2017年5月8日月曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 128日目


                                                                                                                            
 情報は差異である。

 差異は関係、あるいは関係の変化である。


   <ひとりごと>




はじめに

 備忘録として、



 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 128日目について書いておきたい。

日常生活における精神病理の実験的デモンストレーション

 「Experimental Demonstrations of the Psychopathology of Everyday Life (1939)」から。著者はミルトン・エリクソン。

 1939年、コネチカット州ニューヘブンで大学院生を相手にサピアー博士の主導で行われた実験について。おそらく大学はイェール。エリクソンも参加。

 被験者の一人はよく催眠を含め実験に協力してもらっている。典型的なものは授業で演壇で行われるデモ。

 この被験者には事前に何をするか?や打ち合わせが行われないために、だんだん不安になってきて、イライラするようになってくる。ある意味、意図的にイライラするように仕組まれているところがある。

 ただし、一度実験でデモンストレーションが行われ、トランス誘導が行われるとこれが消える、というようなもの。

 いくつかの実験の様子が記述されている。
 
・・・・・・・・・
 

随考

   エリクソンの論文を読んでいると思うことがある。それは、《エリクソンがどのように見立て、どのように介入し、そしてどのようにクライアントの変化を支援したのか?》だ。

     組織や個人の「変化」を支援するコンサルタントやコーチとしては最も学びたい点である。

 逆の言い方をすると、被験者を催眠状態にするだけで何かの問題が解決するのだったら誰も苦労しないということになる。また、仕事の場面では催眠を使うということにはならないだろう。百歩譲って仮に誘導だけで来ても、適切な介入がないと、変化は起こらない。特に現状の枠組みを越えた第二次変化(Second Order Change)は起こらないだろう。

 ここで、補助線を引いて考えてみる。

 一つは人類学者のグレゴリー・ベイトソンの視点ということになる。ここでベイトソン的な第二次サイバネティクスを持ち込んでみるというのが考えられる。

 もう一つはベイトソンのフィルタをくぐらせた、ミラノ派家族療法のような派生の手法と比較してみることだ。ミラノ派は、系統的には、エリクソン→MRI→ミラノ派となる。

 ここでは具体的に後者ミラノ派の「Hypothesizing, Circularity, Neutrality Three Guidelines for the Conductor of the Session」を読んでこれを補助線にしてみる。

 この論文の要旨は、仮説を立て、円環的質問を行い、そしてセラピストは中立な立場からファシリテーションを行うということだ。

 ここでのポイントは、

  • 情報は差異である
  • 差異は関係である(もしくは、差異は関係における変化である
 
    となる。もちろん、出発点は、ベイトソンの「A difference that makes a difference.」と「A Pattern that connects.」ということになる。

 セラピストはクライアントと同じコンテクストにいてクライアントが問題を抱えているところの一次情報を取れない。だからクライアントにその状況を思い浮かべ差異を意識してもらう、そして、関係(の変化)を意識してもらうようにファシリテーションするというのが原則になる。余談だが関係は3つ考えられる、1)自分のモノとの関係、2)自分の内面の関係(例、意識-無意識など)、3)対人関係(シンメトリー、コンプリメンタリーなど)。

 差異は大抵、現実ー理想の差異ということになるが、これを認知的不協和を解消するように支援するのか?自己成就予言の実現の支援とするのかはわからないが、基本はこういうことになるだろう。要は、現状-理想の差異を意識することで、関係がどのように変わるのか?あるいは、関係(関わり合い方)を変えることで、どのように理想に近づくのか?がそれとなく示唆されるということだ。こう考えることで無意識にシステム思考が促されることになる。

   もっとも、認知的不協和に関して「Power and the Rhetorical Manipulation of Cognitive Dissonance」を読むと、どうしても権力で無理強いするというなことにもつながるので、ミラノ派の場合は、セラピストは中立の立場にいて、円環的質問を使い、自分ではなく他人に自分の指摘したいことを間接的に語らせるような形式になっているのが格好のよいところなのだろう。これもエリクソンの間接暗示のひとつの実装と見ることはできる。

 まとめると以下のようになるだろう、
  • 差異を意識してもらう(たいていは現状ー理想)
  • 理想を実現するために、関係をどう変えたいのか?あるいは変わるのか?を意識してもらう
  • そのためには具体的に何をしなければならないかを意識してもらう
  • ただし、これを間接的に、できればクライアントが思いついた形式でファシリテーションする
  • クライアントに実際に何かやってもらう
  • 結果からシステムの変化を意識してもらう

 こういった感じになるだろう。

 エリクソンとミラノ派を比較することで、何らかの情報が生まれる、こういった方法論自体がエスノメソドロジー的でベイトソン的ではあるのだが、何かを比較し、関係(あるいは関係の変化)を観察してみることで分かってくることは多い。



5月8日の進捗、1012ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 38.3%)

Volume III
HYPNOTIC   INVESTIGATION OF   PSYCHODYNAMIC PROCESSES

Experimental Demonstrations of the Psychopathology of Everyday Life Milton H. Erickson Reprinted with permission from The Psychoanalytic Quarterly, July 1939, Vol. VIII.





(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html


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