2016年12月8日木曜日

ミルトン・エリクソンのアプローチとは?(その4)


                                                                                                                             
 一期一会も視点を上げると繰り返されるパターンは見つかる、

 まぁ、コレ自体がパラドクスでもあるのだけれど(笑)。

 <ひとりごと>



比較表はメタファーであってメタファーではない(笑)

  備忘録として書いておく。

 少し前に、エリクソニアンのマイケル・ヤプコの比較表を引いて心理療法家ミルトン・エリクソンのアプローチの特徴を書いた。

 今度は、同じエリクソニアンのスティーブン・ギリガンの「Therapeutic Trances」[1]からの比較表を眺めてみた。


権威的アプローチ
(古典催眠)
標準的アプローチ
(学術検証)
協力的アプローチ
(エリクソニアン)
使用される状況
ナイトクラブ、
治療(麻酔がない時代の外科手術、歯科)

学術的かつ実験的研究
心理療法、治療(歯科など)
目的
〈エンターテイメント〉
聴衆を楽しませる、誤解させる、驚かせる
〈学術研究〉
特定の現象を研究する
〈心理療法〉
認識や行動の変化を促す
焦点
催眠術師
被験者
セラピストと被験者の
協力的な関係
施術家のコミュニケーションのスタイル
直接的で威圧的な命令
標準化された変化のの示唆(通常は許容的)
極度に柔軟、クライアントのパターンに適応的
被験者の一般的なタスク
異様で普通でないパフォーマンス
実験的な指示に従う
安全な人間関係の中で親密な人間関係を開発する
催眠導入の長さ
短い
短い
多様、しかし通常は30分から60分の催眠導入
催眠にかからない場合の反応の解釈
被験者は抵抗するものだ
被験者は催眠感受性が低い
セラピストはクライアントの特定のパターンに順応する必要
療法家の興味の対象
被験者の振る舞い
被験者の振る舞い
被験者の内的経験と結果としての振る舞いの変化

 3つ目は焦点だ。マトゥラーナとヴァレラの『知恵の樹』[2]に「いわれたことの全てにはそれをいった誰かがいる」というのがあった。人は気を抜くと一人歩きしているコトバだけに注意を向けてしまうようにも思える。その意味ではコトバは円環的な相互作用を記述するのには向いていないのかもしれない。[3]

  こうならないためには、(第二次)サイバネティクスを当てて対となる反対側との相互作用を観察してみることだ。[4] これを、ベイトソンのコトバで言えば「The Pattern that connects . (結ばれあうパターン)」[5]を観察するということになるだろう。日常生活や仕事の場面でも相互作用としての結ばれあうパターンに着目することで何かを発見することは多い。この比較表をこのパターンのメタファーとして読むとまた一層面白いことに気づく。もちろん、メタファーだから日常生活や仕事の場面に持ち込んで役立てることが可能になる。

 さて、表を眺めてみる。

 一つ目の古典催眠は、催眠術師に焦点が当たることになる。関係としては「キラキラ☆スター」である催眠術師とその他大勢の観客という具合だ。落語や漫才と一緒で、催眠術師がステージに上がっても注目されないのであれば華がないということになる。ここで、ショーの演出としては催眠術師が何か不思議な力を持っていて、「コマンド&コントロール式」のやり方でステージに居る相手を催眠状態で操る、という雰囲気を出すのがある意味ポイントだ。ショーは非日常を楽しむものだからだ。もちろん、ここにも催眠術師と催眠をかけられている相手、という関係を発見することになる。

 余談だが、この関係を安直に日常に持ち込むのは要注意だ。企業の創業ワンマン社長だと社内で「コマンド&コントロール式」のマネジメントを取れないことはない。しかし、顧客とか市場になると自分のコントロールの外にあるのは明らかだからだ。コントロールできないもの、あるいはコントロールの範囲外にあるものをコントロールしようとするとそこには無駄な労力なりが発生するし、こういった発想自体がそもそも無駄だからだ。実生活では、山には歩いて行くもので、山は動かすものではないのは明白だ。

 仕事でも日常の場面でも自分のコントロールの外にあることは多い。なんらかの認知バイアス[6]を持った人は「人を支配できれば世界は自分の思い通りになる」と考えているのかもしれない。しかし、実際にはこういったマネジメントを取ると組織の硬直化を招くことになる。理由は、こういう考え方は閉じたシステムのある特定の条件のみで有効だからだ。外から情報が自由に入ってきたり、外部環境などの条件が変わると、たちまち機能しなくなる。また、こういった考え方は直線的な因果関係を前提にしているのでデカルトの世界観で生きていることになる。[7] もちろん、デカルトの世界観は部品が交換可能な無生物の世界では有効なことも多いが、こういった世界観を人間関係に持ち込むと窮屈になったり破綻することも少なくない。

 英国人サイバネティストのウィリアム・ロス・アシュビーの最小多様度の法則「システムが変化し続ける環境に適応するためには、環境が持つ多様度以上にシステムは多様度を持つ必要がある[8]を思いだす。結局、世の中にはコントロールできるもは少なくて、自分を含むシステムが変化に適用し続けていかなければならないということだ。企業が組織の持続的発展のために、社内の多様度を増すためにダイバーシティ・プログラムを実施している本当の目的はここにあるのは言うまでもない。もちろん、サイバネティクスの分からない人事は「多様性ではなく、オッサンと同じ発想しかできない、オッサンの皮を被った女性管理職を増やせ!」と、いうようなトンチンカンになりがちなのだが(笑)。そういったことを考えながら表を眺めてみるのも面白い。

 2つ目の学術研究の催眠は、被験者に焦点があたる。サイバネティクス的に反対側に焦点を当てると、施術者は徹底的に標準化された方法で誰がやっても同じ、という手順までに落としてその効果が検証される。何が条件で何が変数になるのか?徹底的に調べるために使われることになる。これは、「自分が治ったので効果がある」という思い込みに対するカウンターともなる。つまり、私みたいに意地悪な人間は、「自分が治ったので効果がある」と言っている人には「母集団の数はどれくらいですか?」「メタ分析は?」「二重盲検は?」・・・・「えぇ、たった1例だけ?(笑)」という流れで問い詰めることになる(笑)。もちろん、ここには本当に何が効果の要因となるのか?を徹底的に調べることで、クライアントに不利益のないようにという良い意図から来ているのは間違いない。もちろん、敢えて欠点を指摘すれば、複雑系などを想定しない学術研究は直線的な因果関係を想定していることだ。

 3つ目のミルトン・エリクソンのアプローチは簡単に言うと、「一期一会」ということだ。昔、Jazzピアニストのハービー・ハンコックがバンドマスターの「V.S.O.P」というバンドがあった。この意味は、Very Special One-time Performance で、顧客との相互作用を含めその演奏は二つと同じものはない一期一会の演奏、ということになる。もちろん、こう書くと格好良く聞こえるが、学術研究的な再現性の点からはどうよ?ということになる。

 もちろん、ここで一々反論しても仕方がない、Jazz が即興演奏をするように、クライアントとラポールを築いた後、エリクソンはクライアントの変化を支援するために偶発的な出来事を何でも即興的に利用(ユーティライゼーション)したのは事実だからだ。余談だが、心理療法の効果に及ぼす要因について書いた。具体的には、実際の心理療法の効果に及ぼす要因は、①40%は治療外要因、②30%. は治療関係要因、③15%はクライエントの期待(プラセボ効果など)、④15%は技法要因(Assay & Lambert,1999) だ。[9] これからすると、エリクソンは直感的だが単に技法を手順通りに杓子定規に実行するより、偶発的な出来事を[クライアント-セラピスト]で構成されるセラピー・システムに取り込んだほうが効果があると気づいていた節がある。その意味、エリクソンのセラピー・システムは外に開いているオープンシステムと言えるのだろう。

 さらに、幸運なことに、ベイトソン達研究者はアホではなかった、ということがあげられるだろう。彼らはクライアントとセラピストの「(創発的、円環的)関係性」に着目し、ワンウェイ・マジックミラーとメタの視点でこれを観察することにした。[10] 逆にいうと、エリクソンの技法は、関係性のパターン以外捉えようがなかったということだ。これで、ある程度パターンが分かったことになる。これは、ハービー・ハンコックがブルースなのにミクソリディアンスケールを当てて、そこからスケールアウトするフレーズを格好よく弾いているのと同じノリで、ベイトソン達は、エリクソンが、クライアントと建設的な関係を築き、クライアントがある人とコンプリメンタリーな関係がなくなって疎遠になっているところに、パラドクス介入をしてもう一度関係を強化してみれば?のような事例の背景にある何がしかのメタ・パターンが見えていたからだ。

 何れにしても、クライアントと対等で協力的な関係を築いて[11]、偶発的な出来事でも、ミスでも失敗でもなんでも利用して、その状況で役に立ちそうな資源・資質を引き出し合って試行錯誤していくというのは重要なことには違いない。

 もちろん、この話を何に結びつけるのか?この「結ばれあうパターン」は各自が考えればよいことなのだろう。だから、これはメタファーでもあり、メタファーではない(笑)。

(つづく)

文献
[1]https://books.google.co.jp/books?id=rNe8zXXAqDEC&pg=PA12#v=onepage&q&f=false
[2]https://www.amazon.co.jp/dp/4480083898/
[3]http://ori-japan.blogspot.jp/2011/09/blog-post.html
[4]http://www.facstaff.bucknell.edu/jvt002/brainmind/Readings/SecondOrderCybernetics.pdf
[5]http://www.global-vision.org/papers/PatternThatConnects.pdf
[6]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_21.html
[7]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/11/blog-post_8.html
[8]http://ori-japan.blogspot.jp/2011/10/law-of-requisite-variety.html
[9]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_27.html
[10]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/08/blog-post_11.html
[11]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/11/blog-post_15.html

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