2016年11月28日月曜日

ミルトン・エリクソンの系譜:エリクソニアン・アプローチ再考(その20)


                                                                                                                             
 認知科学的には無意識は意識に上がってないワーキングメモリー。

 ベイトソンにとっては意識ー無意識は結ばれあうパターン。

 エリクソンにとっては意識ー無意識は単なるメタファー以上のメタファー。

 <ひとりごと>



エリクソニアンの無意識の定義は?

  備忘録として書いておく。

  ネットにエリクソニアンのマイケル・ヤプコのドキュメントが落ちていた。タイトルは「What is Ericksonian Hypnosis?」[1]で比較表を含んでいる。さらに、これにちょっと追記して眺めてみた。  

項目
古典(権威的)
標準(学術研究)    
エリクソニアン(利用)
個別対応
催眠状態は日常の延長
自然主義的
セラピストのスタンス
権威主義的
権威主義的/許容的
権威主義的/許容的
指示に従わせる
力関係
セラピストが強い
セラピストが強い
対等
指向
コンテンツ
コンテンツ
コンテンツ/プロセス
催眠導入の成功率
一部
かかる人だけが対象
一部
かからない人も統計を取る
基本的に全員
※催眠の定義の変更
抵抗の源泉
自己のみ
自己のみ
対人/自己
(家族療法への応用可)
抵抗への対処
対立もしくは解釈
対立もしくは解釈
利用
(ユーティライゼーション)
催眠の深さを強調
正規の非暗示性テスト
治療プロセスの構造
直線的
直線的
モザイク
セラピストの洞察の価値
症状の意図の見方
否定的
否定的
肯定的
症状の原因
自己
自己
対人/自己
(家族療法への応用可)
症状に対処/動態に対処
両方/いずれか
症状に対処
両方/いずれか
二次利得の認識
無意識の性質
否定的
(問題の原因)
否定的
(問題の原因)
中立
(問題の原因、解決の資源)
無意識の役割
受動的
受動的
能動的
暗示の有効性を強調
(経験の再構築をより強調)
介入で示唆される因果
直線的
直線的
円環的
パラドクス介入
利用アプローチはなし
計画されたパラドクス
利用アプローチに加えて
パラドクス介入
カウンターパラドクス介入

 19番目は、無意識の性質だ。事実関係を整理すると、エリクソンは、クライアントと話をする時に「意識: Conscious (mind)」「無意識: Unconscious (mind) 」というコトバを使っていた。おそらくこれ以上でもないし、これ以下でもない。それで、ヤプコの表を見ると、エリクソンを継承するエリクソニアンは無意識を問題を起こす要因でもあれば、解決策を思いつき、解決へ向けて行動する源泉でもあると中立的に考えていることが書かれている。

 このあたりは古典催眠がフロイトの無意識のモデルを基底にしているのとはまったく異なるということになる。もっというとネットで書かれているエリクソニアンじゃない人が書いたエリクソンの情報はフロイト派の無意識を前提にして書かれていることが多く、まったく当てにならないということが分かってくる。
 
 さて、 無意識について書かれた論文はいくつかある。個人的に好きなのは「認知的無意識:The Cognitive Unconscious 」[2]という題のUCバークレーのサイトにリンクされている論文。理由は、自分が Cognitive School なので単に趣味に合うということだ(笑)。補足になるが、「Dynamic versus Cognitive Unconscious」[3]にネオフロイト派の精神分析で仮定していた無意識と認知的無意識の違いなどが書かれていて面白い。

 もう一つは「適用的無意識: Adaptive Unconscious」[4]このあたりは比較的新しく、エビデンスベースドで書かれているので参考にしてもよいように思われる。

 さて、ミルトン・エリクソンの言っている「無意識」はどうだったのか?

 おそらく一番正確なのは、臨床催眠の学術誌American Journal of Clinical Hypnosisの「A Continuum of Hypnotherapeutic Interactions」 [5]での定義ということになるだろう。ちょっと読んでみる。


Unconscious :

Erickson frequently prefaced his use of this term by saying, “for convenience sake I speak about the conscious mind and unconscious mind,” (Zeig, 1980; p. 33) creating a distinction that, for him, had therapeutic utility. Presupposing a “more of you than you can ever be aware” is a powerful framework for organizing a person’s expectancy about therapy. 

It usefully proposes that there are always more resources, more flexibility, more range and capacity, than a person generally knows or believes. Bateson’s (1972, 1979) version of what is meant by unconscious is in accord with how we think of it: as the complex array of processes operating to keep the organism alive and functioning, that orient the organism in relation to its world. He also referred to it as that set of presuppositions that organize experience and perception, of which we are largely unaware.

無意識:

エリクソンは「便宜的に、わたしは意識の心と無意識の心について話します」としばしば前置きしてこの用語を使った(Zeig、1980; p.33)区別をして、心理療法に活用するためだ。「あなたが知ることができるあなたより大きなもの」を前提にすることは、心理療法についての人の期待を組織化するための強力な枠組みだ。

 それは、人が一般的に知っているか信じているよりも、常により多くの資源、より柔軟性、より多くの範囲と能力があることを役に立つ形式で提案している。ベイトソン(1972、1979)版の無意識が意味していることは、我々が無意識をどのように考えているのかと一致している。つまり、無意識は、生物を生きたままに保ち、機能するプロセスの複雑な配列として、生物をその世界に関連させて適応させる。ベイトソンはまた、それを経験と知覚を組織化する一連の前提と呼んでおり、そのうちの大部分は意識にあがっていない。

 
これを読むと、エリクソンは、ある意味、意識ー無意識をメタファーとして使っていたことが分かる。

部分と全体:一つは知覚されていて意識に上がっている部分、もう一つは意識に上がっていない全体。本当は知覚できないのが全体ということになるが、上手くハマれば、なんとなく、より大きな全体というものがあることが意識されることになる。クライアントがこれをメタファーとして解釈すると「あなたが見ていること、聞いていること、感じていること、だけが世界のすべてとは限りません」ということを暗黙的に示唆していることにもなるだろう。また、世の中の問題はおおよそ「総論賛成各論反対」のような構図になる。要は、個別の症状があるといって全体を否定することはないのだというようなことだ。その意味では、部分と全体を意識してもらうのも悪くはないのだろう。

無意識は中立:無意識は問題を起こしてもいるが、問題を解決する源泉あるいは資源となるものだと考えていたこともわかる。要は、無意識は中立であり、問題を起こしているのであればその使い方や意識ー無意識の関係性が問題であり、解決のためには、そうなるように使いましょうという、あるいは意識ー無意識の関係を変えましょう、というだけの話になる。

叡智・美・優雅を旨とする:また、エリクソンとベイトソンの気が合あったのは、それまでのデカルトの世界観ではなくベイトソン的な世界観を共有していたから、ということが推測される。[6]

意識-無意識の治療的ダブルバインド:また、技法的にはコトバのラベルを貼った意識ー無意識の関係を明示して、ここで治療的なバインド、ダブル・バインドのパターンが使えるということになる。[7]これはある意味、エリクソンのスプリットの技法ということになる。孫引きになるが[8]を読んでみる。


According to Erickson and Rossi(1979), the form of indirect suggestion called the conscious-unconscious double bind is based on the fact that while a person cannot voluntarily control unconscious  processes,  a person can consciously receive message that can initiate unconscious processes:

 エリクソンとロッシ(1979)によれば、意識ー無意識のダブルバインドと呼ばれる間接暗示の形式は、人が無意識のプロセスを自発的に制御することはできないが、無意識のプロセスを開始できるメッセージを意識的に受け取ることができるという事実に基づいている。

 The conscious-unconscious double bind is designed to bypass the         limitations of our conscious understanding and abilities so that behavior can be mediated by the hidden potentials that exist on a more autonomous level.(p.45)
意識 - 無意識のダブルバインドは、より自律的なレベルに存在する隠されたな潜在力によって行動がとりなされるように、意識的な理解と能力の制限を迂回するように設計されている(p.45) 
This form of suggestion can used to downplay the importance of conscious involvement while simultaneously attempting to initiate unconscious involvement. The following example of a conscious-unconscious double bind might be used during a therapeutic trance induction:

この形式の暗示は、無意識の関与を開始すると同時に意識的関与の重要性を低減するために使用することができる。 次の意識ー無意識のダブルバインド二重結合の例は、治療用トランス誘導の間に使用されるかもしれない:
  It doesn't matter whether you listen to me consciously, your unconscious is here and can hear and understand everything that I say.
あなたが私の言っていることを意識的に聞いているかどうかは関係ありません、あなたの無意識はここにあって、私の言っていることをすべて聞き、そして理解することができます。

 
ある意味、これはクリティカル・シンキング的な意識を回避して常識にじゃなされないで新しいアイディアを思いついたり実行するためのパターンとなっている。

 また、これ自体がスプリット&リンキング[9]であり、意識と無意識の葛藤を弁証法的に解決する道具であることが分かってくる。余談だが、第二次サイバネティクスでは、通常の一般意味論とは違って「地図は領土である」つまりコトバは実体と同じであると考える。[10] 本来あるかどうかもわからない無意識に対して「 無意識というコトバは無意識という実体と同じである」、とメタファーを実体を同じように取り扱える方法と考えるとエリクソンの意識ー無意識は単なるメタファー以上のメタファーとなっていて非常に面白いところではある。

(つづく)

文献
[1]https://www.hypnosisalliance.com/articles/What%20Is%20Ericksonian%20Hypnosis%20-%20Michael%20Yapki%20-%20Bernie%20Zilbergeld%20-%20Gerald%20Edelstein%20-%20Daniel%20Araoz.pdf
[2]http://ist-socrates.berkeley.edu/~kihlstrm/PDFfiles/ScienceCogUncog.pdf
[3]http://socrates.berkeley.edu/~kihlstrm/PDFs/2010s/2014/DynCogUncs_ECP_2015.pdf
[4]https://en.wikipedia.org/wiki/Adaptive_unconscious
[5]http://empresa.rediris.es/pub/bscw.cgi/d4453320/Teleska-Continuum_hypnotherapeutic_interactions.pdf
[6]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/11/blog-post_8.html
[7]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html
[8]https://books.google.co.jp/books?id=4M1scEcBrbUC&pg=PA377
[9]http://guilfordjournals.com/doi/abs/10.1521/jsst.1982.1.4.21?journalCode=jsst
[10]http://ori-japan.blogspot.jp/2012/06/blog-post_27.html

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