2016年12月27日火曜日

ミルトン・エリクソンの系譜:お悩みの構図はパラドクス(その9)


                                                                                                                             
 パラドクスに遭遇した時は、システム思考を始めるチャンスだ。

 俯瞰できるようにメタの視点を取って、

 より全体的な構図をよく眺めてみるところか始める。

 <ひとりごと>



パラドクスはシステム思考を始めるチャンスだ

  備忘録として書いておく。

   この記事で「いい大人がなぜ悩むのか?」について書いた。答えは、そこにパラドクスがあるからだ、というのがここでの答えだった。また、ここでのパラドクスを正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、実際に行動し、受け入れがたい結論が得られる」と定義した。

《パラドクスの類型と一般解は?》

  さて、ネットに落ちていた「Dilemmas and Tensions and Binds, Oh My!」[1] を読むと面白い。この中に典型的なパラドクスが9つ記載されているからだ。

 ここで、パラドクスを解決する方法はあるのか?

 もちろん、ここではパラドクスの類型と一般解としての方向性を考えている。

《9つのパラドクスの類型》

 さて、パラドクスの類型について書かれた表を上からひとつづつ見ていくことにしたい。もちろん、これが漏れなくダブリなく網羅しているのかは分からないが、日常生活や仕事の場面のパラドクスはある程度カバーしているように思われる。で、ここでは当然、人の認識ー行動を扱う、第二次サイバネティクスのレベルでの話になる。[2]


パラドクスの
類型
パラドクスの
要素
説明
両極性
両極端
《帯に短し襷に長し》
両極性は特定の状況でパラドクスを生む。例:意識か無意識か、敵か味方か、生か死か、理想か現実か、認知か行動か、個人か集団か、計画か実行か、理論か実践か、現状維持か変化か、分散か集中か、既製かオーダーメイドか、自由か責任か、短期か長期か、論理か直観か、一般か個別か、など。
ダブルバインド
分断
どっちかをやっても罰を受ける、やらなくても罰を受ける。
ジレンマ
分断
二つの選択肢、あるいは立場の対立、緊張が意思決定を難しくしていること
自己参照
一連のループ
自己をその原因として参照する円環的因果関係。トートロジー
好循環、悪循環
一連のループ
円環的因果関係。一連の原因ー結果のループが最初の原因にループバックする構図。
自己成就予言
一連のループ
予言をした者もしくはそれを受け止めた者が、予言の後でそれに沿った行動を取ることにより、的中するように導かれた予言のこと、予言と結果は円環的因果関係となる。

通常自己成就予言はダブル・バインドの構図を含む。通常は予言を受け止めた者が期待に対する証拠を受け入れると、それにそぐわないすべての証拠を拒否するようになる。自己成就予言は社会学者のロバート・マートンによって名付けられた。
もつれ
ひっくり返す
意図したものと、反対の結果を生み出す。適材不適所になる「ピーターの法則」、技術にたよると増々非効率化が進むなどがある
予期せぬ結果
ひっくり返す
行動を起こすと予期しない(通常は否定的な)結果がもたらされる
論理的パラドクス
ひっくり返す、一連のループ


 8つ目は、予期せぬ結果、ということになる。このドキュメントでは「ひっくり返す(どんでん返し)」のパターンに分類されている。

  予期せぬ結果というのは冒頭で書いたパラドクスの定義そのものだ。Wikipediaの Unintended Consequence [3]を読むと、予期せぬ結果について3つの類型が示されている。

 一つ目は、ビギナーズラックのように偶然によい意味で大きな成果が得られる場合だ、この場合は成功要因を認識しておかないと2回目、3回目の挑戦が心配だ。ただし、素人の強みで常識という名前の前提に囚われずに何かやってみるというのは強みではあるのだろう。

 二つ目は、予期した結果は得られるがそれ以上の予期せぬ副作用がある場合だ。だいたい世の中は成功もあるが、その副作用もあり、100%成功だけになることは少ない。健康のためと体を鍛えた結果、筋肉は付いたが内臓が悪くなった。などと笑えない話になるのはこのパターンだ。

 三つ目は、予期した結果どころか、まったく正反対の結果が得られるような場合だ。認知度をあげようとネットで変な広告をした結果、認知度が悪いほうで上がるような炎上などの場合だ。特に、これはシステムが開放系であるオープンシステムであることから起こる。ある意味創発的な炎上ということだ。

 もちろん、ここでは主に三つ目の予期した結果と正反対の悪い結果が得られるところに焦点を当てていることになる。

 それで、結論から言ってしまうと、パラドクスに遭遇した場合はシステム思考をするしかない。もちろん、ここには2つのパターンがあるだろう。そのパラドクスの「被害者」が自分でシステム思考を行う場合。もう一つは、パラドクスの「被害者」がコーチやセラピストなどの支援を仰ぐ場合だ。しかし、システムをより大きなところから観察してシステム思考をして打ち手を考える、これにつきる。ベイトソンたちがエリクソンを観察する時に、ワンウェイ・マジックミラーをつかったメタの視点で観察していたのも、(第二次)サイバネティクスを持ち込んだのも、こういった理由からだ。[4]  もっというとメタの視点から俯瞰できる視点を持つのもシステム思考では必須となる。迷路も近くの塔から見たら迷路ではなくなるという具合だ。

 それで、まずは「システム思考を促す5つの質問」[5] 「システム思考の練度を図る30の質問」[6]あたりからはじめてみるのがよいのだろう。

 もちろん、エリクソンの話をすると、頭で考えていること、これと体の感覚や運動とをある意味パラドクスとして切り離してメタ認知してもらうために、「リバース・セット誘導」[7]や「二重分離のダブル・バインド」[8]を使ったことになる。もちろん、認知科学的な前提知識がない人がこれを見ると不思議な何かに見える。予想しない結果が起こるパラドクスでもある。しかし、ここに決して不思議なことを見てはならない。結局、種も仕掛けある話だからだ。

 こんな時は、メタの視点を取って徹底的にシステム思考をしてみることだ。安直な解決を目指していけない。まずは、ここになんらかのパターンを見出すことだ。上で書いたシステム思考を促す質問を問うてもよいだろう。もちろん、これは意地悪な書き方かもしれない。メタの視点を取れないからパラドクスにあえいでいるわけなのだろうから。だから、本当は、パラドクスは視点を上げるジャンプ台ということになるわけだ。親切にかけば、現在パラドクスにハマってにっちもさっちもいかない状態からメタの視点を取るためにパラドクスを使うというのが正しい認識なのだろう。まぁ、禅問答と同じ要領だ。

 さて、パラドクスから見えてくるパターンは案外おもしろい。もちろん、パラドクスは第二次サイバネティクス的に(そのシステムの矛盾から出られていない)観察者からみたパラドクスだ、パラドクスをパラドクスではなくすには、その枠組みから出る必要がある。


(つづく)

文献
[1]http://www.gwiznlp.com/wp-content/uploads/2014/08/Dilemmas-Tensions-and-Binds-Oh-My.pdf
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/12/blog-post_14.html
[3]https://en.wikipedia.org/wiki/Unintended_consequences
[4]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/08/blog-post_11.html
[5]http://ori-japan.blogspot.jp/2014/09/blog-post_3.html
[6]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/10/blog-post_16.html
[7]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/06/blog-post_18.html
[8]http://ori-japan.blogspot.jp/2011/11/blog-post_3402.html

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
https://www.facebook.com/Okirakusoken-236949276723679

――

0 件のコメント:

コメントを投稿