで開催予定の、ミルトン・エリクソン派国際会議についてご紹介しておきましょう。




 この会議は、ミルトン・エリクソン派生のブリーフセラピストの祭典ということになるわけですが、参加者のほとんどが Ph.D か最悪MA持ちなので、かなり学術的にやっている真面目な学会みたいなものだ、と言えるでしょう。

 エリクソン自身は『私はエリクソニアンではありません』といった話もあるのですが、少なくとも、この会議のシラバスを読むと、エリクソンの流れを継承する流派として何をエリクソニアンと考え、何がエリクソニアンではないか?と少なくともエリクソン財団が考えているところがかいま見えるのも面白いところです。

 ttp://ericksoncongress.com/IC2015/wp-content/docs/IC15_Syllabus_1106.pdf



 余談ですが、当日ワークショップで使用されるハンドアウトが無料でダウンロードできようになっています。


 私も目を通してみたところですが、この会議に参加しない方も、この会議でどのようなセッションが実施されているのか?の雰囲気をつかむのにはよいのではないでしょうか。特に、ブリーフ・セラピーに興味のある院生の方には参考になると思います。

 さて、おいらは、インチキなコンサルタントなわけですがこのスケジュールで渡米して参加できるかなぁ(笑)。
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