2017年5月24日水曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 144日目


                                                                                                                            
    コミュニケーションの公理的に表現すると、

 物語を語らずにいられるわけはない(笑)。

 日常生活や仕事の場面でも大いに役立つ。

   <ひとりごと>




はじめに

 備忘録として、



 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 144日目について書いておきたい。


実験として誘発される神経症のための複雑なストーリー
 
 「The Method Employed to Formulate a Complex Story for the Induction of an Experimental Neurosis in a Hypnotic Subject (1944)」から。著者はミルトン・エリクソン。

 エリクソンはクライアントの認識の枠組みや行動の変化を支援するために、クライアントを催眠下において、メタファーやストーリーを話すというようなやり方で治療を行うというようなスタイルで知られている。

 それで、このようなやり方がいつ始まったのか?は昨日書いた1935年に書かれた早漏の男性を治療した時にストーリーが使われた話あたりからということになる。このあたりではエリクソンは経験と勘でこのストーリーをつくっているように思われる。

 この論文ではそれから10年弱立っているが、人類学者のグレゴリー・ベイトソン、マーガレット・ミード他に相談しながら、一体どのようなロジックでこのストーリーがつくられているのか? 

 催眠下で話されるどのコトバのフレーズがどのようにクライアントに影響を与えているのか?推測されているのがこの論文の趣旨となる。

 それで、今日のところは、その出だしとなっている。現在は、このあたりのことはメタファーのロジックがアブダクションであるとか、具体的にメタファーをどのように作成してどのようにデリバーすればよいのか?はかなりのところが明らかにされているところがあるが、エリクソンがそれを経験的に発見している、というような内容でもある。

・・・・・・・・・

 余談だが、ネットに「Metaphoric Structure in Mind and Nature」というタイトルの少し怪しい文章が落ちている。これはリチャード・コップのメタファーについて書かれている。エリクソンはクライアントを見立て、エリクソンがメタファーをつくり、そしてクライアントにエリクソンが語りかけているが、コップの場合は、クライアントに質問をしてクライアント自身にメタファーを作成してもらうような形式になっている。ある意味、コロンブスの卵的なパラダイム・シフトでもある。現在の、メタファー・オブ・ムーブメントやクリーンランゲージにつながる話になってくる。

 このあたりの全体から見た流れは「Metaphoria」か、ランクトンの「The Answer Within」あたりを読むと体系的なことが分かるだろう。



随考

エリクソンの技法について、個人的にテーマにしていることがある。それは、

  • エリクソンは、クライアントの情報の何を収集していたのか?
  • クライアントの世界観と変化の支点をどのように見立てていたのか?
  • 何を基点にどのように介入して変化を起こしていたのか?

これらは、かなり根幹のところだ。突き詰めるとライフワークになりそうな内容でもある(笑)。もちろん、「既存の枠組みを超えた認識や行動」を実現するコーチングやファシリテーションにも大いに役立っている。また、コンサルティングのユーザへのインタビュー等でもエスノメソドロジー的な手法で情報収集ができるし、チェンジ・マネジメントでもユーザの組織の変化を支援できる手法となる。

 これに関連して、ネットに「Ericksonian and Milan Therapy (1984)」というタイトルの論文が落ちていたので読んでみた。

 なぜ、エリクソニアン・アプローチとミラノ派を混ぜるのか?

 まず、エリクソンのアプローチはどこが催眠誘導でどこが深化でどこが介入なのか?というのが曖昧なところがある。プロセスについてはこのあたりで書いた。それがエリクソンの技法を分かり難くしているところがある。おそらくこれが「催眠誘導に成功すればなんとかなる」という誤解を生んでいるように思われる。実際には、催眠現象を利用(Utilize)しながら、適切な介入を行わないと変化が起こることはない。

 ではどうしたらよいのか?

 ということになるが一つの案がエリクソニアン・アプローチとミラノ派を混ぜるという具合になる。取り敢えず催眠のところだけはエリクソニアン・アプローチを使い、

  • クライアントの情報収集
  • クライアントの世界観の見立て
  • クライアントへの介入
 
 についてはある程度形式知化されたミラノ派家族療法を使うというやり方になる。もちろん、ピュアなエリクソニアン・アプローチなのか?というと、そうではないだろうが、少なくともベイトソン的な第二次サイバネティクスをくぐらせて形式知化されたアプローチを源流のエリクソニアン・アプローチと混ぜるというのは親和性という意味では、ありなのだろう。

 ちなみに、ミラノ派の特徴は、❶仮説に基づく(AS-IFを試す)❷円環的質問(円環的因果を含むシステムを考える、間接的な介入)❸中立性(振り回されたり、共依存になるのを防ぐ)ということになる。この論文の影響を受けたわけではないが、自分のコーチングやファシリテーションがこのようなアプローチになっている(笑)。ただし、あくまでも論理的に試行錯誤した結果がこれだ。

さて、このアプローチの利点は何か?おそらく以下のようになるだろう

  • 催眠は使っても、使わなくてもよい、ただし使う場合はエリクソニアンっぽくやる
  • クライアントの情報収集、見立て、介入はミラノ派で行う
  • システム全体を見てレバレッジ・ポイントに介入する
  • クライアント一人が対象でも背景にあるより大きなシステムを考慮できる
  • パラドクス介入、カウンター・パラドクス介入込み
  • 既存の枠組みを越えた認識、行動の変化が起こせる
 
 それで、介入の基点はやはり関係性におく。そして、家族なり組織なりシステム全体を見て、どこの関係を調整すればよいのか?という視点で介入することになり、これが案外格好がよい。クライアントがある人の振る舞いにハラを立てるのも、ある行為を見て悲しく思うの、システム全体の関係性を見て適当なところに介入するという具合だ。仮に、対象がクライアント一人でその人が気にしている問題行動の修正だったにしても、その人を取り巻くより大きな人間関係や組織のシステムへの影響や関係から始めるという具合だ。

 もちろん、これは 最終的には関係性において、コンプリメンタリな関係を強化したり、シンメトリカルな関係がエスカレーションするのを緩めたりということになるだろう。もちろん、場合によってはコンプリメンタリな関係を弱めて「縁切り」ということになるのかもしれないが。

 何れにしても、わけも分からず催眠、催眠というより、情報収集、見立て、介入についてはミラノ派をもってくるというのはありと言えばありなのだろう。これが出来た後で、状況によってエリクソン的な催眠を使えばよい、というだけの話だからだ。
  
5月24日の進捗、1136ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 43.0%)

Volume III
HYPNOTIC   INVESTIGATION OF   PSYCHODYNAMIC PROCESSES

The Method Employed to Formulate a Complex Story for the Induction of an Experimental Neurosis in a Hypnotic Subject Milton H. Erickson Reprinted with permission fromThe Journal of General Psychology, 1944, Vol. 31, 67-84.



(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
https://www.facebook.com/Okirakusoken-236949276723679

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2017年5月23日火曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 143日目


                                                                                                                            
 曖昧さを説明するのは、

 統語、音韻、意味、存在の4つくらいの視点は必要だなぁ。

 で、曖昧さは不確実さとは違う(笑)。

   <ひとりごと>




はじめに

 備忘録として、



 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 143日目について書いておきたい。


催眠で引き起こされた神経症の研究
 
  「A Study of Experimental Neurosis Hypnotically Induced in a Case of Ejaculatio Praecox(1935)」から。

     内容は、心因性の早漏で悩んでいる若い男性の被験者がいる。この男性に対して、催眠を使い、第二の強迫観念を伴う神経症を引き出す。第一の神経症である早漏に第二の神経症をぶつけるような格好になっている。

 被験者は早漏の状態から回復し、1年半以上もこの状態が続いていることが報告された。ある意味、毒をもって毒を制すというようなアプローチとなっているが、これがどのようなメカニズムで引き起こされているのか?考察されているのがこの論文となる。

・・・・・・・・

随考

    Youtubeにエリクソンの映像が転がっていたので視聴してみた。1977年なのでエリクソンの晩年近い映像となる。場所はおそらくアリゾナ州フェニックスの自宅。で、デモの一部。


 

 字幕がついているのでかなり理解し易いだろう。個人的なメモは以下だ。


  • 冒頭、無為の為
  • それから、アーリーラニング・セットによる催眠誘導
  • それから、心拍数、血圧、筋肉の硬直具合の変化の示唆
  • 声の主の幻聴の示唆
  • 学生時代の記憶を思い出すような示唆
  • 現実だが脳の中で起こっているという示唆
  • You、HE、We、They を巧みに切り替えて視点を変えている
  • 過去からの学びを示唆
  • ・・・・・・・・
 スクリプトを起こして解説し始めるとすぐに10ページ、20ページにはなりそうな感じはするが、曖昧さを含む故に、案外深い内容になるということだ。
 
5月23日の進捗、1128ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 42.6%)

Volume III
HYPNOTIC   INVESTIGATION OF   PSYCHODYNAMIC PROCESSES

A Study of an Experimental Neurosis Hypnotically Induced in a Case of Ejaculatio Praecox Milton H. Erickson Reprinted with permission fromThe British Journal of Medical Psychology, Part I. 1935, Vol. XV.






(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
https://www.facebook.com/Okirakusoken-236949276723679

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2017年5月22日月曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 142日目


                                                                                                                            
 禅とパラドクスとイノベーション(笑)。

   <ひとりごと>




はじめに

 備忘録として、



 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 142日目について書いておきたい。


休刊日
 
  新聞の休刊日ではないが、今日の分は昨日読んでしまったので今日はお休み。

 たまには、こんな日があってもよいのだろう(笑)。

随考

    個人的なテーマとして心理療法家のミルトン・エリクソンがどのような理屈で、クライアントの認識の枠組みや行動の変化を支援したのか?ということについて非常に興味がある。既存の枠組みを超えて何かを行うことは一般的に言われる「イノベーション」につながる話でもあるからだ。

 結論から書くと、この理屈でもあり技法でもあることに〈ダブル・バインド〉がある。
 
 つまり、エリクソンはクライアントを癒やすための技法つまり How として〈治療的ダブル・バインド〉を使い、人類学者のグレゴリー・ベイトソンたちはこれから統合失調症の原因仮説つまり Why としての〈統合失調症的ダブル・バインド〉を理論化した、ということだ。

 エリクソンというと催眠というキーワードが浮かぶが、エリクソンの本質は、エリクソン的な治療的「禅問答」にあるわけであり、クライアントへの催眠や暗示で催眠導入に成功しても、ここで認識の枠組みを越えた大きな変化が起こるわけではない、ということだ。

 このあたりで書いた。
 
  これに関して、Youtube にアラン・ワッツの語っているダブル・バインドがアップロードされていたので視聴してみた。

 アラン・ワッツ(1915-1973)は英国生まれの哲学者で作家だが、グレゴリー・ベイトソンらの定義するダブル・バインドの定義から始まって自身の考える思想めいたものを面白く語っている。ワッツが面白いのはダブル・バインドと禅の共通性を見ていたことだ。




  ネットに「Double Binds」というタイトルのワッツ関連の怪しい文章が落ちていた(笑)。


Usage in Zen Buddhism: According to philosopher and theologian Alan Watts, the double bind has long been used in Zen Buddhism as a therapeutic tool. The Zen Master purposefully imposes the double bind upon his students (through various "skilful means", called upaya), hoping that they achieve enlightenment (satori). One of the most prominent techniques used by Zen Masters (especially those of the Rinzai school) is called the koan, in which the master gives his or her students a question, and instructs them to pour all their mental energies into finding the answer to it. As an example of a koan, a student can be asked to present to the master their genuine self, "Show me who you really are". According to Watts, the student will eventually realize there is nothing they can do, yet also nothing they cannot do, to present their actual self; thus, they truly learn the Buddhist concept of anatman (non-self) via reductio ad absurdum.


禅仏教における(ダブル・バインドの)使用法:哲学者であり神学者のアラン・ワッツによれば、ダブル・バインドは長い間、禅仏教において治療の道具として用いられてきました。 禅師は意図的に、彼らが覚りを達成することを望んで、彼の弟子にダブル・バインドを意図的に課しています(さまざまな「巧みな手段」、upayaと呼ばれます)。 禅マスター(特に臨済宗)が使用する最も顕著な技法の1つは、公案と呼ばれ、マスターが弟子に質問をして、精神的な力を注いで答えを見つけるように指示します。公案の一例として、生徒は自分の本当の自己をマスターに提示するように求められます。 ワッツによれば、弟子は最終的に彼らが実際に自分自身を披露するために何もできないものは何もできないことを認識します。 したがって、弟子たちは、背理法による非自己を通して本当に仏教の概念を学ぶことができます。

 
確かに、ワッツの著作「The Way of Zen」あたりにこういったことが書いてあった記憶がある。

 背理法と言えばナーガルジュナの『中論』にある空のロジックが背理法と近似と語られる場合がある。あくまでも近似ということだが。ワッツはダブル・バインドの「中論」で延々語られる背理法的な自己認識を見ていたということになる。

  ジェイ・ヘイリーの「Zen and  The Art of Therapy 」にワッツのことが言及されているところ読むと、変化の理屈としては禅との共通点を見ていた、ということが分かる。

 結局、エリクソンがやっていたのはクライアントを催眠状態に誘導して、背理法、あるいは弁証法的なロジックでクライアントの認識の枠組みや行動の変化を支援していたということになる。もちろん、禅とエリクソンが同じといいたいわけではなく、あくまでも近似的に共通した何かがある、ということなのだが、変化の技法の本質が似かよったものになるというのは間違いないのだろう。

 何れにしても枠組みを超えてイノベーションを行う方法も、枠組みを超えて人を癒やす方法も認識論に還元してみれば、同じようなことだ、ということなのだろう。

 
5月22日の進捗、1120ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 42.3%)

Volume III
HYPNOTIC   INVESTIGATION OF   PSYCHODYNAMIC PROCESSES








(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
https://www.facebook.com/Okirakusoken-236949276723679

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2017年5月21日日曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 141日目


                                                                                                                            
 エリクソンの技法でメタファーとユーティライゼーションが使えないのは、

 Jazz でいうと、

 Fのブルースで格好いいインプロビゼーションができないようなものだな(笑)。

   <ひとりごと>




はじめに

 備忘録として、



 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 141日目について書いておきたい。


言葉からの連想と動作、感情の反応
 
「Study of Hypnotically Induced Complexes By Means of the Luria Technique (1934)」
から。著者はポール・ヒューストン、ディビッド・シャコウ、ミルトン・エリクソン。

 これは初期のエリクソンの論文だがかなり真面目に心理的なテストを行っている様子が分かる。

 概要を書いておくと、こうだ。方法としてはルリア法を使う。ここではルリア法は手のひら等の動作を使い感情の葛藤を解消する方法とある。そして、まずは被験者から話を聞く、ここで出た単語を色々洗い出す。まずは、覚醒した状態で、ここで出た単語を被験者に話、言葉と同時にタンブラーを握ってももらってその圧力など動作をキモグラフで測定する。
 
 また、この被験者を催眠状態にして同じ単語にどのように反応しているか比較をする。

 簡単にいうとこんな感じだ。実際には実験なので細かい条件があるがここでは詳しくはかかない。

・・・・・・・・

 で、サマリーは以下。

情緒的葛藤を検出するルリア法の妥当性をテストするために、ルリア法の実験の1つが繰り返された。固定観念は催眠的に誘発された。言語的、自発的、不随意的、および呼吸応答の視点で調査された。 4人の男性被験者と8人の女性被験者を用いた。得られた結果と示唆された解釈は以下。

  1. 9人の被験者がストーリーを受け入れたという証拠は、彼らがしたことを彼らに伝え、それに深い反応をもたらしたという証拠があった。
  2. これらの9人の被験者のうち6人において、ルリア法のいくつかの非言語(運動)側面が、催眠状態または覚醒状態のいずれかで葛藤の存在を明らかにした。催眠状態のこれらの被験者は、一般に、比較的少数の非言語障害を伴う確執に明確に関連する口頭の応答を与える傾向があった。覚醒状態では、非言語障害の相対的重要性は口頭で増加した。この仮説は、「表出のレベル」が存在する可能性があることを示唆しているので、確執によって生じた興奮が口頭で吐き出されなければ、自発的かつ非自発的な運動レベルへの広がりがある。この仮説が示唆するところは、ルリア法の運動面の時には確執の存在を明らかにしないかもしれないということだ。
  3.  他の3つのケースでは、ストーリーを受け入れた被験者が、ルリア法が確執の存在を明らかにしたという証拠は欠けていたか、または疑わしい特徴を備えていた。これらの3つのケースは、人の葛藤が言語反応に及ぼす影響を特に参考にして議論されている。
  4. 固定観念を受け入れることを拒否した3人の被験者からの結果は、被暴行行為は、被験者が自身の参加を妥当に考え得るような性格でなければならないことを示唆している。
  5. 同じ被験者の反復セッションから収集されたデータは、主に第1セッションに多数の運動障害として現れ、繰り返し時に減少する「ショック」効果があることを示している。この「ショック」効果は、このタイプの実験における有効な結論を引き出す前に、適切に評価されなければならない。
  6. 彼が奮闘していた間に同じ個体の反復実験セッションでは、日常的な運動障害の漸減が見られ、「不安定な」因子または忘却因子が指摘された。
  7. 実験の他の理論的意味合いが議論され、ルリア法によってアプローチできる可能性のある問題のリストが含まれる。

 この時期のエリクソンたちはパラメータをちょこまか変えて、かなり気の遠くなりそうな実験を粛々と進めているように思われる。この実験が後のエリクソンにどのように影響を与えているのは不明だが、エリクソンの技法が膨大な実証実験の結果から成り立っているのは間違いなさそうだ。


随考

    エリクソンを中心に1957年に設立され、現在も活動している臨床催眠の学会に「The American Society of Clinical Hypnosis」がある。この団体から提供されている学術誌が「The American Journal of Clinical Hypnosis」だ。

 エリクソンを調査する時は、ミルトン・H・エリクソン財団に加えて、上記の団体、あるいは提携団体からの情報が相対的に一番正確だろう。もちろん、学術論文は仮説も含み、追試を重ねて仮説が補強されていく格好になるので、絶対的な真理のようなものが書かれているわけではないが(笑)。

 さて、The American Journal of Clinical Hypnosisの論文に「Men Are Grass: Bateson, Erickson, Utilization and Metaphor」があり、これを再読してみた。要は、エリクソンはクライアントの介入にメタファーを使うが、このロジックと利用(Utilization)アプローチとの関係が説明されている論文ということになる。余談だがエリクソニアンのメタファーについては「Metaphoria」が網羅的で参考になるだろう。

 この論文のねらいは、
  • メタファーとユーティライゼーションの関係が理解できる
  • メタファーとユーティライゼーションが使えるようになる
 ということになるだろう。ユーティライゼーションはクライアントの望む変化のためには利用できるものは何でも利用する(もちろん倫理や法律に違反してはならないが)というアプローチだ。

 さて、この論文ではメタファーのロジックがグレゴリー・ベイトソンのいわゆる「草の三段論法」人間は死ぬ、草も死ぬ、故に人間は草である、で説明されている。もちろん、メタファーは心理療法の技法に限ったことではない、今までの枠組みにとらわれない、枠組みを越えた革新的な問題解決、のようなところで活用することができる。余談だが「のような」と書いている時点でこれもある種のメタファーではあるのだが(笑)。

 一般的に人が意味付けを行う場合は3つの方法がある。演繹、帰納、そしてアブダクションだ。メタファーはアブダクションによる意味付けということになる。Wikipedia にある Abductive Reasoning がこのアブダクションにあたる。難しく書くとこうだが、実際には大喜利のなぞかけのロジックで既存の枠組みにとらわれない関係性を見つけるのがこれにあたる。このあたりで書いた。

 逆にいうと催眠でありがちな「催眠状態にして暗示を入れます」というような程度の理解ではあまりにも漠然としすぎて意味をなさないということが分かってくるだろう。これではエリクソンは理解できない。エリクソンの間接暗示は、アブダクションのロジックで新しい関係をみつけ、経験を再構築して新しい枠組み、新しい行動、新しい意味を見つけていくアプローチだからだ。

   この論文の事例としては、おねしょが治らない子供に普段の筋肉の使い方を語る話、ジョーという末期がんの患者にトマトを育てる話をして疼痛を和らげる話・・・というのがあったが、日常生活で利用できる資源・資質(リソース)をどのようにメタファーで結びつけ、問題解決に利用しているのか?この背景にある、意識にあがらない間接暗示の理屈について認知言語学まで持ち出して説明されていることになる。あくまでも日常生活で知覚で経験しているというのがポイントなのだろう。資源・資質(リソース)は日常生活にこそ転がっているという具合だ。余談だが、アブダクションというと宇宙人にUFOで拉致される話を連想する人もいるかもしれないが、発想がトンデモない方向に飛ぶという共通的を除いては直接は関係ない(笑)。

 また、一見エリクソンの不思議に見える技法には、種も仕掛けもある話だということだ。この手品の種が分からないと堂々巡りを繰り返すことになるだろう。要は、単にメタファーを使えばよいというのではなく、精緻にメタファーを使う必要があるということだ。ただし、メタファーは粒度が粗く意図的に曖昧に関係性を示唆している格好になるので、普通の人からはいい加減に見えるというパラドクスはあるのだが(笑)。
 
 オマケだが、第12回のエリクソン国際会議でのプレゼンテーション資料「Utilization: Principles & Practices」がネットにリンクされているが、さらにユーティライゼーションについて理解を深めるにはこの資料を読んで見るのもよいだろう。

 ユーティライゼーションは日常でも応用可能だ、

 電車で足を踏まれても、イライラせずに何か面白いメタファーで返しができないか?

 会議で立て続けに携帯を鳴らしている参加者がいるが、面と向かって注意をするのではなくて、何か面白いメタファーで返しができないか?

 と考えてみると面白いだろう。Wikipediaの海上自衛隊の練習艦かしまの項目に面白いエピソードが載っている。これをユーティライゼーションとメタファーの応用例として読むと面白いだろう。

1995年から練習艦隊の旗艦として遠洋練習航海に参加し、2000年の遠洋練習航海では、アメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するために訪れていたニューヨークの港内において「クイーン・エリザベス2号」に接触されたが大きな被害はなく、同船船長の代理で謝罪に訪れた乗組員の機関長と一等航海士に対し、(当時の)練習艦隊司令官の吉川榮治海将補は、「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」とウィットに富んだコメントを返し、『テレグラフ』紙[や『イブニング・スタンダード』紙でも報道され語り草となっている。
 
 模範解答的な、メタファーとユーティライゼーションということだ。

 
5月21日の進捗、1112ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 42.0%)

Volume III
HYPNOTIC   INVESTIGATION OF   PSYCHODYNAMIC PROCESSES

Study of Hypnotically Induced Complexes By Means of the Luria Technique Paul E. Huston, David Shakow, and Milton H. Erickson 1 Reprinted with permission from The Journal of General Psychology, 1934, Vol. 11, pp. 65-97.






(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
https://www.facebook.com/Okirakusoken-236949276723679

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