2016年10月31日月曜日

ファシリテーションの技法:ミラノ派家族療法を応用する(番外編4)


                                                                                                                    
 自己啓発とかしょぼいコーチングって、

 あなたが頑張ればなんとかなります!
     この方法だけ身に付ければ成功します!

 って、直線的因果関係だけで考えているのだよなぁ〜(笑)。

 <ひとりごと>



直線的因果 vs.円環的因果

  備忘録として書いておく。

家族療法マニュアル

 英国リーズ大学のサイトに「Systemic Family Therapy Manual」[1]がリンクされていた。家族療法の要点がまとめてあるマニュアルだ。。 

ちょっとパラパラ読んでみた。

 対象範囲となっている技法は、ミラノ派、それとミラノ派以降の技法(ナラティブ療法を含む)となっている。B.C./ A.D. ではないが、これはミラノ派それ以降に技法的な飛躍があった、という含みなのだろう

 最初に気がつくのは、仮に対象となるクライアントが一人だったとしても、問題はこの人を取り巻く人間関係で起きているわけであり、対象を人間関係を含めた組織におく、とかなり広く取られていることだ。

問題の捉え方自体が問題

   仕事でも家庭でも、悩みあるいは問題のほとんどは人間関係からもたらされる。これはある意味正しい。また、システム思考[2]が出来ない人は物事を《直線的因果関係》で捉えてしまう。つまり、ほとんどの問題は、人間関係を直線的因果関係で捉えていることから起きているように思えてくる。

 例えば、責任感が強い人は、原因を自分に求める「自分がしっかりしなければ」とか「もっと能力を身につけなければ」と、一人で頑張るといった具合だ。あるいは、個人技の能力開発に走る。自己啓発に走る「意識高い系」の人も大体こんな感じだ。コーチングでももっぱら自分の能力だけを高めることだけが目的となる。

 逆に、原因を外に求める人は、「あいつのせいだ!」「あいつさえいなければ!」と、いつも不平不満を表明するか、心に秘めてある日突然爆発する、あるいは別の場所で羽目を外してストレス発散、という感じになるだろう。もちろん、これが芸術とかに向けば凄い作品が出来るのかもしれないが。

 さて、前者は、そう悪くない感じだが、やり方が壁にまともにぶつかっていくような方向のように思える。もちろん、後者も悪くはないが破滅的な感じがする。

 結局、低い視点であなたはどちらのタイプ?とタイプ分けのようなことを尋ねても意味がないのだろう。理由は、繰り返しになるが、どちらも物事を《直線的因果関係》で捉えているからだ。つまり、五十歩百歩ということだ。

 で、「一人で頑張らない」でも「まわりに当たり散らさない」でもない、第三の選択肢はないのか?

問題の捉え方自体を変える

 この一つの答えが、《円環的因果関係: Circular Causation》に問題の捉え方を変えることのように思える。人類学者グレゴリー・ベイトソンの受け売りだが(笑)。[3]ベイトソン風に言うと《認識論:Epistemology》を変えろ、ということになるのだろう。

 仮にクライアントが一人だったとしても、この人を取り巻く関係を扱う。

 「一人で頑張る人」は、組織としてどうやって能力を高めるのか?組織としてどう問題を解決するのか?単純に無生物的な機能と役割に還元しない方法を考えることになるだろう。また「まわりに当たり散らす人」は、こういった気持ちを受け止めて、これをどう変化や創造の源泉とするのか?と物事の関係性を考えることから始めるだろう。

 で、具体的なツールは何か?というと円環的質問ということになる。もちろん、何か困った時はクライアントが自分で自分に質問できるような感じにしてあげるとよいだろう。

 冒頭で紹介したマニュアルには以下のような円環的質問が紹介されている、(質問は適当に改編)

 
①相手の視点に立って、振る舞い、心身状態を推測する質問

 ・上司はどのような気持ちなのだろうか?
 ・顧客にどのような提案をしたら驚かせることができるのだろうか?
 ・顧客があなたにクレームを言っている時、どのような気持ちなのだろうか?
 ・◯◯さんは、これについてどのような考えを持っているのだろうか?

②別の視点、切り口を提供する質問
 
 ・同僚は、あなたの仕事っぷりをどう考えているだろうか?
 ・社長に直訴したら、同僚は何というだろうか?
 ・あなたの出世を同期入社の社員たちはどう思っているだろうか?

③関係についての質問(直接的、間接的)

 ・同僚の◯◯と折り合いがよくないのか?
 ・同僚の◯◯と口論していたのを見た上司はどう思うと思うか?
 ・同僚の△△と仲良く仕事をしているのを同僚はどう思うと思うか?

④円環的な定義

 ・同僚の◯◯と言い争いになって△△が止めに入って怒りはじめたら◯◯は
  どうすると思うか?

⑤可能性のある未来

 ・五年後はどうなっていると思うか?
 ・朝起きて奇跡が起きて問題がなくなっているとするとどう感じるか?
 ・奇跡が起きた状態で会社にいったら◯◯さんとの関係はどう変わっている 
  か?

⑥ランク付け

 ・顧客からうちのチーム感謝のコトバをもらった時に一番喜んでいるのは誰
  か?
  次は?
 ・顧客とのトラブルが起こった時に一番うろたえているのは誰かか?
  次は?
 ・営業と技術担当が言い争いをしている時、その関係と1〜10の段階のいく
  つか?



 もっとも、これは普通にやられていること、なのかもしれない。逆にいうと、直線的因果関係の視点にたって「これだけやっておけば大丈夫」とか「これ以外に特効薬はない」のようなことを言い始めたら要注意なのだろう。社会科学的なことは、自然科学と違って因果関係がどこにあるか?はっきりしないことが多い。

 つまり、人間関係はビルから鉄球を落とせば運動方程式に即して自由落下する、というように直線的因果関係では上手くいかない。

 逆に登場人物の人間関係をいつも観察して、色々やってみる。上手くいっていることをもっとやる、ということになるのだろう。少なくとも、登場人物の人間関係をシステムとして考える。これはニクラス・ルーマンが社会システム論でコミュニケーションをオートポイエーシスの構成素と規定して考えたことと同じような感じもするが、これがまず出発点となる、ということだろう。

(つづく)

文献
[1]https://medhealth.leeds.ac.uk/download/665/leeds_systemic_family_therapy_manual
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/10/blog-post_16.html

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
https://www.facebook.com/okirakusoken

2016年10月30日日曜日

ファシリテーションの技術:ミラノ派家族療法を応用する(その15)


                                                                                                                             
 システムを変化させるには、レバレッジ・ポイントを探せ。

 そして、システムから抵抗を受けないようにレバレッジ・ポイントに

 間接的に介入せよ。

 <ひとりごと>



仮説-検証で得られた「秘孔」を突け

  備忘録として書いておく。

 《おまえは既に・・・》システム思考の考え方に、「レバレッジ・ポイント」というのがある。システムを変化させるための「秘孔」のことだ。ここを突くと少ない労力でシステムに大きな変化が起こる。「秘孔」の引用元は、『北斗の拳』だが(笑)。

 もちろん、「秘孔」というぐらいだからすぐには見つからない。だから、システムとしての人や組織をまじまじと観察し、仮説を立て、そして「秘孔」と思しきポイントを突いてみる。こういった「仮説-検証」のアプローチが必要になる。当然、見立てがよいと試行錯誤は少なくて済む。ここで、「お前はすでに変わっている!」と言いたいところだが、この変化は当然クライアントの要望にあったものでなければならない(笑)。

見立ての仕組み》さて、ミラノ派家族療法について書いてきた。ひとつの理由は、これが心理療法家のミルトン・エリクソンの形式知になっているからだ。つまり、エリクソンが暗黙的にやっていたことが明示されているところがある。だから、ミラノ派を学ぶとエリクソンの理解が進むことになる。余談だが、ミラノ派を学ぶとオープンダイアローグが分かるのも副作用の一つだ(笑)。

ミルトン・エリクソンは誤解されているところも多い。例えば、「猫も杓子も最初から催眠誘導する」というようなものだ。

 これは誤解だ。詳細はこのあたりで書いた。まず、エリクソンはクライアントと充分な面接をする。共著者のアーネスト・ロッシによれば、面接の成果物が30ページ程度のメモ書きになる。そして、エリクソンは推敲に推敲を重ね、そのクライアントだけに適用できる、わずか数行程度の間接的な示唆を取り出す。そして二回目以降のセッションで、エリクソンはこれをクライアントにデリバーする。こういう手はずになる。

 要は、この「数行程度の示唆」がシステムのレバレッジ・ポイントに働きかけるように意図されていることだ。エリクソンのコトバは、一見、魔法の呪文のように思える。しかし、「数行程度の示唆」のその背景には膨大な「仮説-検証」があるということだ。

 では、エリクソンはこれをどのように行ったのか?

 MRI(Mental Research Institute)やミラノ派の家族療法を学ばないと永遠の謎ということになる。もちろん、100%ではないが、こういった技法には(第二次サイバネティックスなどの)システム論をモノサシに取り出したエリクソンの見立てが反映されているからだ。

さて、おしゃべりが過ぎた、

介入の質問》ミラノ派は円環的質問をすること自体が介入となる。これはエリクソンの間接アプローチの継承だ。セラピストは中立的な視点から質問だけを行う。これは、セラピストに対するクライアントの抵抗を回避することにつながる。ただし、介入はセラピストが介入を意図して行い、同じ円環的質問で充分な見立ての後、仮説にもとづいて実施する。介入の質問の中には、さりげなく、パラドクスやリフレーミングを挿入しておく。もちろん、クライアントが変わりたい方向に即している必要がある。

 一例だが、介入のための挑戦的な質問は、このあたりで書いた、ベイトソンの(統合失調症的)ダブルバインドをぶつけてみるとよいだろう。「奥さんに暴言をはくのはいつ止めるのか?」という具合。

 もちろん、逆に円環的質問の中に、エリクソンの(治癒的)ダブルバインドを入れておくとよいだろう。詳細はこのあたりで書いた。余談だが、家族療法の場合は意識/無意識のダブルバインドを「意識=あなた自身」「無意識=集合としての家族」ような感じで使うとよいように思う。例えば、「家族が問題の解決に取り組んでいる間、あなた自身は何かそのことに気づいているのかもしれません、で何かに気づいていますか?」のような質問。

さて、本題。

 








 個人的には、家族の個々の構成員の関係が「コンプリメンタリー」と「シンメトリカル」のどちらの傾向にあるか?また、それを強めるのか弱めるのか?[1] で眺め、関係性そのものにパラドクスを当てるような介入を考えているところがある。もちろん、家族や組織をシステムとして見ているのだが、案外役に立つのは言うまでもない。

余談だが、ミラノ派は1990年前後から日本に導入され、期待とは裏腹に急速に衰退していったという記事を何かの心理療法の本で読んだことがある。理由は、おそらく、エリクソンの技法やグレゴリー・ベイトソンの理論を深いところまで理解せずミラノ派の表面的なフレームワークを当てはめて使うということだけに終始した結果のようにも思える。もちろん、推測に過ぎないが。

 個人的には、ミルトン・エリクソンの暗黙知を説明するために都合がよいので書いているだけであり、実際に使っている技法はエリクソニアン・アプローチだ。ただし、やはりミラノ派のような形式知があると自分のエリクソンへの理解が広がるのも事実だ。

(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/10/blog-post_6.html

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
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2016年10月28日金曜日

ファシリテーションの技術:ミラノ派家族療法を応用する(番外編3)


                                                                                                                             
 どんなモノサシを当てて、どんな視点で物事を見るか?

     仕事でも、遊びでも、

 そこに一番、センスの良し悪しが出る(笑)。

 <ひとりごと>



モノサシの良し悪し

  備忘録として書いておく。

違いを生み出す違い》人類学者グレゴリー・ベイトソンの「A difference that makes a difference.」というコトバはとても重たい。人は何かと比較することでのみ、違いが分かる、ということだ。あるいは人それぞれが無意識に独自のモノサシで、それを比較している。

 人類学では、Aの文化とBの文化を比較する。この場合、AおよびBの文化は何れも自分の母国の文化でないことが求められる。理由は、不完全なメタの視点から「贔屓の引き倒し」にならないようにするためだと言われている。おそらくベイトソンたちはこういったことを完全に理解した上で、ミルトン・エリクソンの観察を行ったと推測される。

 具体的には、エリクソンの居る同じ部屋にカメラを設置し、その脇にグレゴリー・ベイトソンがいる。その部屋には、ワンウェイ・マジックミラーが設置され、そこで、MRIのメンバーとなるジョン・ウィークランドらが観察しているという構図がある。[1] [2]

 ベイトソンは、クライアントから見えているが、ウィークランドらは「メタの視点」ともいうべき鏡の向こうにいてエリクソンとクライアントのやり取りを観察している。彼らが賢かったのは、エリクソンを研究する上で、「観察する視点」に徹底的にこだわったところかもしれない。

こうすることで、はじめて中立的な「メタの視点」に立って物事を比較することができる。

サイバネティクスというモノサシ》さて、ベイトソンたちは、心理療法家のミルトン・エリクソンの技法に第二次サイバネティクス(Second Order Cybernetics) [3][4]をモノサシとして当て『MRI戦略的短期家族療法』の技法を作り上げた、つまりサイバネティクスとエリクソンの技法(あるいはその背景に哲学)を比較することではじめて違いとして体系が浮き上がってきた、という具合だ。

それから、MRIの技法はタンポポの種のように色々なところに広がる。一つはミルウォーキーへ飛びソリューション・フォーカスト・アプローチの芽がで、そして花が咲く。

 また、MRIの種は、風に乗ってイタリアに渡る。もちろん、同じイタリアでもMRIポール・ウオツラィックの弟子のジョルジュオ・ナルドネの『戦略的短期療法』を無視するわけではないが、ここで触れたいのは、ミラノ派家族療法だ。

 ミラノまで飛んだ種は、より構成主義やオートポイエーシスのシステム論で練りあげられるような形でリモデリングされ『ミラノ派家族療法』として体系化された。ミラノ派は家族や組織を生き物として扱い、円環的質問などの特徴を備えている。現在では、これがさらにフィンランドに渡り、『オープンダイアローグ』として応用されているようだ。[5]

 要は、形式知化された短期療法はシステム論の進化とともに、現在進行形で簡素化、先鋭化しているように思ってくる。もはや明示的な催眠誘導を行うことなしに、エリクソンが行ってきたのと同じ効果を得るような時代、となっている。

もちろん、エリクソンの暗黙知を暗黙知として学ぶエリクソニアンを否定するつもりはまったくない。ただし、こちらは博士号持ちの臨床家のようなちゃんとした先生につかないと学ぶのが難しいのはそのとおりだ。個人的には普通に使えるのだが、こういう手法は、使う場所を選ぶし、手法が人を選ぶので教えるのがまた難しいのは言うまでもない。要は、学習というのも教える側と学ぶ側のサイバネティクス的な相互作用ということになるので、理想は教える側と学ぶ側のそれぞれが一定レベル以上で、かつメタ視点としてのスーパーバイズが得られるというのが学習の条件となるだろう。

ここからは余談だ。

NLPはなぜ失敗しているのか?》同じエリクソン派生だがNLP(神経言語プログラミング)というのがある。現在はエビデンスがなく自己啓発に身を落としているので心理療法としてはどうよ?という位置づけだ。個人的には、こうなったのは、初期に使った観察のモノサシが悪かったか?とも思っている。逆に言うと、本来満たしていなければならない短期療法の要件を満たさないとどうなるのか?という実験としてはとても面白い。

 技法的には実験的家族療法家のヴァージニア・サティア、ゲシュタルト療法のフレデリック・パールズ、催眠療法家のミルトン・エリクソンの言語パターンを初期の生成文法で取り出したものだ。少なくとも表向きには、だが。

 しかし、実際にモノサシとして使われているのは一般意味論になっている。前提の一つにアルフレッド・コージブスキーからの引用で「地図は領土ではない」が使われていることを考えるとこれは明らかだ。この一般意味論での本来の定義は、「コトバはそれが示すモノではない」だ。これが拡大解釈されて、振る舞いと人格は別、事実と感情は異なる・・・とか色々な解釈がある。

実はこれが曲者で、一般意味論の3つの原則[6]のうち2つが使われていないというのがある。残りの2つは、「地図はすべの領土を表していない」と「地図は自己参照的である」だ。

 「地図はすべての領土を表していない」が抜け落ているのは、「部分と全体の円環的因果関係」が考慮されていない。ということになる。かわりに使われているのが「直線的な因果関係」[7]ということになる。つまり、お前が悪いのでこうなった、のような相互作用が考慮されていない因果関係となる。例えば、母親が登校拒否の原因は子どもにある、とか先生にある。のように単純な考え方だ。こういう単純な因果関係は、子どもがもっと強ければとか、先生がもっとしっかりしてくれれば。のような誰か一人スーパーマンが居てなんとかしてくれれば解決できる、のような考え方につながりやすい。もっと分かっている人もいる[8]ようだが、多くの人がこれに気がつくのはまだ時間がかかるのだろう。

 一方、円環的因果関係を持つMRIやミラノ派では、子どもと母親の相互作用にある、とか、子どもと先生の関係にあるとか、相互作用を考慮する。もっとも、これはシステム全体を考え、レバレッジ・ポイントになる人間関係に介入するような手段をとり、よりシステム全体からの解決を目指す。

 次に「地図は自己参照である」が、これは明示されていないだけで抜けてはない。例えば、サティアの4つのキー・・クエスチョンのような[9]自己参照的な質問が取り出されている。もちろん、この質問はサティア・カテゴリーのような人のタイプ分けのようなところがあるので個人的には、視点の固定化につながるため、あまり好みではないのだが。[10]

さて、そろそろまとめたい。

人は、自分の経験や学習において構築された枠組みで物事を観察する。もちろん、ここで重要なのはその視座と、どのような枠組みで物事を観察するのか?ということだ。そして、システム論的な視点で行動する。もちろん、一回では上手くいくことは難しいだろう。ここからフィードバックを経てシングルループ、ダブルループ・・・トリプルループと学習していくのが理想なのだろう。[11]

(つづく)

文献

[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/08/195811.html
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/08/blog-post_11.html
[3]http://ori-japan.blogspot.jp/2012/06/blog-post_27.html
[4]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html
[5]http://mentalhealth.vermont.gov/sites/dmh/files/Calender/Training/Open_Dialogue_090114.pdf
[6]http://ori-japan.blogspot.jp/2011/08/blog-post_15.html
[7]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/11/nlp.html
[8]https://books.google.co.jp/books?id=GlLeCwAAQBAJ&pg=PT67
[9]http://ori-japan.blogspot.jp/2011/09/blog-post_04.html
[10]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/06/40.html
[11]http://ori-japan.blogspot.jp/2011/12/blog-post_21.html


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
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2016年10月27日木曜日

ファシリテーションの技術:ミラノ派家族療法を応用する(その14)


                                                                                                                             
 組織や家族を扱う場合、

 関係性が時系列でどのように変化したのか?

 それは各構成員にとってどのような意味があるのかを問うのは重要だなぁ。 

 <ひとりごと>



観察するのは、関係の類型と強度

  備忘録として書いておく。

ピアジェの認識論》以前、ジェン・ピアジェの認識論について少し書いた。[1]   そもそも、人は、ついついこういった思考に陥るようだ、という指摘は非常に興味深い。



l        Egocentrism: 自分で考えていること感じていることが他人にも当てはまると考える
l       Centration:大きな全体の一部にしか注意を焦点化しない
l       All-or-Nothing Thinking: 二者択一、モノゴトを一か八かで見る
l       Irreversibility: 嫌な出来事などによってそれ以前の良い記憶、経験を忘れてしまう。
l       Inductive Logic: 帰納法、場合により過度の一般化が起こる。
l       Transductive Logic:近い時間に起こった出来事により関係性があると思う。
l       Animism:無生物にも生命、感情があると考える
  

 
 もちろん、こういったバイアスのかかった認識が問題を及ぼすのは、特に人間関係のように思われる。

 一例をとると、仕事や日常生活の場面でも、自分が考えていること、あるいは感じていることを他人にも当てはまると考えがちだ。こうやって、相手の要望を確認せずに、つい良かれと思って何かをやってしまうことも多いように思える。もちろん、これが上手くいった時は、相手へのサプライズとなるだろうし、逆の場合は、大きなお世話ということになるだろう。

 もちろん、コミュニケーションは状況やコンテクストによって動的に変化することが難しいのだろうが、何れにしても何をやるにしても十分な観察が必要なのは間違いないことだろう。


比較・分類の質問》ミラノ派家族療法の続き。今日は、円環的質問で③比較・分類の質問をするということになる。

 ポイントは、誰かの振る舞いが他の誰かにどのように影響を与えているのか? 当然、ミラノ派は、ミルトン・エリクソン、MRI派生であるので、家族をシステムとして観察し、「コミュニケーションの試案的公理」[2]でもって関係が〈コンプリメンタリー〉か〈シンメトリカル〉か?その強度が時系列的にどのように変化しているのか?を見極めるのが重要だ。結局、この関係にどのように介入するのかがポイントとなる。

 で、詳細は以下。















(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_31.html
[2]https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Watzlawick

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2016年10月26日水曜日

ファシリテーションの技術:ミラノ派家族療法を応用する(その13)


                                                                                                                             
 システムとしての組織を理解するには、

 いじって、要素と要素の〈関係性〉を観察してみることだなぁ〜(笑)。

 <ひとりごと>



人と人との関係性を観察する

  備忘録として書いておく。


 《二次情報という制限》コーチングやファシリテーションでもそうだが、圧倒的な制限が存在する。それは、クライアントの「コトバ」つまり二次情報を手がかりにコーチングやファシリテーションを行わなければならないということだ。二次情報とは自分ではそのことそのものを経験しておらず、人から聞いた情報だ。もちろん、クライアントと一緒に現場に動向して情報を取得しなければ、コーチやファシリテータが一次情報に接することにはならない。

 余談だが、クライアントが働いている現場に影のようによりそって適時フィードバックを行うのが「シャドー・コーチング」ということになるが、実際にシャドー・コーチングが使われることは稀だ。

 もちろん、現場に動向しても制限はある。いつも起こる典型的な出来事や障害のようなイベントがちょうど現場に動向している時に発生するか?ということだ。

 結局、現場に足を運ぶということはコーチやファシリテータが臨場感を高めることが出来るし、その現場に合わない突拍子もない解決策のようなものを提案することは少なくなるだろう。しかし、現場に出ても、結局は二次情報として人の話を聞く必要があるのだろうし、コーチやファシリテータが時系列的な視点などから全ての一次情報を取れるわけではないということだ。

関係性の類型を観察する》次善策として、いくつかの視点から二次情報を取得する、ということになるが、観察の対象が家族や組織となった場合、どこを観察したらよいのか?ということがある。

 結論から言うと、二次情報ではあるが、ある人とある人との〈関係性〉を観察するということになる。これは、比喩だが、鮨屋の水槽で泳ぐ魚の群れから、海で泳ぐ姿を想像するようなところもあるが、結局は水槽でも海でも〈関係性〉のパターンはそれほど変わらないだろうという仮定があるようにも思えてくる。

 詳細は、このあたりで書いたが、ここでの要点は、①問題定義の質問、②やり取りのシーケンスの質問、③比較・分類の質問、の3種類の円環的質問のうち②を使って、システムとしての家族を色々いじってみることだ。

 ここでのポイントは、構成員それぞれの関係が〈コンプリメンタリー〉なのか〈シンメトリカル〉なのか、それが過去から現在に渡ってどう変化してきたのか?よい関係にするためには、これをどのように変化させていけばよいのか?を観察するに尽きるということになる。

 質問と観察を繰り返し行うことが、介入のための精度の高い仮説の構築、それと具体的な介入をどうするのか?のような「変化のレバレッジポイント」をついた介入につながる。逆に言うと、ミラノ派の元ともなっているミルトン・エリクソンの催眠誘導だけを真似ても、システム論的な介入が出来なければ何の効果も得られないということだ。

 もちろん、ミラノ派では家族をオートポイエティックなシステムと見ている。したがって、現象としての一つの行動だけを見て介入をする、ということにならない。

 詳細は以下のようになる。









 結局、システムを観察するには、少しいじってみて、要素と要素の〈関係性〉を観察することに尽きる、ということになる。

(つづく)

文献
[1]N/A

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
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2016年10月25日火曜日

ファシリテーションの技術:ミラノ派家族療法を応用する(番外編2)


                                                                                                                             
 神社でやる「茅の輪くぐり」、

 個人的には、「茅の輪」を生命のメタファーとして見ている(笑)。

 <ひとりごと>



「環」をもって尊しとなす

  備忘録として書いておく。

新しい技法には新しい認識論》コロンビア大学のサーバに1987年4月号の「Journal of Marital and Family Therapy」[1]が落ちていた。で、心理療法家のミルトン・エリクソン+MRI派生のミラノ派の家族療法が従来の家族療法と根本的に異なる「認識論(Epistemology)」[2]を背景にしてあることが説明されている。

 個人的に感じているミラノ派のセンスの良さをシステム論的に説明するとこういうことになる。ちなみに、個人的にはシステム論から先に入っていて、ウンベルト・マトゥラーナやフランシスコ・ヴァレラの「オートポイエーシス」が先にある。これが一体何の役に立つのだろうか?の一つの答えがMRIやミラノ派家族療法だ、と捉えている。

 もちろん、マトゥラーナとヴァレラの見解が途中で違う方向にいったことも認識しているが、結局のところは、ミルトン・エリクソンの形式知化として「オートポイエーシス論」や「第二次サイバネティクス」が使われてエリクソンの技法の形式知がより人間ぽくなったと考えるのが妥当かもしれない。


In this paper , the "new epistemology" refers to the incorporation into family therapy of the cybernetic approach of Bateson (1972,1979), Maturana(1980), von Foerster (1973a,1973b), Vareal (1976,1979) and Verela & Maturana (1973). Theoretically , this has been accomplished by writers such as Keeney(1983) and Dell(1982,1985) , and in practice,by , among others , the Milan associates (Selvini-Palazzoli, Boscolo, Cecchin, and Prata, 1978) and their proponents (Tomm, 1984a, 1984b ; Hoffman,1981).

本論文では、「新しい認識論」は、ベイトソン(1972,1979) 、マトゥラーナ(1980)、フォン・フォルスター(1973a, 1973b) 、ヴァレラ、ヴァレラ&マトゥラーナ(1973)を示す。理論的には、キーニー(1983)やデル(1982, 1985)によって書かれ、(セルヴィーニーパラツォーリ、ポスコロ、チキン、よびプラータ 1978)によって実践され、トム(1984a, 1984b)やホフマン(1981)らの支持者がいる。

 
このあたりは、「ドラえもんは生物か?」[3]を引いて書いた。ここでの「新しい認識論」で現象を見てみるということは、生命を生命とし見るシステム論、つまりオートポイエーシスで見る、あるいは記述するということになる。余談だが、ヴァレラ、ロッシュ、トンプソンの著作「身体化された心」で取り組まれたのも、著者達は失敗と言っているが、システム論と仏教的円環的認識論の融合ということになる。



The new epistemology has seriously challenged family therapy , in that it has:
1. Critically reviewed family therapy theory. A primary concern of this critique has been whether or not family therapy concepts remained true to the cybernetic systems view as proposed by Bateson. Concepts of power and hierarchy , for example , have been criticized as linear concepts. The cybernetic view is , thus , proposed as a better theory for understanding living systems and , accordingly , families.

新しい認識論は、真剣に家族療法に挑んだ。それは、以下の点である。

1. 家族療法理論の批判的な再検討。ベイトソンによって提案されたように、この批判的な関心事項は、家族療法の概念がサイバネティクスなシステム論に対して依然、真かどうかということである。例えば、権力と階層の概念は、直線的な概念として批判されてきた。サイバネティックな見方は、これとは反対に家族にあるような生き物のシステムを理解するより良い理論となる。


 直線的な概念というのは、簡単にいうと「全体が部分を一方向的に規定する」というような概念だ。もちろん、会社でも上意下達が強すぎる組織はなんらか不自然な組織になる。

 反対に、家族にしても会社組織にしても、生き物によって営まれている組織は、「全体が部分に影響を及ぼす、また部分が全体に影響を及ぼす」というラグビーでいう「One for All , All for One」のような、円環的な因果関係が存在していることになる。こういう見方を提供しているのが階層を規定していない、神社の茅の輪のように円環として生命を規定するオートポイエーシスのようなシステム論となる。



2.Pointed to the clinical relevance of the family's "epistemology" or belief systems.Problems are understood as arising within systems of information and meaning; errors in "epistemology" are seen to lie behind any family problems.

2. 家族の認識論や信念体系の臨床的関連性の指摘。問題は、システム内で発生している情報と意味の理解から発生している。つまり、「認識論的なエラー」が家族の問題の背後にあると見られている。


 ベイトソン的には、家族や組織で発生している問題は、結局、「認識論」つまり、何をどのようなプロセスで認識しているのか?このやり方の誤りから発生していると考えているように思える。


3.Provided a description of the therapist/family system from a cybernetic perspective. Second order cybernetics, or the cybernetics of cybernetics, emphasizes the observer's inclusion and participation in the system(Keeney, 1983) and includes such concepts such as "self reference," "recursive processes," and the "construction of reality." The paradigm which includes both first and second order cybernetics will be referred to in this paper as the cybernetic paradigm.

3.サイバネティクスの観点からセラピスト/家族システムの(相互作用)の説明の提供。第二次サイバネティクス(サイバネティクスのサイバネティクス)はシステムにおける観察者の参加を強調する(キーニー,1983) 、また、「自己参照」「再帰的プロセス」「現実の構築」といった概念を含む。第一次および第二次サイバネティクスの両方がこの論文ではサイバネティクスのパラダイムとして参照される。


 ここで面白いのは、セラピストが権威的に家族に対して何か指示しているようなことではなく、セラピストと家族が対等[4]、あるいはセラピスト/家族、家族内に「部分と全体」の構図を見出し、これを生きているシステムとして参照しようと考えていることだろう。



4.Proposed an ontology, i.e, a theory of how the world is (Dell , 1985). This ontology emphasized the circularity and autonomy for systems and challenged notions of linear causality.

4.存在論の提案。例えば(デル, 1985)は世界はどのようであるのか?の理論。この存在論は、システムの円環性と自立性を強調しており、直線的な因果関係の概念に挑戦した。


個人的に、「オントロジー」と言えば、人工知能の実装である Semantic Web のプロジェクトをやった時に出てた概念だ、くらいの認識しかない。逆にいうと、哲学的なオントロジー、つまり存在論のような小難しい概念は想定していない。だから、ここでは、「自分が認識している世界に対してどのように意味を見出しているのか?」くらいの意味でしか捉えていない。

余談だが、ここでのデルは、テキサス大学出身の家族療法家のポール・デルのことを言っている。また、コンピュータ企業のデル(DELL EMC)の創始者であるマイケル・デルもテキサス大学出身だったことを考えるともしかしたら親戚なのかもしれない。まぁ、どうでもよいことだが(笑)。



The new epistemology differs markedly from general systems theory (von Bertalanffy, 1968). Second order cybernetics is of a higher order than simple ,or first order cybernetics ,which emphasizes the homeostatic and adaptive properties of systems and of second cybernetics (Maruyama , 1968) which emphasizes positive feedback in system transformation.

新しい認識論は、一般システム理論(フォン・ベルタランフィ、1968)と著しく異なる。二次サイバネティクスは、システムの変換で正のフィードバックを強調(丸山、1968)また、第二サイバネティクスはシステムの恒常性と適応特性を強調し、単純な、または一次サイバネティクスより高次である。


 ここに貢献しているのが日本人の丸山孫郎先生だろう。十数年前に日本に帰国されて、はこだて未来大学で教鞭を取られていたと思ったが、今は米国に戻られているはず。会社員時代の同僚らがここの大学と何か共同研究やっていたので、今度あった時に何か聞いてみよう・・・と思っている。

 さて、つらつら書いたが、結論はミラノ派は個人的な趣味にあっているということだ(笑)。

(つづく)

文献
[1]http://www.columbia.edu/itc/hs/nursing/m4050/baker/06InflGenRaceEthEco/mackin_miller.pdf
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_14.html
[3]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/03/blog-post_21.html
[4]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/09/blog-post_59.html

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2016年10月24日月曜日

ファシリテーションの技術:ミラノ派家族療法を応用する(その12)


                                                                                                                             
 冷静に、システムで起こっている《現象》を二重記述、多重記述してみる。

 差異が差異を生み出し、

 システムの全体的な《関係性のパターン》が分かり始めてくる。
 
 <ひとりごと>



まず、イッシュ−からはじめよう

  備忘録として書いておく。

システム思考の練度》少し前に大手製造業のトレーニング・マネージャと話をした時のことだ。この人が面白いことを言っていた。

「うちは、問題の原因分析をする時、まず個人の責任追及は保留してはじめます」

 つまり、Aさんがミスをして問題が起こったとしても、BさんでもCさんでも同じミスをする可能性がある。だから、これはミスをチェックできないシステムの問題ではないか?と、問題の原因を個人の責任ではなくシステムに求める思考、行動パターンを取る、とのこと。つまり、この会社はシステム思考の練度[1]がかなり高い会社だ、ということになる。

 もちろん、細かいことを言えば、ベイトソンがグノーシス派を引用して、無生物をプレローマ、生物をクレアトゥーラと分けたように、対象とするシステムが無生物なのか?生物なのか?あるいは混在なのか?は分けて考える必要があるだろうが、大まかな考え方として、何らかのシステムを対象として考えるのはよいことだ。

 反対に、いつも責任は個人にある、と考え、うっかり文化が体育会系だったりすると、事実に基づかない精神論に終始し会社はブラック化することになる(笑)。

さて、本題。

現象は問題ではない》心理療法家のミルトン・エリクソン+MRI派生のミラノ派の家族療法で面白いのは、随所に人類学のグレゴリー・ベイトソンの仮説や理論が組み込まれていることだろう。この技法が家族の組織としての課題、問題を質問することろから始めているのも偶然ではない。

 家族に、「今、何が問題、課題なのか?」と尋ねるところから始まる。ただし、ほとんどの人間は普段それほど深いシステム思考をしているわけではない。つまり、ほとんどの人は五感で捉えられるシステムの現れとしての《現象》自体が《問題》と思ってしまう。そして、《現象》に一々反応して、もっと大きなシステムのパターンを観察することに失敗してしまうことになる。だから、その《現象》もずっと繰り返される。いわゆる「モグラ叩き」の状態がこれにあたる。

 逆にいうと、ミラノ派の質問は、家族にもう少し大きなシステムを見てもらって、《現象》に一々反応するのではなく、まずは外在化[2]してもらって、冷静な気持ちで何が問題なのか?家族構成員それぞれの視点から記述するところからはじめよう、ということがこの方法論の面白いところだ。

 もちろん、ねらいは以下だろう、

  •  事実に基づいた、問題、課題についての共通認識をもつ
  •  ただし、大きなシステムの《現象》としての《問題、課題》
  •  これを将来の変化への「踏切台」にする

二重記述、多重記述》ミラノ派の問題を探る円環的質問について工夫されているのは、ベイトソンの「A difference that makes a difference.」に基づいて二重記述、多重記述[3]の質問が家族に投げかけられることになる。

 二重記述、多重記述は、簡単に言えば、立場(自分、相手、メタ視点)や時系列(現在、過去、未来〈仮説〉)を比較して記述してみることだ。

 要は、差異から情報が創発的に生まれることになる。このあたりは、グレゴリー・ベイトソンと長女のメアリー・キャサリン・ベイトソンとの著作「Angels Fear」[4]に書かれていた。余談だが、この著書、個人的には自炊して電子化し EPUBフォーマットでコンピュータに英語で読ませて聴いているので案外楽チンだ。

 さて、具体的な質問は以下になる[5]、 












(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/10/blog-post_16.html
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2012/10/blog-post_12.html
[3]https://books.google.co.jp/books?id=7NKbCwAAQBAJ&pg=PA30
[4]https://www.amazon.co.jp/dp/0025076701/
[5]http://www.aamft.org/members/familytherapyresources/articles/86_jmft_2_11

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2016年10月23日日曜日

ファシリテーションの技法:ミラノ派家族療法を応用する(その11)


                                                                                                                             
 Jazz Sax 奏者ジョン・コルトレーンのコルトレーンチェンジの変奏ではないが、

 ミルトン・エリクソンの技法をサイバネティックスにくぐらせると、

 変奏としての、MRIのやミラノ派家族療法の出来上がり。

 実は、戦コンさんがやっている技法とたいしてかわらなくなる(笑)。

 <ひとりごと>



〈介入〉=〈円環的質問〉+〈反応の観察〉

  備忘録として書いておく。

介入の方法》介入といっても特に何かをする必要はない。単純化すると、質問をしてその反応を観察することだけからなっている。ただし、これを上手くやろうとすると結構深いとこに行き着く。[1] 要は、ミルトン・エリクソンの技法をベイトソン的な第二次サイバネティックスをくぐらせて形式知化するとこういう形態になるということになる。

 ただし、これによって明示的な催眠誘導は使わなくても、同じことができるようになるという利点がある。もちろん、逆に、催眠導入だけ行っても適切な介入がなければ、面白いほど行動や思考、あるいは思考の枠組み、あるいは身体としてのボティースキーマには何も変化は起きないということになる。

 つまり、催眠導入だけを高額な金額をとって教えるような輩は例外なくボッタクリだということが論理的に理解できることになる(笑)。

 さて、もちろんミラノ派のやり方は利点も多い、一つは普通に会社の会議室で使える、ということだ。老子に和光同塵というのがある。本物は慎み深く、目立たない、というような意味だが、まさに普通の会話と観察のみをとおしてエリクソンと同じような効果を得ることができる技法と言えるだろう。

 同じ老子に最も優れた指導者は意識されることなく指導力を発揮する指導者というのがある。ここでも、最も優れたセラピストやファシリテ−は空気のようで目立たない、が組織に変化をもたらす、となるだろう。ある意味、ミラノ派やMRIが目指しているのはこういうところかとも思ってくる。

 さて、それで、実際の介入の方法は以下となる。












結局のところこういった方法論は、現象に一々反応するのではなく、集団でもっとシステム思考について考えることを促す方法論のようにも思えてくる。[2]

(つづく)

文献
[1]http://www.aamft.org/members/familytherapyresources/articles/86_jmft_2_11
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/10/blog-post_16.html

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