2017年1月14日土曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 14日目


                                                                                                                             

 意識で恣意的に思いを巡らすよりも、無意識に問題を任せたほうが上手くいく。 

 日本語で言ったら『肚をくくれ』ということ(笑)。
 
 <ひとりごと>



聞き手がロッシだとエリクソンの話は俄然面白くなる

  備忘録として書いておく。

 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1]を読んでいる。読み方のルールはここ。それで、14日目の進捗などを書いておきたい。

   今日は、昨日の続き。エリクソンが70-74歳、ほぼ晩年の時期、心理療法家のアーネスト・ロッシ相手に自身の体験を語るくだりの続きだ。このような誰かの口述を聞き手が書き留める形式は日本だと『古事記』の時代からお馴染みの形式だが、エリクソンの口述をロッシが書き留めるという意味では、同じ形式になっている。

《自己催眠の使い始め》

 最初は、エリクソンが自己催眠を編み出すあたりの話。ロッシは、誰かに自己催眠(Autohpynosis)を学んだのか?とエリクソンに尋ねている。これに対して、エリクソンは17歳の時に発症した小児麻痺からくる痛みをコントロールするために誰にも学ぶことなしに自分で編み出したと語っている。

 これは、エリクソンの技法が「痛みを師」として必然的な状況から生まれていることが分かる。[2] 余談だが自己催眠の技法は後年、エリクソンの妻のエリザベス・ムーア・エリクソン(ベティ・エリクソン)の自己催眠として語られることがある。[3] 余談だが、自己を表す Autoは自己産出を表すオートポイエーシスのオートでもある。エリクソンは自己を心理分析のような自我のようなものではなく、構成される、あるいは産出される何かと見ていたのではないかと推察される。

《観念運動、観念知覚と学習》

 エリクソンはバスター・キートンの映画を映画館で見ていると筋肉が硬直したりと、映画という仮想の観念に反応することを自身の身体を使って観察している。これから、経験やその想起からくる観念運動、観念知覚を再構築することで、新しい形態の「学習」が可能になることを示唆している。つまり、本を読んでいたとしても、同じような経験を想起し観念運動や観念知覚を再構成して、今後の問題解決やなんらかの挑戦に利用可能だという示唆だ。

《誰がこの社説を書いたのか?》

 エリクソンが大学生の時、地元の新聞社で社説を書くアルバイトをした時の面白い話が記載されている。夜10時に就寝し、深夜1時に目覚ましをセットする。目覚ましがなると起きだしして社説を書くと、そのまま寝てしまう。朝起きると自分では書いた記憶のない社説が出来上がっているという具合だ。結局、記憶を喪失させているようなことをやっているのだろうが、こういった論文を読むと色々な意味で「努力」というのはいったいどういったことなのだろうか?と改めて思うことになる(笑)。

《不条理を深い自己催眠で折り合いをつける》

 エリクソンが医学生の頃2人の患者に出会い思い悩む姿が描かれている。一人は、73歳アル中である意味いいかげんな男性だが周りにも恵まれて、問題はあるにせよ80歳、90歳は生きるだろうと予想される人。もう一人は(エリクソンの視点からみて)魅力的な絶世の美女なのだが余命が3ヶ月の女性。この二人の対比だ。エリクソンは、世の中の不条理を嘆き思い悩む。ある意味、釈迦の生老病死の悩みみたいなものだが、エリクソンはここで興味深い解決策を示唆している。それは、意識で悩むのではなく、問題の提起しその解決や折り合いをつける方法を無意識に投げてしまうことになる。悩みは無意識に投げてしまってなんらかのヒラメキやアイディアがやってくること待つという方法を取ることになる。個人的にはベティ・エリクソンの自己催眠とあわせて同じことをやっていたりするが、なかなか興味深い方法だ。

《臨床や実験の場面で自己催眠を使っていたのか?》

 これも非常に興味深い質問だ。エリクソンがクライアントと向き合う時、エリクソン自身が自己催眠を活用していたか?答えは Yes ということになる。以前、エリクソンはクライアントを周辺視野で見ていた話を書いた。[4] おそらくエリクソンが自分自身に使っているのは外向きのトランス状態だ。下手に意識で考えるより、無意識に投げてしまったほうがよいと考えているのが面白いところなのだろう。まぁ、何の分野にしても「達人」のような人というのはこうであるのかもしれないのだが。

《自己催眠と無意識の使い方の伝授》

 ある大学の先生がエリクソンの元へ自己催眠を習いにやってくる。ここで、エリクソンはこの先生に自己催眠と無意識の使い方の説明みたいなことを行っている。意識が無意識に命令することはできるのか?とか。こんな話。意識的な自我は無意識の自己に命令することはできない、とかこんな話。無意識の使い方にはエリクソンが発見したところでは、それなりのやり方というのがある。

  エリクソンの主張をまとめると以下となる。結局、無意識にまかせておけば適切なタイミングで周りの状況から適当なことを上手くやることができる、と信じろ。となっている。


Erickson’s insistence on the separation of consciousness and the unconscious in autohypnosis presents a paradox: we go into autohypnosis in order to achieve certain conscious goals, yet the conscious mind cannot tell the unconscious what to do. The conscious mind can structure a general framework or ask questions, but it must be left to the autonomy of the unconscious as to how and when the desired activity will be carried out.

エリクソンの自己催眠における意識の分離と無意識の主張はパラドックスをもたらす。意識的な目標を達成するために自己催眠に入るが、意識の心は無意識に何をすべきかを伝えることはできない。 意識的な心は一般的な枠組みを構成したり、質問したりすることはできるが、望む活動がいつどのように実行されるかについては無意識の自律に任さなければならない。


《自己催眠を利用した痛みのコントロール》

 エリクソンはロッシに自己催眠を利用した痛みのコントロールの方法を語る。

 と、まとめておくと大体こんな感じになる。余談だが、ネットに溢れている「催眠術」のようなトピックだとすぐにに人を操るだの、という話になるのだが、エリクソンの主張はまず自分で自己催眠を練習して自分の無意識に問題解決その他を安心して任せられるように練習しなさい、という話だというのが理解できる。


1月14日の進捗、112ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 4.2%) 

Volume 1  : The Nature of Hypnosis and Suggestion

Autohypnotic Experiences of Milton H. Erickson Milton H. Erickson and Ernest L. Rossi Reprinted with permission from The American Journal of Clinical Hypnosis, July. 1977, 20, 36-54.

 聞き手のアーネスト・ロッシが絶妙のタイミンで質問をするためか、エリクソンもよい調子で色々な経験が引き出されている感じになっている。




(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2015/12/blog-post_3.html
[3]http://ori-japan.blogspot.jp/2012/03/10_13.html
[4]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/11/blog-post_2.html

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